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俺の初恋――シン・セラ

俺がセラと出会ったのは、中学二年の夏休みのことだった。

書店で何気なく本を選んでいたとき、ふと彼女と目が合った。

運命と呼ぶほどのものでもない。ごくありふれた、偶然の出会いだった。


本を手に取って顔を上げた先に、彼女は立っていた。

俺は三秒ほど、呆然としたまま彼女の瞳だけを見つめていた。


――これは、何なんだ?


どうしてこんなにも透き通っていて、美しい瞳をしているんだろう。

それが、俺が初めて向き合ったセラの第一印象だった。


今まで、瞳が透明で美しいなんて言葉は信じていなかった。

けれど、人はここまで美しくなれるものなのだろうか


「私の顔に、何かついていますか?」


彼女の赤い唇が小さく動くのが見えた。

けれど、何を言っているのか耳には入ってこなかった。

俺は何も言えないまま、こくりと頷いた。

その動作ひとつするだけでも、震えるほど緊張していた。


「え? 何かついてるんですか?」


今度は慌てて大きく首を横に振った。

今度はちゃんと、彼女の声が聞こえたからだ。


「面白い方なんですね。」


そこで初めて、彼女の笑顔を見た。

俺の心臓は今にも破裂してしまいそうだった。


――ああ……全身に震えが走るって、こういうことを言うのか。


俺はそのとき初めて気づいた。

きっと耳まで真っ赤になっていたはずだ。


「ところで、その持ってる本、面白いんですか?」


今度は頷いた。

すると彼女は小さく鼻で笑いながら、俺に尋ねた。


「その本、まだ読んでないんじゃないですか? 今、手に取ったばかりですよね?」


今度も、俺はただ頷くだけだった。

話したい気持ちはあるのに、どうしても唇が動かなかった。


「どうしたんですか? さっきからずっと頷いてばかりで……」


彼女は二人の間を遮るように置かれていた平台を回り込むと、俺の隣までやって来た。

そして、俺が手にしているのと同じ本を棚から抜き取ると、そのまま静かにページをめくり始めた。


隣で黙って見ていると、彼女は本の最初のページにある著者紹介と目次をじっと眺めていた。

そして小さく頷きながら、


「この本、すごく面白そうですね。」


そう口にした。


――いったい何を見てそう思ったんだ?

そんなことを考えながら、同時に「本をたくさん読む人なんだな」とも思った。


やっぱり大学生は違うんだな、と俺は思った。

細く長い指には淡いピンク色のマニキュアが塗られていて、背丈も俺とあまり変わらない。

それに、ふわりと香水の香りがした。

どこか大人びて見えた。


彼女は「本のおすすめ、ありがとうございます。」と言い、本を抱えたまま去っていった。

そのときの俺にできたことは、ただ彼女の後ろ姿を目で追うことだけだった。


結局、馬鹿みたいに何も話せず、頷いているだけで別れてしまった。

別れたなんて言い方も変だけれど、胸の中ではまるで遠くへ行ってしまう恋人を見送るような気持ちになっていた。


その日の夜。

まったく眠れなかった。

ほんのわずかな時間だったはずなのに、彼女の顔が頭から離れなかった。

自分を慰めようかと思うこともあった。けれど、あまりにも綺麗だったあの瞳を思い出すと、そんなことを考える自分が申し訳なく感じられるほどだった。


そうして一日が過ぎ、二日が過ぎ、一週間が流れ、気づけば十日が経とうとしていた。

始業式が近づいても、俺はまるで恋煩いにかかったみたいに、ずっと彼女のことばかり考えていた。

そのうち、そんな自分のことさえ嫌になっていった。


「馬鹿か俺は! 話しかけるべきだっただろ!

名前は何ですか? 電話番号は? SNSとかやってますか?

ちょっとストーカーっぽいけど、こんなふうにずっと悩むくらいなら最初から聞いておくべきだっただろ、この馬鹿!」


俺は何の罪もないぬいぐるみの頭を何度も殴りながら、自分自身を軽蔑した。


けれど、恋煩いになると食欲がなくなるとか、何も喉を通らなくなるとかいう話は嘘だったらしい。


……いや、違うか。

単に育ち盛りの俺が、よく食べるだけなのかもしれない。

食べることだけは、どうしても外せなかった。


それに母さんは、俺の好きなおかずなら何でも作ってくれた。

大半はハムとか、ツナとか、卵料理とか――そんな感じのものばかりだけど。


「おーい! ハヨン、来たか?」


夏休みは終わってしまった。


「うん。おはよう。」


「って、お前! 何したんだよ!?」


目の前にいるのにいきなり大声を出されたせいで、俺は思わず飛び上がりそうになった。


「うるせぇ! 目の前にいるのに何でそんな大声出すんだよ!

