ごめんね、クォン・ハヨン
頭が真っ白だった。
こんな展開になるなんて、誰が想像できる。
ジュヒとセラ。
この二人が普通に話している。
しかも、俺の目の前で。
ジュヒが突然セラを家に誘ったせいで、困っているのは俺だけだった。
二人はたった一時間で、焼酎とビールをそれぞれ四本も空けてしまった。
そこで俺が不思議に思ったのは、ジュヒもセラも、こんなに酒が強かったのかということだ。
もっとも、俺は酒が好きでもなければ強くもない。
だから、今まで知らなかっただけなのかもしれない。
……でも、それ以上に驚いたことがあった。
今日が初対面とは思えないほど、二人の会話は途切れることがなかった。
酔っぱらった二人の世話をしているうちに、気づけば俺だけが慌ただしく動き回っていた。
「いや、腹は大丈夫なのかよ。どうして二人でそんなに飲めるんだ? しかも八本って……。」
車の中でセラと電話をしている最中だった。
ジュヒは突然、
「もし予定がないなら、うちに来ませんか?」
そう言い出したのだ。
俺は思わず耳を疑った。
いくらなんでも、クリスマスのこんな遅い時間に誘うなんて。
……ところが。
「はい。もちろんです。本当にお邪魔してもいいんですか?」
セラは少しも迷うことなく、そう答えた。
「実は今日、一日中予定がなくて。
家でずっとゴロゴロしていただけなんです。」
その言葉に、一番驚いたのは俺だった。
たぶん、ジュヒも同じだったと思う。
セラほどの女性なら、予定がないどころか、
どの約束を優先するか悩むくらいじゃないのか。
それも、クリスマスに。
その話を聞いて、ジュヒは少しだけセラに同情したようだった。
「それなら、ぜひ来てください。
ケーキも買ってありますし、お酒は飲めますか?」
そう言って、あっさりとセラを家へ招いてしまった。
先に家へ着いた俺たちは、不思議なくらいセラの話をしなかった。
文句を言うのも、どこか違う気がしたからだ。
なんだかんだ言っても、セラは俺の初恋であり、子どもの頃からの大切な友達だった。
それから一時間ほど経った頃だった。
玄関のチャイムが鳴る。
やって来たセラは、シャンパンといくつかのプレゼントを両手に抱えて立っていた。
「いらっしゃいませ。
道、混んでましたよね?
来てくださってありがとうございます。
でも、思ったより早かったですね。」
嬉しそうな様子を見ると、ジュヒは本当にセラが来るのを楽しみにしていたらしい。
「こんばんは。
シン・セラです。
今日はお招きいただいて、ありがとうございます。」
「おいおい、そんなに何を持ってきたんだよ。」
「わあ、これ全部プレゼントですか?」
「気を遣わないでください。
どれも家にあったものを持ってきただけですから。」
……違うだろ。
そうじゃない。
『おい、俺のこと見えてるか? 俺が先に聞いただろ。』
そう言いたかった。
『それに、気を遣う相手はプレゼントじゃなくて、お前なんだよ。セラ。』
でも、声にはならなかった。
たぶん。
セラは俺が何を言いたいのか、ちゃんと分かっていたんだと思う。
俺とは、一度も目を合わせようとしなかったから。
「あっ、これ……!
今、開けてもいいですか?」
金色のリボンが結ばれた赤い箱を受け取ると、ジュヒは子どものように目を輝かせた。
箱に書かれたブランド名を、そのまま読み上げる。
「プラダ。」
「……え?」
プラダ?
それって、あのプラダか?
俺が考え込んでいると、ジュヒがブランドロゴを見つめたまま、ぱっと目を丸くした。
「えっ、これ……本当にプラダですか?」
「はい。」
セラは微笑む。
「クリスマス限定のランジェリーコレクションです。
デリケートゾーン用のケア用品もセットになってますよ。」
そう言って、
セラはジュヒの耳元でそっとささやいた。
……いや。
そんなに近くで話したら、
隣にいる俺に聞こえないわけがない。
というか。
玄関先で何を話してるんだ、この二人は。
ランジェリー……?
