↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
23/34

クリスマスの夜は、まだ終わらない

十二月二十四日。


クリスマスイブの日。

私は、ハヨンに別れを告げた。


彼が嫌いになったから、別れを決めたわけじゃない。


正直、腹は立った。

憎らしいと思った。


でも、それ以上に。


そうするしかない気がした。


本人は何気なく話しているつもりだったのかもしれない。


けれど、セラさんのことを話しているときのハヨンは、とても楽しそうだった。


今まで私と一緒にいるときには、一度も見せたことのない表情。


困った奴だとか。

面倒くさいとか。

嫌いだとか。


そんなことを言いながらも、その視線の先には、いつもセラさんがいた。


放っておけない。


そんなふうに気にかけているのが、痛いほど伝わ


ああ……悔しい。


人で混み合う電車に揺られながら、私は昨日のことを思い返していた。


……昨日の私は、どうかしていた。


そう思うくらい、冷静じゃなかったのかもしれない。


自分の部屋に別の女の人が入ったことを知っていたのに。


どうして私は、ハヨンに「抱きしめて」なんて言ったんだろう。


「……私、馬鹿だな。」


きっと、自分で自分に呆れていた。


それでも、あのときはそうしたかった。


もしかしたら、寂しかったのかもしれない。


ただ、誰かに愛されたかったのかもしれない。


「ジュヒさん、大丈夫ですか?


もう体調は大丈夫なんですよね?」


売り場に着くと、店長とマネージャーが心配そうに声をかけてくれた。


私はまだ制服にも着替えないまま、


「大丈夫です。仕事はできます。」


とだけ答えた。


たった一日休んだだけなのに。


更衣室が、どこか落ち着かなく感じる。


ロッカーにきちんと貼られた自分のネームプレートを見て、少しだけほっとした。


……どうして、それだけで安心したんだろう。


制服に着替え終えると、バッグにしまっていたスマートフォンを手に取った。


メッセージが一件、届いていた。


スマートフォンを開くと、ハヨンからメッセージが届いていた。


[考えてみたんだ。


俺が車で送るべきだった。


ごめん。考えが足りなかった。


せめて仕事が終わるときは迎えに行くから、退勤する前に連絡してほしい。


約束だぞ。]


別れを切り出したのは、私のほうだった。


それでも、ハヨンはまだ何も答えを出していない。


……このままでも、いいのかもしれない。


私はスマートフォンを胸の前でそっと握りしめ、小さく息をついた。


「……私って、ずるいのかな。」


もし、私がいなくなったら。


ハヨンは、セラさんと結ばれるんだろうか。


そんなことを考えてしまう自分が嫌だった。


今の私は、自分の気持ちさえ、もうよく分からない。


「いらっしゃいませ。」


顔を上げる。


「何かお探しでしょうか。」


クリスマス当日の百貨店は、今年も大勢の人で賑わっていた。


普段は見かけないお客様の姿も多い。


イベントも開かれているし、何より今日はクリスマスだ。


みんなが幸せな一日を過ごせたらいい。


……そう願うだけなら簡単なのに。


昼休みになった頃、また一件メッセージが届いた。


昼間に返信をしなかったからだろうか。


ハヨンからだった。


[もう少し話したい。


ちゃんと考えたいんだ。


どうかな。


まだ俺たち、本当に別れたわけじゃないだろ?


それに今日はクリスマスだし。


仕事が終わったら迎えに行きたい。


久しぶりに、外で夕飯でも食べない?]