びっくりしただろ!」


「悪い悪い、友よっていうか、お前なんでそんな太ったんだ?」


「俺が? 俺が太ったって?

ちょっと体調悪くて、あんまり食べてなかったんだけど?」


「どこがだよ! 一日中食って寝てた結果みたいな体してるじゃねぇか!」


そう言われて、ふと思い出した。

おとといの夜から母さんが俺の制服を持って何か測ったり、どこかに電話したりしていたことを。


――そうだ。

夏休みの間に、見違えるくらい太ってしまっていたんだ。


「あーもう知らん! 食わなきゃ痩せるし! 運動すれば戻る!

だからあっち行け!」


「この野郎! 名前は可愛いくせに、言うことは全然可愛くねぇな。失礼だろ、失礼。」


友達は別に気分を悪くした様子もなく、そのまま腕を俺の首に回して締め上げてきた。

そんなふうに馬鹿騒ぎしていると、クラス委員が勢いよく教室のドアを開けて飛び込んできた。


「おいおい! お前ら、聞いたか!?」


「何だよ? 何そんな騒いでんだ?」


クラス委員はまるで自分が先生にでもなったつもりなのか、教卓をパンパンと二回叩くと、


「お前ら! うちのクラスに転校生が来るぞ!」


と大声で叫んだ。


その姿はどう見ても大げさだった。

あいつ、夏休みの間に何か変なものでも食ったんじゃないか。

何であんなテンションなんだ? と思った。


「おい! 転校生が来るのに、何でお前がそんな騒いでんだよ?」


俺が思っていたことを、前の席のやつが代わりに言ってくれた。


「お前ら! 特に男子ども!

マジで驚くなよ! 本当に!」


クラス委員は自分も男のくせに男を馬鹿にするような口ぶりで、やけに深刻そうな顔をして言った。


「お前ら! 特に男子ども!

マジで驚くなよ! 本当に!」


「何よ、そんな驚くって。

うちのクラスに美人な芸能人でも来るの?」


前から三列目に座っていた女子が、面白がるように茶化した。

俺はそいつと別に仲がいいわけでもないから、名前なんて知らない。

まあ、俺は基本、普通の女子とは話さない神秘主義キャラだからな。


「めちゃくちゃ可愛いからだよ!

マジでありえないくらい可愛い! ヤバい!

人間じゃねぇ!」


「さっきから何言ってんの、あいつ?」


教室は笑い声で満ちていた。

反応がいちいち大げさなうえに教室中が笑いに包まれていた。


「いや、でもお前ら。マジで俺の話、ちゃんと聞けって。」


突然、クラス委員の表情と口調が真面目になった。

そのせいか、笑っていた連中も自然とそいつの話に耳を傾けた。


「本当に冗談じゃないんだって。

おい、そこの女子ども! お前らマジで覚悟しとけよ!

彼氏取られたくなかったらな。……まぁ、どうせいないだろうけど!」


「何言ってんの? あいつ。頭おかしくなった?」


女子の集団から笑い声が上がった。

けれど、俺はそんなことにまったく興味がない。

神秘主義とは、そういうものなのだ。


クラス中が騒いでいるところへ、担任の先生が教室に入ってきた。


「はい、静かに静かに。

夏休みはちゃんと過ごしたか? 食って遊んでばかりじゃなかっただろうな?」


「はーい。」


クラス全員が気のない返事を返した。


「まあ、とにかく――うちのクラスに転校生が来た。」


担任はそう言うと、教室の入口へ視線を向けた。


「さあ、入って。

自己紹介して席に着こうか。」


肩くらいまで伸びた、艶のあるさらりとした黒髪。

女子生徒は鞄の肩紐をぎゅっと握りしめながら、静かに教室へ入ってきた。


さっきクラス委員が言っていたことは正しかった。

誰一人、声を出さなかった。


俺の隣で得意げに笑っているのは、クラス委員だけだった。

その笑みはまるで――


『ほらな。俺の言った通りだっただろ?』


そう勝ち誇っているような顔だった。


そして俺は理解した。

あの日、書店で見た姿とは少し違っていた。

けれど、間違いない。


こんなの、あり得ない。


神は存在したんだ。


神様はずっと俺を見守っていてくださった。

俺の願いを聞き届けてくださったんだ。


こんな信じられない奇跡まで用意して、崖っぷちにいた俺を救ってくださったんだ。


――Oh my God!

――おお、神よ!

――父なる神よ!


……母さんには悪いけど、うちは仏教だった。


「えっと……こんにちは?

みんな、よろしくね?」


彼女は少しぎこちなさそうに鞄の肩紐をぎゅっと握りしめ、恥ずかしそうな笑みを浮かべた。


――あれ? 変だ。

あのとき会った雰囲気と、なんでこんなに違うんだ?