その一言だけで、
俺の頭は勝手に余計な想像を始めてしまう。
気づけば視線は、 セラへ向いていた。
「……と、とにかく入れよ。」
俺は慌ててそう言い、
逃げるようにダイニングの椅子へ腰を下ろした。
「ありがとうございます。
セラさん、どうぞ入ってください。」
ジュヒは箱を大事そうに抱えたまま笑う。
「これ、あとで着てみようかな。」
「ぜひ。」
セラも小さく笑った。
家へ入ってきたセラは、
黒いストッキングに、
レースの入った黒いロングワンピース。
肌だけが雪みたいに白く、
赤い口紅と黒を基調にしたアイメイクが、その白さをいっそう際立たせていた。
「セラさん、本当に今日はずっと家にいたんですか?」
「はい。」
セラは軽くうなずく。
「面白い番組もありませんでしたし、観たい配信も特になくて。
この時期になると毎年、『ホーム・アローン』を一から順番に見返してるんです。」
少しだけ笑って、
続けた。
「そういえば私、
クリスマスは毎年、本当にホーム・アローンなんですよ。」
「えっ?」
ジュヒは目を丸くした。
「そんなこと、信じられません。
セラさん、写真よりずっと綺麗なのに。
どうして一人なんですか?」
「これが私の日常なんです。」
そう答えたあと、
セラはふと思い出したように尋ねる。
「……そういえば。
私の写真って、どこで見たんですか?」
「あっ……。」
ジュヒは少しだけ困ったように笑う。
「ハヨンが見せてくれたんです。」
その瞬間だけ。
セラは横目で俺を見た。
けれど、
何も言わなかった。
俺は心の中で、少しだけ胸をなで下ろしていた。
クリスマスは毎年、一人。
……それを聞いて、なぜか安心してしまった。
「おい、セラ。」
俺はわざとらしく肩をすくめる。
「お前さ、この家を舞踏会の会場か何かと勘違いしてないか?
その格好、何なんだよ。
魔女みたいじゃないか。
今日はハロウィンじゃない。
クリスマスだぞ、クリスマス。」
わざと最後の「クリスマス」を強く言った。
クリスマスは恋人と過ごすものだろ。
……そう言いたかった。
恋人。
その言葉を思い浮かべた瞬間、
俺は黙り込む。
気づけば、またセラを見ていた。
「あっ。」
ジュヒが目を輝かせる。
「その服……もしかして、あのブランドのですか?」
「ご存じなんですか?」
「もちろんです。
私、百貨店で働いてますから。」
「なるほど。」
セラは小さくうなずいた。
「それにしても、そのワンピース……かなり高いですよね?」
「こういうデザイン、お好きですか?」
「好きというよりは、仕事柄どうしても目が行くんです。」
「そうだったんですね。」
セラは少し考えるように笑った。
「実は家に、似たような服がたくさんあるんです。
一度も着ていないものも多いので、よかったらお譲りしましょうか?
サイズも私とあまり変わらないようですし、きっと似合うと思います。」
「おい、セラ。」
俺はすかさず口を挟んだ。
「その服さ。
『プラダを着た悪魔』そのまんまじゃないか。」
二人が同時に俺を見る。
「それと、着ない服を勝手にジュヒに押しつけようとするな。
ジュヒだって服くらい持ってるんだから。」
「セラさん。」
ジュヒは苦笑しながら首を振った。
「ハヨンのことは気にしないでください。
今日お招きしたのは私なんですから。」
そして、くるりと俺を振り返る。
「ハヨン?」
「……ん?」
「何ぼーっとしてるの?
早く飲み物とおつまみ、買ってきてよ。」
「えっ? 俺?」
「じゃあ誰が行くの?