ハヨンの言っていることは、間違ってはいなかった。


私が避ける理由も、もうなかった。


分かった。


私は短く返信を送る。


……そういえば。


私たち、外で食事をすることって、あまりなかったな……。


気持ちが沈んだ。


前に住んでいたアパートの向かいに、ハヨンは住んでいた。


気づけば自然と親しくなって。


ちょっとした出来事はいろいろあったけれど、それも嫌じゃなかった。


「付き合おう。」


そんな言葉を交わしたことは、一度もない。


それなのに私は、自分の都合だけで荷物をまとめ、半ば勝手にハヨンの家へ転がり込んだ。


それを何も言わず受け入れてくれたのも、ハヨンだった。


今度は……私が勝手にいなくなる番なのかな。


……でも。


「今回は、勝手にいなくなるわけじゃないんだよね。」


そう思うと、少しだけ救われた気がした。


今になって思えば。


ハヨンは、どうして来たのかなんて、一度も聞かなかった。


それが、ただ嬉しかった。


思い返せば、最初に誘惑したのは私だった。


眠っているハヨンの部屋へ忍び込んで。


キスをして、目を覚まさせて。


「抱きしめて。」


そう言ったのは、私だ。


あの日から。


少なくとも私は、私たちは特別な関係になれたんだと信じていた。


「……私も、本当に馬鹿だな。」


午後六時を過ぎると、館内には恋人同士の姿が一気に増え始めた。


私は、行き交う人たちを一人ひとり目で追っていた。


けれど。


昨日写真で見たあの人。


セラさんに似た女性は、どこにも見当たらなかった。


……あれほど綺麗な人なんだから、当然か。


容姿も。


仕事も。


そして、あの「趣味」だという道具のことまで思い出す。


ふと、くだらないことを考えてしまった。


──この中にも、今夜あの道具を使う人がいるんだろうか。


「ジュヒさん。

今日はお疲れさまでした。


体調はもう大丈夫ですか?」


マネージャーに声をかけられ、私は小さく笑って頷く。


「はい。ありがとうございます。」


一緒に働く人たちは、昨日と何一つ変わらない。


いつも通りに接してくれた。


私も、いつも通りに働いた。


きっと、それがお互いのためだった。


私だけが、いつも通りじゃなかった。


夜九時。


私は制服を脱ぎ、帰る支度を始めた。


「皆さん、メリークリスマス!」


店長は一人残って、その日の売り上げを締めているところだった。


クリスマスも、もう残りわずか。


私は笑顔を浮かべて言った。


「店長、メリークリスマス。」


そういえば。


店長には、まだ小さな息子さんがいたはずだ。


帰る前に、ちゃんとプレゼントを買えたのかな。


そんなことが、ふと気になった。


「ジュヒ!」


正面入口を出た瞬間、ハヨンの声が聞こえた。


いつから待っていたのかは分からない。


「電話してくれればよかったのに。


こんな寒い中、外で待ってたの?


いつからいたの?」


両頬も耳も、赤くなっていた。


どう見ても、今来たばかりじゃない。


「うん。


今来たところ。


車の中で待ってて、さっき出てきたんだ。」


……まただ。


この人は、本当に嘘が下手。


どうせすぐにばれる嘘なのに。


それでも、その不器用さが少しだけ可愛く思えてしまう。


私は冷え切ったハヨンの手をそっと握ると、自分のコートのポケットへ入れた。


「寒いね。


行こっか。」


私はそう言った。


「それにしても寒いね。


ニュースじゃ雪が降るって言ってたのに。


雪なんて全然降らなかったね。」


「今日、雪の予報だったの?」


「うん、そう言ってたよ。


でも、雨が降らなかっただけでもよかったかな。」


私は思わず笑ってしまった。


その言い方が、子どもの頃、母がよく口にしていた言葉とそっくりだったから。


「ところで、行く場所は決めてあるんでしょう?」


「いや、まだ。」


ハヨンはあっさり首を振った。


「ジュヒが食べたいものを食べに行こうと思って。


それで決めればいいかなって。」


自分の名前を優しく呼ばれただけなのに。


胸の奥が少しだけざわついた。


「もう九時を過ぎてるんだよ?


それに今日はクリスマスだし。


予約してなかったら、どこもいっぱいじゃないかな。」


「そうかな。


でも、一軒くらいは入れる店、あるんじゃない?」


私が働いている百貨店の周りは、飲食店街になっている。


レストランも居酒屋も多い。


ハヨンの言う通り、探せばどこか一軒くらい入れる店はあるだろう。


でも私は、この場所から離れたかった。


「チキンでも食べる?


チキンとビール、一杯ずつくらいさ。」


「車で来たんじゃなかったの?」


「そうだけど。


車は置いて、帰りはタクシーか代行を呼べばいいだろ?」


「もう、何言ってるの。」


私は思わず笑った。


「とりあえず帰ろう?


家の近くにも食べるところはいろいろあるし。


ここは高いだけだもん。」


「え、本当に?


それでいいの?」


「うん。大丈夫。」


……だめだ。


このままじゃ、だめなのに。


「でもさ。


今日は一年に一度のクリスマスだろ?


ジュヒを迎えに来たんだから、少しくらいクリスマスらしいことしたいなって……。」


そう言って少しだけ残念そうに笑うハヨンを見ていると、


自分の気持ちだけを押し通しちゃいけない気がした。


……今日くらいなら。


今日だけなら、きっといいよね。


「その代わり、ケーキ買って帰ろう。


クリスマスといえば、やっぱりケーキだろ?」


「あ、それいい!」


ハヨンが嬉しそうに声を上げた。


ケーキ専門店に立ち寄り、私は小さなニンジンが五本飾られたケーキを選んだ。


「ケーキにニンジンって、どういうこと?」


ハヨンが不思議そうに首をかしげる。


「これはチョコレートだよ。


本物のニンジンなわけないでしょ。」


「チョコか。


……まあ、こんな小さいニンジンなんてないもんな。」


そう言いながら笑う。


「でも、すごく可愛いな。


食べる前に写真撮っておこう。」


写真を撮るハヨン。


そんな姿を見るのは、初めてだった。


……セラさんと一緒にいるときも、こんなふうに笑うのかな。


車に乗ってから、私はようやく気づいた。


何かが、少しだけ違う。


それはきっと、


今までの私たちにはなかった自由だった。


恋人だから気を遣っていたことも。


言わなくても分かると思っていたことも。


そんなものが、一つずつ消えていた。


……これも、悪くないのかもしれない。


恋人じゃなくなっても。


友達として、こんな時間を過ごせるなら。


それも一つの形なのかもしれない。


そう思った。


まだ終わってほしくなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。