酔った夜に零れた本音
二人、言葉も交わさないまま酒や料理を並べながら、
さっきセラが口にした「ごめんね」の意味を考えていた。
その時、奥のほうからドライヤーの音が聞こえてきた。
どうやら、シャワーを浴び終えたジュヒが髪を乾かし始めたらしい。
頭にタオルを巻いたままのセラを見て、俺は声をかけた。
「そういえば、髪乾かさないとだろ?
うち、ドライヤーもう一台あるから。
ちょっと待ってて。」
俺は自分の部屋へ入り、ドライヤーを一台持って戻ってきた。
……浴室になかったなら、ひと言くらい言えばいいのに。
何で二人とも、何も言わずにいるんだよ。
「ほら。
これ使え。」
髪は洗うたびにちゃんと乾かさなきゃとは思う。
でも、昔からどうにも面倒で仕方がない。
子供の頃からその習慣が身につかなかったせいか、
俺はいつもタオルで適当に水気を拭き取って終わりだった。
「……ありがとう。」
セラは両手でドライヤーを受け取り、小さく笑う。
「大事に使うね。」
ドライヤーを持ったセラが浴室へ向かうと、
入れ替わるようにジュヒが部屋から出てきた。
「セラさん、出た?」
そう聞くと、俺のほうへ歩いてきて、
「二人で何を話してたの?」
「いや、何も話してないよ。」
「そう? ケンカもしなかった?」
「何でケンカするんだよ。
もう子供じゃないんだから。」
「子供じゃないからケンカするの。
子供のほうが案外おとなしいんだから。」
「違うって。
本当に何もなかった。」
そう言うと、
ジュヒはしばらく黙って俺の顔を見つめた。
何か言いたそうな目だった。
「どうした?」
そう聞こうとした、その時。
ジュヒは何事もなかったように話題を変えた。
「お肉でも買ってくればよかったかな。」
「肉?」
「うん。豚バラとか。
ほら、見てよ。
並んでるの、レトルトと冷凍食品ばっかりじゃない。」
それも当然だった。
俺が行ったのはコンビニなんだから。
でも、考えてみれば便利なものだ。
時間をかけなくても、すぐに腹を満たせるんだから。
俺は電子レンジとエアフライヤーを使って、買ってきた惣菜を温め始めた。
餃子に揚げ物、それからチャーハン。
もちろん、それだけじゃない。
イチゴサンドやキンパなど、女性が好きそうなものも何種類か買ってきた。
レンジが温まるのを待ちながら、ふと思う。
今日はクリスマスだ。
あれだけ大量の食べ物を買い込む俺を見て、
コンビニの店員は一体どんなことを思ったんだろう。
何気なくリビングへ目を向ける。
そこではジュヒが忙しそうにビールを並べ、
俺が買ってきたスルメや焼きタラ、スナック菓子を手際よくテーブルに並べていた。
やがてドライヤーの音が止み、セラがひょっこりと顔をのぞかせる。
「セラさん、こっちこっち。
早く座って。」
ジュヒは笑顔で手招きした。
「その服、私が着てたやつだからサイズが合うか心配だったけど……
すごく似合ってる。
セラさんって、本当に何を着ても似合うね。
やっぱりスタイルがいいからかな。」
「そんなことないですよ。
お姉さんだって、とても綺麗です。」
「お姉さん?」
「そのほうが呼びやすいので。」
「そっか。
私のほうが二つ年上だしね。
じゃあ、それでいいよ。
私はセラって呼ぶから。」
「はい。
そう呼んでください、お姉さん。」
俺はわざと会話には加わらなかった。
黙って聞いていると、セラの話し方がいつもよりずっと礼儀正しいことに気づく。
……いや。
これが、本当は俺の知らないセラなのかもしれない。
特にこれといった話をするでもなく、買ってきた酒は次々と空になっていった。
気がつけば焼酎は一本なくなり、三本目のビールを開けようとした、その時だった。
「ねえ。」
ジュヒが不意に口を開いた。
「私ね、セラがプレゼントしてくれた赤いランジェリー、もう着てるんだ。
見てみる?」
「本当ですか?