俺は首を傾げた。


彼女はちらりと担任の顔を見た。

三十代の男の担任は、俺たちと違って最近に結婚したからなのか、まったく緊張した様子もない顔をしていた。


「ほら、みんなに名前を言わないとな?」


「あ、初めまして。

私の名前は――シン・セラです。」


名前を名乗る姿まで、その名前みたいに洗練されて見えた。


「うわ! 聞いたか? 名前、新世界だって。」

「シン・セラだよ! この馬鹿!」



「いや、でもマジで新世界って感じじゃね? ビジュどうなってんだよ。」


「めっちゃ洗練されてる。

名前も完全におしゃれじゃん。

シン・セラ。シン・セラ……。」


――そうだ、その通りだ。

ざまぁみろ、お前ら。


俺はもう会ってるんだよ。

しかも本屋で、実質デートみたいなことまでした仲なんだからな!


「静かに静かに!

お前らが何考えてるかなんて、もう全部分かってる! 分かってるけど!

とにかく、学校に早く慣れるように助けてやれ。いいな? みんな?」


担任は、やっぱり新婚だからなのか、妙な余裕に満ちていた。

あれが本物の大人というやつなのだろうか。


「じゃあ席に座ろうか?

どこがいいかな?」


担任が言い終わるか終わらないかのうちに、ほとんどの男子が勢いよく手を挙げていた。

もちろん、そいつらの隣にはもう普通に席の相手が座っている。


あちこちから、


「お前、死にたいの?」


そんな女子たちの声が飛んできた。


「全員、手下ろせ! 下ろせって!

セラは――あそこだな。

クォン・ハヨンの隣が空いてるから、そこに座りなさい。」


俺は神秘主義キャラらしく、手を挙げなかった。

だからこそ、幸運は俺のもとへやって来たのだ。

神と共にある、この俺のもとへ。


まあ、そもそもあいつらとは違う。

俺はもうデートまでした仲なんだから、当然の結果と言えば当然だった。


……いや、違う。


体がおかしかった。

正確には、心臓だった。


なんでこんなに速く鼓動してるんだ。

まるで百メートル全力疾走して戻ってきたみたいだった。

たぶん今日は、寿命が少し縮んだ日なのかもしれない。


そもそも彼女がうちの学校に転校してきたってだけでも気絶しそうなのに、まさか俺の隣の席に座るなんて……。


改めて見ると、制服姿の彼女は初めて会ったときよりも、もっと綺麗で、もっと清楚に見えた。


清楚で可憐、そのうえ良妻賢母そのものだった。

……いや、なんでここで良妻賢母なんて言葉が出てくるんだ?


まさか、もう……。

やっぱりそういうことなのか?

これは天が定めた運命なのか?


彼女がこちらへ近づいてくると、俺は無駄に前髪を整え始めた。

どうせ触ったところで何も変わらない髪なのに、何度も横へ流してみる。


だって、男の完成形はやっぱり髪だって聞いたことがあるからだ。


――あっ、くそ。顔だったか?


それでも、手は震えているくせに、緊張しているところだけは絶対に見せたくなかった。


「こんにちは? 私はセラ。よろしくね。」


俺は返事をしなかった。

今回は頷きもしなかった。


悪い男っていうのは、こういうものだ。


……いや、本当は緊張しすぎて何もできなかっただけだけど。


すると、セラは何度か俺の顔を見てきた。


やっぱり俺みたいなやつは初めてなんだろう。

気になってるのか?

そのうち惚れるんじゃないか?


