18,何度でも君の傷を……
重いほどの沈黙が落ちる。ギルベールは机の側に立っているまま動かず、わたしも距離は詰めない。
「……なにか、用か?」
耐えかねたギルベールからの言葉。
言葉はわたしに向いても、やはり視線はわたしには向けられない。そんな態度を見て困ってしまう。
「ギルベール」
「……」
「ここに宣言する。――わたしは、君を幸せにする」
何度この言葉を言っただろうか。だけどこれからは、これまでとは違うものにする。――そう決めた。
わたしの言葉は不意打ちだったのか、ギルベールの横顔からでも目を瞠るのが見えた。
けれどすぐに眉根を寄せて表情を歪め、唇を噛む。
「……知っている。あなたが、そういうつもりでいることは。だが……」
「ギルベール。わたしを見ろ」
「俺にそんなことはしなくていい。俺は――」
「ギルベール」
「自由に、好きにしてくれ。あなたが、あなたのためにだけ――」
床を蹴った。
ほぼ同時にダンッと音が鳴る。
「っ!」
「わたしを見ろ。ギルベール」
ギルベールの顔はわたしの下に、ギルベールの下には机。
胸倉を掴んで押し倒したわたしを、ギルベールの黒い瞳が驚愕で見つめる。
戦場を潜り抜けてきた彼をここまで驚かせることができたなら上々だ。どうやったのかなんて説明するつもりはないけれど。
否が応でも目が合う。だが頑なにギルベールは視線を逸らそうとする。
……腹が立ってきた。胸倉から手を放して、両手でギルベールの頬を包んでこちらを向かせる。
「っ……」
「君は頑なだな。わたしより、君が傷ついているのだと気づけ」
「!」
普段から不必要にわたしに触れようとしないギルベール。わたしの手を掴もうとして迷い、それでもなんとか振り払おうとしていた動きが止まる。
「わたしはなにも気にしていない。傷ついてもいない。むしろ……君のおかげで己の愚かさに気づいた」
「……」
「わたしは、周りの者を替えの利く手足のように思ってしまう節がある。近くにいればいるほど個人的に向ける感情は加味しない。成長を楽しみに思うのも、窮地に助けると言えるのも、手に入れたものを失うのがもったいないと思っているからだ。そういう非情で、怖さがある人間だ。近ければ近いほど、そう思う」
逆ではない。――あまりにわたしは、独りに慣れていた。傍にいるだれかは同じ目的と役目がある者たちだった。
そんなものを持たない者は旅の中での出会いだけ。仕事上少なくなかった戦に参戦する目的も、そんな者たちがいたから。だからどこか、旅での縁は眩しかったのだ。
「……難儀だと、自分でも思う」
「……」
「君がくれたのは、気づきだ」
そっと白く細い指で、ギルベールの頬を撫でる。
(今はまだ、わたしと『シルティ』は同じではない)
それでもいつか、同じになれるといい。
同じ想いで、ギルベールを幸せにしたいと思えるように――……。ただ自然と、そう思えるように――……。
「だからギルベール。仕切り直しだ。――君を、幸せにする」
「――……なぜ、そうなる……」
「ふふっ。そうだな……。これまでは、君が自分の傷に無頓着で放っておけなかったから、かな? 今は君を愛せるようになろうと思っている」
ギルベールが目を瞠って、体から力が抜けた。それを見て、ちゃんと話ができるようになったと実感する。
そっと頬から手を離すとギルベールは腕で目元を覆った。
「っ……あなたはっ……」
「うん」
「なぜっ、そこまでっ……。これまでのことも昨夜の俺の不用意な発言も、俺はあなたを傷つけてばかりだっ。なのにっ、なぜそうも……平然と受けてそんなことが言えるっ……!」
その声は少しだけ震えているように聞こえた。
怒りなのか悲しさなのかは知らない。ただ嗚咽ではないということは解る。あふれる感情をきっとギルベールも知らない。
――だけど、その答えは決まっている。
「夫婦だから」
「っ……!」
ギルベールは、他の者たちとは違う。
それはわたしが周りに対して平然と思っていたものではなく、『シルティ』という存在を通して感じていたもの。
――これを変える。『シルティ』の想いのために動くのではなく、『シルティ』の想いを胸にしたわたしとして、ギルベールを愛せるように。
(だれかを愛するなど、考えたこともなかった)
前世も。今も。
だから『シルティ』の想いを当然のように引っ張ってきた。
そうではない方法を探そう。道を探ろう。
わたしと『シルティ』が、二人で。
手を伸ばす。ギルベールの腕をとって引き上げる。
