19,商会訪問
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「アステナ」
兄さんに見張られながら部屋を出て外へ向かっていると、久方の声に呼び止められた。
振り返るとそこに、父と同じ態度をとる母がいる。
父と同じである母に私はあまりいい感情を持っていない。
母は父の言葉を一度も否定したことがないし、「よいのではないですか?」といつも同調するだけだから。
「なんですか?」
「あなた、いつまで意地を張るつもり?」
「張っていません」
母が呆れたように言うけれど、私だってため息を吐きたい。
(ただの意地、か……)
そうなっているのかもしれない。
だけど、それが私が進みたい道だから。
「貴族家の娘は家のために、その目的と利のために婚姻する。その責任があるのよ」
「ええ。理解しています。ですがそれに殉じるつもりはありません」
両親にはなにを言っても無駄。通じない。
私の言葉は貴族家の娘として、すべてを放棄した、無責任な言葉。それでも――……。
「自分がやりたいこと、進みたい道。選ぶために足掻くことは悪いことですか?」
「……。……それが叶うと思っていて?」
「叶うか叶わぬかではありません。叶えるために、動くのです。やりきらなければ、いつまでも納得できず諦めもつかずその後を嫌々に過ごすだけではありませんか」
母の眉が動いて、私を睨むように見る。
その目を真正面から受け取った。
「お母様はそれでいいと思っているのですか? 自分がしたいこと、願ったもの、なにもないのですか?」
母の睨むような目が刺さる。その目が一瞬だけ揺れるのが見えた。
だけど答えを出すことなく、母は身を翻した。
「おーおー、言うねえ」
「一般論よ」
「一般人に通用するやつだろ」
笑う兄の言葉は耳に入れない。
私はただ、私のために歩きだした。
馬車を降りてやってきたのは王都の中でも大きな店の前。
私が入ろうとしている建物の隣には大勢の人が出入りする店がある。あっちは商会の品を売っているらしい。
それを横目に見ながら、私はハーベル商会本部へ足を踏み入れた。
入ってすぐは来客の応対ができるようにゆったりとしたスペースがとられていて、受付には人がいる。その人は私を見てにこりと笑みを浮かべた。
そんな受付の人の側には一人の男性がいる。屋敷へ来るときのマルティオの側に何度か付き添っていた男だわ。
マルティオの側近らしいその人はやってきた私を案内するように前に出てくる。
「ようこそおいでくださいました、お嬢様。どうぞこちらへ」
紳士的な振る舞いで私を客室へ案内する。続く私の後ろには兄がいる。
ここへ来るまでは数人の屋敷の騎士も護衛と言う名の監視だったけれど、さすがに商会内でぞろぞろと騎士を連れているわけにはいかない。
(この見張り、さすがに疲れる……)
生家へ戻ってから一か月。婚姻まであと二月。
ずっと続いてるこの体制にはそろそろ疲れてきてる。
だけど、今日はそれを忘れる日。
やっと外に出られた今、この胸の内にあるいろいろを解消する。
案内してくれている後に続いていると、客室らしい部屋の扉が見えてきた。だけど少し訝しむ。
それは案内人も同じ様子。一度足を止めると「少々お待ちを」と言って自分だけそこへ行く。
「なにをしている」
「すみません。……今日はまだ掃除が……」
「今日は会長の婚約者が来るから先に済ませておくようにと言っておいたはずだ」
「すみません」
潜めている会話が少しだけ聞こえる。
掃除をしていたらしいのはまだ若い青年で、どこか気弱なように見える。……新入りかしら。
上の立場の相手に言い返せないからただ謝って頭を下げるしかない。そんな様子はどうにも落ち着かない。……ああいう光景は以前のロザロス公爵邸でも決してなかったものではないから。
後ろの兄だけはまるで掃除係が悪いと思っているかのように「やっとくもんだろ」なんて悪態ついてる。
客の手前というのを分かっている男性は、すぐに私の前へ戻ってきた。
「すみません。こちらの不手際で」
「いえ。大きな商会ですから、すべての場所に手を回すのは大変だと経験からお察しします」
「お気遣いに感謝を。お嬢様は行儀見習いをされていたのでしたね。お優しいお嬢様が商会に入ってくださること、嬉しく思います」
「……。皆さまのお仕事を少し見たいのです。できれば、それについてゆっくりお話できる場所がいいのですけれど」
「会長はご自身で案内したいようでしたし、お嬢様の熱心なご様子を見れば喜ぶでしょう」
そう言って、一度だけ外を気にするような様子をみせた。
「……会長は?」
「商談で外に。少し長引いているようで、すぐに戻ると思います。……そうですね。商談に使う部屋が――」
「あ、あの……」
おそるおそるというように声をかけてきたのは、さっきの掃除係の青年。
箒を持ってどこかおどおどとしながら覗き見るように男を見る。
「どうした」
「しょ、商談の部屋は……今日はいっぱいで…」
「ああ。分かってる」
「す、すみません……」
余計なことを言ったと思ったのか、青年はそそくさと礼をして去っていった。そんな背中を見た後ろから「うぜえ」なんて言葉が聞こえた。
聞こえているのか聞こえていないふりをしたのか、男は私ににこりと微笑む。
「それでしたら、会長の部屋に案内しましょう。会長が戻ってすぐにお話ができるでしょう」
「……分かりました」
正直に言えば、マルティオが戻るまで商会内の様子を見ておきたかったのだけど、仕方ない。あまり食い下がると怪しまれるでしょうし、なにより後ろを引き離すのが難しい。
男の後について廊下を歩き、階段を上へ昇っていく。
商談や商人たちの威勢のいい声が少しだけ遠ざかる。音をすべて上から見下ろすような位置に来て、男はある部屋の扉を開けた。
「どうぞ」
広い室内には書棚に収まった本、仕事机、テーブルとソファ、高価そうな調度品や置物が数多い。机には仕事関係でしょう書類も載っていて、思ったよりはちゃんと仕事をしてる様子が見て取れる。
「会長が戻り次第すぐお連れします。座ってお待ちください。――セグレイ殿、一緒に下にどうです? お見せしたい品があるのですが?」
「俺、あいつの傍離れるなって両親に言われてまして。また今度」
「それは残念です。では――……おや?」
部屋を後にしようとした男の目が廊下の先を見て、なにかに気づいた顔をする。それがなんなのかは考えずとも予想できた。
「あれ、キアン。どうしたのかなあ? ――あ、もしかして、アステナちゃん、もう来たの?」
「おかえりなさいませ、会長。お嬢様がお待ちです」
言葉を交わしながらやってきたのはマルティオ。開けられた扉の向こうにその姿が見えて、少しだけ体が強張る。
その目が室内を、私を見て、いつもの笑みを浮かべた。
「ごめんねえ、遅くなって。お待たせ」
「……」
対応はいつものように。それでいい。
だから今日もそうする。
マルティオはそんな私に気にした様子もなく室内に入ると、兄に対してなにかを耳打ちした。
怪訝と見ていると、兄の顔は少し悩まし気になって、驚いたものになって、にやにやとしだす。あまりの七変化に私は少し気味が悪くて顔が歪む。
「なるほど。それは仕方ないですね。――んじゃ、ここはマルティオ殿に任せて俺はちょっと失礼を」
「うん。ありがとう、セグレイ君。お礼はちゃんとするからねえ」
「いえいえ」
見るからにほくほくした顔で兄が部屋を出ると、ぱたんと扉が閉じられた。――その音がいやにはっきり耳に入って、背筋に冷汗が流れた。