そんなことを考えながら、心の中で自分に拍手を送りたくなった。


授業中、俺は何度も横目でセラを見た。


どうして横顔までこんなに綺麗なんだろう。


すっと通った鼻筋。

切れそうなくらい整った顎のライン。

ときどきわずかに動く唇。


中学生とは思えないほど大人びていて、信じられないくらい知的な美しさを持っていた。


外国の女の子って小学生や中学生の頃から大人っぽく見えることがあるけど、どこかそんな雰囲気に似ていた。


授業のたび、まだ教科書を持っていないセラと一緒に教科書を見た。


そしてページをめくるたびに、ところどころに描かれたふざけた落書きを見つけては――


本気で教科書を投げ捨てたくなった。


俺は返事をしなかった。

今回は頷きもしなかった。


悪い男っていうのは、こういうものだ。


姿勢もぎこちなかった。


プロらしくない。


いや、待て。何のプロだ。


肩が触れるどころか、尻を後ろへ引き、背筋は四十五度くらい伸ばした不自然な姿勢を維持していた。

両手はセラから一番遠い教科書の端にきちんと揃えて置く。


呼吸すらまともにできなかった。


息が詰まりそうで、かろうじて口だけで空気を吸っていた。


まるで水槽から出された金魚みたいな呼吸だった。


授業中ずっと、俺はじわじわ汗をかき続けていた。


それにしても、誰だ。

教科書にこんな幼稚な落書きをしたやつは。


ページを開くたびに恥ずかしくなる。


表紙からして最悪だった。


元のタイトルを太いペンで塗り潰して、別の単語に書き換えてあったからだ。


先生が黒板で何を説明しているのかなんて、聞かれても分からない。


というか今この場所で、俺が何をしているのかすら分からなかった。


頭がぼんやりして、偏頭痛がしそうなくらい意識がどこかへ逃げていた。


「今日は本当にありがとう。じゃあ、またね。」


こうして彼女との教室デートは幕を閉じた。


およそ八時間。


しかも、ずっと隣同士で座っていた。


完全にデートだった。


達成感と満足感が一気に押し寄せてきた。


もう自分を制御できないくらい、俺は完全に腑抜けになっていた。


放課後、友達の連中は「遊び行こうぜ」と俺を誘ってきた。


けれど、長時間のデートで疲れ切っていた俺は、即座に断った。


家へ帰る途中、アイスを舐めながら歩いていると、あの本屋が目に入った。


俺は足を止めた。


……あれ?


……いや、待て。


そういえば――。


「っていうか……シン・セラって、俺が誰か分かってなくないか?」


そう気づいた瞬間、舐めていたアイスを思い切り噛んだ。


前歯がキーンとした。


でもそんなことは問題じゃなかった。


歩く速度を上げて、俺は本屋へ立ち寄った。


店内を一周する。


もちろん、いるわけがない。


分かっている。


それでも少しだけ期待してしまった。


結局、名残惜しさだけを連れて、俺は家へ帰った。


「母さん! 母さん!」


玄関から俺は叫んだ。


「ん? ハヨン帰ってきた?」


毎日聞いているはずなのに、なぜか安心する母さんの声が返ってきた。


そして同時に、友達の声も頭の中によみがえった。


――お前、なんでそんな太ったんだ?


「母さん! 俺、太った!?」


「太った? まあ、少しは太ったけど、今は身長伸びる時期だから大丈夫よ。そのうち全部落ちるって。」


「違う! 太ったか聞いてるの!

身長とか今はどうでもいい!

俺は今この瞬間が一番大事なんだよ!

太った!? 太ってない!?

ねぇ母さん!? 母さん!!」


「制服がちょっと小さくはなってたわね。」


「ちょっと?

え? ちょっと小さくなった?」


「うーん……」


母さんは三秒くらい黙った。


「実は、ちょっとかなり?」


母さんは笑った。


「くそっ……母さんマジかよ!」


俺は苛立った声を残して、自分の部屋へ逃げ込んだ。


鞄を放り投げ、そのままベッドへ倒れ込む。


しばらくそうしていたあと、自分の肌の匂いを嗅いでみた。


別に臭うのかどうかなんて分からない。


でも、理由の分からないイライラのせいで、そのまま風呂場へ向かった。


普段なら風呂に入るのは夜になってからだった。


なのに、この日だけは少しでも早く入りたくなった。


「くそっ……マジで最悪だ!」


鏡に映った俺を見ながら、自分自身に悪態をついた。


いつからこうなった?


まさか――。


だから俺だって気づいてもらえなかったのか?


そんな勝手な想像と勘違いを繰り返して、俺は一人で喪失感と絶望に沈んでいった。


やっぱり男の完成形は髪じゃなかった。


顔だった。


もし俺が、とんでもなくイケメンで魅力的な男だったら――


セラはきっと一瞬で俺だって気づいてくれたはずだ。


そして、もっと親しげに話しかけてくれたんだろう。


……たぶん。


八時間ずっと隣に座って、同じ教科書を見ながらデートを楽しんで――


俺たちが交わした会話は……。


「おい! おい!

何がデートだよ! 会話って何だよ!

一言も話してないじゃねぇか!」


……そうだった。


そもそも会話なんてもの自体、交わしていなかった。


休み時間になるたび、セラは教室の外へ出て行った。


そして授業のチャイムが鳴る頃に戻ってくるか、周りに集まってくる連中の相手をしていて忙しそうだった。


昼休みも同じだった。


結局、ずっと俺だけが席で小さくなって座っていただけだった。


「あああもう! イライラするううう!!」


俺は浴室にしゃがみ込んで叫んだ。


すると母さんが何事かと思ったのか、ドアを軽く叩いた。


「ハヨン? どうしたの?

今日、何かあった?」


俺は苛立った口調で、


「知らない! いいからパンツ持ってきて!」


と、思いきり叫んだ。


母さんは「はいはい」と返事をして、数分もしないうちに、


「じゃあ、ドアの前に置いとくね。」


と言った。

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