私が行く?それともセラさんと二人で行ってこようか?
クォン・ハヨンは一人でお留守番してる?」
「……。」
それだけは、絶対に駄目だった。
「分かった。
俺が行ってくる。」
俺は慌ててダウンをつかみ、財布をポケットへ押し込むと、そのまま玄関を飛び出した。
「いや、何なんだよ、これ!
急に『クォン・ハヨン』なんて呼び出すし!
人をパシリみたいに買い出しへ行かせるし!
しかも、あんな甘えた声で頼んでくるなんて、どういうつもりだよ。
ああ、もう!
あの二人を二人きりにしちゃ駄目なんだって……。
嫌な予感しかしない……。」
焦りばかりが募り、自然と苛立っていた。
二人は今ごろ、何を話しているんだろう。
そんなことばかりが頭の中をぐるぐる回る。
「まさか、空気の読めないセラのことだから……
『ハヨンの初恋は私なんです』なんて言い出して、
あの夜のことまで話したりしないよな……?」
俺は気持ちばかりが先走り、近くのコンビニへ駆け込んだ。
まだ営業している飲食店もあった。
でも、注文して待っている時間なんてない。
コンビニでビールと焼酎を適当にかごへ放り込み、
菓子や冷凍食品も目についたものを次々と入れていく。
選んでいる余裕なんて、これっぽっちもなかった。
会計を済ませると、
袋を抱えたまま走って家へ戻る。
「ただいま!」
「ハヨン?
もう帰ってきたの?
何を買ってきたの?
そんなに息を切らせて。」
「セラは?セラはどこだ?
帰ったのか?」
ジュヒはくすっと笑った。
「ううん。
お風呂。」
「……は?」
「お風呂って、どういうことだよ。」
「どういうことって。
もう十時過ぎだよ?
飲んで、このまま帰るのも大変でしょ。
だから今日は泊まっていってもらうことにしたの。」
「……え?」
頭の中が真っ白になった。
「何言ってるんだよ。
どうした?もう酒でも飲んだのか?」
俺はジュヒの言っている意味が、まるで理解できなかった。
……一体、何を考えているんだ。
「うまくは言えないけど……
セラさんって、ハヨンが言うような人には見えないんだよね。」
ジュヒはそう言って、俺の横をすり抜ける。
「どいて。
私もお風呂入って髪洗ってくるから。」
「いや、違う!
ジュヒ、ちょっと待ってくれ。
少しだけ話をしよう。」
「話なら、お酒でも飲みながら聞くよ。」
「そうじゃなくて……。」
俺は手に持っていたコンビニの袋を、
思わず床へ落としてしまった。
ドサッという音が響く。
……ソジュ、割れてないよな。
一瞬だけ、そんなことが頭をよぎる。
「セラを泊めるなんて、あり得ないだろ。
追い返したっておかしくないくらいなのに。
それなのに泊まっていけなんて……
しかも、ここは俺の家なんだぞ。」
「……俺の家?」
ジュヒがぴくりと眉を動かした。
「あ……。
いや、違う。
そういう意味じゃなくて。
とにかく、泊まるのは駄目なんだ。」
「ハヨン。」
ジュヒは静かに俺を見つめた。
その真剣な表情に、
俺は思わず息をのむ。
「何?」
「私ね。
今日ずっと、不思議だったことがあるの。」
「……何だよ。」
「セラさんは、ただの友達なんでしょ?
何もなかったって、自分で言ってたよね。」
俺は黙ってうなずく。
「だったら、どうしてそんなに拒もうとするの?」
その一言に、言葉を失った。
「極端な話、
セラさんがハヨンに何か悪いことした?