もう着てくれたんですか?
ぜひ見せてください。」
ジュヒは少し酔っていた。
セラも焼酎とビールを混ぜて飲んでいたから、きっと多少は酔っているはずだ。
「……何やってるんだよ。」
正直、少し気になった。見たかった。
でも、それ以上に止めなければと思った。
目の前で平然と服をめくろうとしたジュヒの腕を、俺は慌ててつかむ。
「おい。
酔ってるだろ。
何で急に服を脱ごうとするんだよ。」
「だって暑いんだもん。
この部屋、ちょっと暑くない?」
言われてみれば、その通りだった。
俺も少しずつ体が熱くなってきていた。
「ほら、やっぱり酔ってる。」
ジュヒはくすっと笑うと、今度はセラへ顔を向けた。
「ところでさ、セラ。」
「はい?」
「あなたみたいに可愛い子が……どうしてあんなことになっちゃったの?」
セラの視線が、ゆっくりと俺へ向く。
「ごめん。
実は、私が話しちゃったの。」
「ハヨン。
大丈夫。
本当のことだから。」
セラは穏やかに微笑んだ。
「たしか……4年くらい前だったかな。
私が少し有名になった時期があったんです、お姉さん。」
それは、俺も初めて聞く話だった。
……有名になった時期?
「今も江南の有名なお店で働いているのは本当です。
でも、もうすぐ辞めるつもりなんです。」
セラはグラスを指先で軽く回しながら続けた。
「その前は海を渡って、日本で少し働いていました。
いろいろと。
まあ……おかげで、かなり稼げましたけど。」
「え?
日本で働いてた?
セラが?」
思わず声が大きくなる。
そんな話は、一度も聞いたことがなかった。
「その話も含めて……
もう少し飲みながら話しませんか?」
セラは静かに酒を勧めた。
俺はグラスを手に取る。
驚いた。
本当に何も知らなかった。
いつから日本にいたのか。
どうしてそんなことになったのか。
気になることはいくらでもあった。
けれど、それ以上に、この先の話が聞きたかった。
隣で話を聞いていたジュヒも同じだったのだろう。
唇をきゅっと結んだまま、真っすぐセラを見つめている。
「でも、向こうでの生活は大変でした。
寂しかったし……
だんだん心も体も限界になって。」
セラは少しだけ視線を落とした。
「だから帰国することにしたんです。
でも韓国へ戻っても、知り合いなんて一人もいなくて。
どうしようかなって考えていた時……
『あっ、違う。
クォン・ハヨンがいた。』
そう思い出したんです。」
「だから俺に電話したのか?
急に姿を消してから、何年も経ってたのに。」
「うん。
知ってる人は、ハヨンしかいなかったから。」
少しだけ沈黙が流れる。
その空気を破ったのはジュヒだった。
「それより……
さっき言ってた『有名になった』って、どういうことなんですか?」
俺は思わず顔をしかめた。
「おい、シン・セラ……
お前、まさか……。」
そう言いかける俺をよそに、セラは苦笑する。
「お姉さん。
日本で少し有名になったことがあったんです。
そのせいで、韓国へ戻ってからも、いろいろ困ることがあって……。」
「えっ?
何それ?
そんな言い方じゃ分からないよ。」
「だから……
その……。」
セラは一度言葉を止め、俺の顔を見た。
助けを求めるような視線だった。
俺は口だけを動かして、
『言う? 本当に言っていいのか?』
と尋ねる。
確信はなかった。
でも、その意味はちゃんと伝わった気がした。
セラも俺が気づいていることを察したようだった。
「……ビデオ。」
俺は何気ない口調で言った。
「そういうのが、あるんだ。」
その瞬間、
「えっ……まさか。」
ジュヒが小さく息をのんだ。
空気が一瞬だけ張りつめる。
その沈黙を振り払うように、ジュヒは無理に笑顔を作った。
「……あ、お酒なくなっちゃったね。
もう少し飲もう?