やっと顔を見せてくれたギルベールはわたしを見て、またそっと目を逸らす。だけどそれはさっきまでとは違う態度だ。これならばよし。
「……あなたは、よくわからない」
「うん。わたしもわからない」
「……自分のことだろう?」
「自分のことでもわからないことはわからないし、難しいことは難しい」
軽く笑うとギルベールは肩を落とす。
そう言わないでほしい。わたしはわたしではなくわたしと『シルティ』でもあるのだから。……言わないけど。
「その……」
「ん?」
「……昨夜は、不快にさせることを言った。すまない」
「気にしない」
ちゃんと謝罪できるのはよいことだ。それはしかとした教育の上に成り立つ行為であり、ギルベールの両親の教育を感じさせる。よき教育だ。
「わたしこそ非情なことを言った。君は使用人たちを大事に想っているというのに、だれでもよいかのように、替えが利くかのように言ってしまった。すまない」
「……俺にとっては……息が吐ける場所を変わらず守ってくれている者たちなんだ。辺境から来てくれた者たちも……家族同然の長い付き合いでもある」
「うん。これからもわたしが愚かを言うようなら遠慮なく怒ってくれ。そのほうがいい」
「……分かった。……俺も、あなたを不快にさせることを言ってしまうことがあるかもしれない。そのときは怒ってくれ」
「分かった」
やっとギルベールの表情が和らいだ。
……傍にいる者との付き合いは難しい。だけれど、大事にしていこう。
「うきゅー……?」
そーっとうかがうような鳴き声が聞こえて思わずギルベールと二人で視線を動かす。
机の上、わたしがギルベールを押し倒したそこよりも離れた、机の端に近い場所。
そこにいる守護獣がきゅっと目を瞑って小さな手でぱっと目を隠し、必死に見ないようにするかのような行動をとっていた。だけど、その目が「もう開けてもいい?」と問うているようにちらりと藤色を覗かせる。
「――……ふっ。ギルベール。子どもが見てはいけないことをしてしまったようだ」
「なっ!? ち、違う! そんなことしなくていいっ、というかなにもしていない!」
頬を染めたギルベールが守護獣の手を放しにかかる。
押し倒すようなことをしてしまったから守護獣の行動も解らなくはないが、それをまだまだ子どもな守護獣にとられたことに笑いがこみあげて抑えられない。
そんなわたしとは違ってギルベールはひどく動揺しているが、すぐに守護獣に「しなくていいんだ」と言い聞かせて手をどけさせ、「いいの?」と言わんばかりに首を傾げる守護獣に「どこで覚えたんだ…」と困惑と驚愕と疲労の様子で項垂れている。
「ギルベール。それで、今後のことなんだが」
「……今度はなんだ」
なんだかギルベールはひどく疲れきったようだ。なにかあったかな?
内心で笑ってしまいつつも、共有はギルベールからの頼みなので話を続ける。
「アステナのことだ。彼女が戻ってこられるように少し動きを変えようと思う」
そう言うと、ギルベールは表情を変えた。背筋を伸ばしてわたしを見る。
「座ってくれ。詳しく聞く」
昨夜のことを踏まえ考えたことをギルベールに伝えることにする。
商会を潰すことを最優先でアステナのことは本人次第としていた策から、商会を潰してアステナをこちらへ戻す、その策を。
話がまとまったところでそろそろ夕食だということになり、二人で食堂に向かうことにした。
話はまとまったことはまとまったが、別の問題でギルベールが怒っている。
「だから、いいじゃないか。夫婦なんだし」
「よくない!」
「カフカント夫人だって、一緒にしてしまえば考えなくて済むと言っていた」
「夫人にそんな話をしたのか!?」
「奥様と旦那様。仲直りできたみたいでよかったですね。ハインさん」
「……まあ、確かにあれはいつもどおりではあるが」
「なにが問題なんだ。ちょっと夜に奇襲するくらい」
「おおいに問題だ!」
「ない。わたしと君は夫婦だ。なにもさっき守護獣がそうしたように見せられないことをするわけでも――」
「それ以上言うな! ――ハイン! 今夜は彼女を部屋から出すな!」
「なんたる暴挙。……やる気か?」
「……差し控えさせていただきます」
「ハイン!」
「はははっ! 今夜が楽しみだ!」
「今夜は宿舎に泊まる!」
「承知しました」
「分かった。ではそっちに――」
「来るな! 頼むから大人しくしてくれ!」
いつものギルベールの吼えが屋敷に響き、使用人は皆、奥様と旦那様は仲直りしたんだとそれはそれは安堵したと、後にリアンに教えられた。