どうして本人の前で、あんなに怒鳴るの?」
「違う。
だから、それは……。」
「うん。」
ジュヒは小さくうなずいた。
「もういい。
分かったから。」
それ以上は何も言わなかった。
……そのことに、
俺は少しだけ胸をなで下ろしていた。
「だったら私がセラさんの家に泊まればいいじゃない。
ここ、私の家じゃないんだから。」
そう言い残すと、ジュヒは寝室の浴室へ入っていった。
バタン、と少し強めにドアが閉まる音が響く。
「はぁ……。
そういう意味じゃないのに……。」
追いかけようとしたが、ひとまず様子を見ることにした。
それよりも、さっき落とした瓶のほうが気になった。
コンビニの袋をテーブルへ置き、中身を一つずつ取り出す。
幸い、瓶は一本も割れていなかった。
ビールや酒を冷蔵庫へしまっていると、
浴室のドアが開く音がした。
俺はゆっくり振り返る。
「おい、シン・セラ。」
ジュヒに聞こえないよう、声を落として呼び止めた。
「お前、何しに来たんだよ。」
セラはきょとんとした顔で俺を見る。
「それより、その服。
ジュヒのだろ。」
「お姉さんが貸してくれたの。
着てみてって。」
「……ふざけるなよ。
そうじゃなくて、何で来たんだって聞いてるんだ。」
「何でって?」
セラは肩をすくめて笑う。
「呼ばれたから来たの。
それに、ハヨンだって『来るな』とは言わなかったじゃない。」
……それは、その通りだった。
来る前に断る時間はいくらでもあった。
それなのに俺は、一度も連絡しなかった。
「それよりさ。」
セラの表情が少しだけ曇る。
「今日のハヨン、本当に変だよ。」
「……。」
「何でそんなに私に当たるの?
私、そんなにひどいことした?」
一歩だけ近づき、
少し寂しそうに笑う。
「……私、本当に傷ついてるんだから。」
「……何?」
俺は思わず聞き返した。
"傷ついた"
その言葉だけが、妙に胸に引っかかった。
「……分かった。
飲んだら、ちゃんと帰れよ。」
「えー?」
セラは肩をすくめて笑う。
「せっかくお風呂まで入ったのに?
ほら、パジャマにも着替えちゃったし。」
そう言って袖をつまみ、くるりと一回転する。
「このパジャマ、すごく肌触りがいいね。
あったかいし。
私も一着買おうかな。」
……やっぱり。
さっきのは本気じゃなくて、ただの冗談だったのか。
「おい、シン・セラ。
お前、本当に何がしたいんだよ。」
「心配しなくていいよ。」
セラはふっと微笑んだ。
「ハヨンが何を考えて、何を心配してるのかは分からないけど。
そんなことには、絶対にならないから。」
「……何?」
口元だけで笑うその横顔を見た瞬間、
子供の頃、俺が恋をしたあの笑顔が重なった。
……変わらない。
セラは昔も今も、何も変わっていなかった。
胸が、小さく高鳴る。
「何か手伝おうか?」
セラは何事もなかったように言う。
「どこで飲む?
リビングで飲もうよ。
みんなで。」
その最後の一言に、
俺は小さく息をついた。
「だからさ。」
セラは俺を見て、少しだけ優しく笑う。
「私のことで、そんなに怒らないで。
……今日は、クリスマスなんだから。」
「あ……うん。
とりあえず、それでいいか。
じゃあ、ソファのほうへ行こう。」
セラは俺を見て、小さく笑った。
「ちゃんとした料理は用意できなかったから。
何か持ってくるね。」
ジュヒの言葉も。
セラの言葉も。
今日、本当におかしいのは、この二人じゃないのかもしれない。
……俺のほうなんだ。
そうだ。
セラの言う通りだ。
少なくとも今日は、クリスマスなんだから。
「ありがとう。」
そう言いかけた、その時だった。
「それと……
本当にごめんね。
クォン・ハヨン。」
とても小さな声だった。
食卓の前で両足をそろえ、
少し肩をすぼめるように立ったまま、
セラは確かに俺に向かって謝った。
でも、
彼女が何に対して謝っているのか、
その理由だけは、俺には分からなかった。