ね、ハヨン。
冷蔵庫からお酒取ってきて。」
どこか緊張しているようにも見えた。
「明日、仕事じゃないの?」
俺が何気なく聞くと、
「ないよ。
だから飲んでるんじゃない。
このバカ。」
すぐに言い返される。
……何で急に俺が怒られるんだ。
そう思ったけれど、
今日は何も言わないほうがいい気がした。
俺は冷蔵庫から冷えたビールを一本と焼酎を一本取り出し、
静かに席へ戻った。
俺はセラの表情をうかがいながら、ジュヒに酒を注いだ。ジュヒは
「うちのセラ、本当に大変だったんだね。
はい、こっちにも注いで。」
まるで家族に話しかけるような、優しい口調だった。
セラのグラスを満たしながらも、
「そうか、そうか。
うちのセラ、いっぱい頑張ったんだね。」
と、子どもをあやす母親のように優しく声をかける。
「ありがとうございます、お姉さん。
私、本当に大変だったんです。
どこへ行っても、楽なことなんて一つもありませんでした。」
……酔っている。
セラも、完全に酔っていた。
あと少しで泣き出してしまいそうな、そんな表情だった。
その顔を見た瞬間、
俺の心臓がまた大きく鳴り始める。
まるで百メートルを全力で走り切った直後みたいに。
……俺も酔ってるのか?
まだビール一杯しか飲んでないのに。
「そりゃそうだよ。
世の中、そんなに甘くないもん。
ましてセラの仕事は……」
最後まで言わせなかった。
俺は慌ててジュヒの口を手でふさいだ。
そんな俺を見て、
セラは小さく微笑み、静かに首を横へ振る。
「そうなんです。
だから韓国に戻ってきたこの一年は、何か別の仕事をしようと思っていたんですけど……
私は中学校しか出ていなくて……。」
「学歴なんて関係ないよ!
ねえ、シン・セラ!
セラくらい可愛いなら、モデルでも芸能人でもなれそうなのに!」
ジュヒはすっかり酔っていた。
話すたびに舌が少しもつれ、声もだんだん大きくなっている。
「お姉さんったら……。」
セラは困ったように笑うと、
グラスに残っていたビールをゆっくり飲み干した。
……胸が痛かった。
今さらだけど、
セラに対して、どうしようもなく申し訳ない気持ちになっていた。
「思っていたより、知っている人が多かったんです。
私の過去を。」
セラは苦く笑った。
「だから、何を始めても長くは続かなくて。
この国って、学歴もすごく見られますし……。」
長いため息をひとつつく。
そして俺のほうを見て、小さく笑いながらグラスを軽く揺らした。
「結局、また同じような仕事に戻るしかありませんでした。
お姉さんの言う通り、少しでも名前が知られるようになると、
昔のことを掘り返そうとする人が必ず現れるんです。
そのたびに後悔もしたし、苦しくもなりました。
それでも、何もしないわけにはいかなくて。
昔アルバイトみたいな形で働いていたお店に、少しずつ戻るようになりました。
もちろん、お給料は前よりずっと少ないです。
でも、それよりつらかったのは……
私を人としてじゃなく、物みたいに扱う人が、本当に多かったことです。」
「……セラ。」
俺は初恋の名前を、そっと呼んだ。
するとセラは照れくさそうに笑い、わざと空気を変えるようにグラスを持ち上げた。
「今日はもっと飲みましょう!
ハヨン、お酒、もう少し持ってきてくれない?
こんなふうに大勢でお酒を飲むなんて、本当に久しぶりなんです。
だから今日は、お酒がすごくおいしい。
お店で飲んでいてもね……
あれは誰かと飲んでるって感じじゃないんですよ。」
「でもさ。」
俺が冷蔵庫へ向かっていると、
背中越しに、またジュヒの声が聞こえた。
「ねえ、セラ。」
少し間を置いてから、ジュヒはまっすぐセラを見つめる。
「セラって……
クォン・ハヨンのこと、好きなの?」
その一言で、部屋の空気が止まった。
「私たち、今日で別れたの。
それとね……
クォン・ハヨンは、今でもセラのことが好きなんだよ。」




