13,社交界でははじめまして
「――セグレイ様。アステナ様。ごきげんよう」
聞いたことのある音が、耳に入った。
ふっと軽く息を呑んで、視線を向ける。
美しく品良い所作で礼をする、一人の夫人。
頼りなさげにも、芯の強さがあるようにも感じられる、静かな自信を感じさせるまっすぐな瞳。余計な装飾で飾ったりしていないシンプルな様相は清楚の一言が相応しい。
「これはこれは、カフカント夫人。お久しぶりです」
仰々しく挨拶をする兄が一歩前に出た。
まるで私が前に出ないようにするかのような動きとその横顔、見て理解した。
(兄さんにとっても予想外。やっぱり、カフカント家は招待されていないはずだったのね)
私の動きを警戒する両親たちだ。だからこそ、奥様と関係ある人は招待しないよう根回しをしていたはず。
それなのに、今、目の前にカフカント夫人がいる。
少し混乱している私たちを見て、カフカント夫人が微笑んだ。
「いらしていたのですか。ご挨拶が遅れて申し訳ありません」
「お気になさらず。私も今回はお誘いいただいたのです」
「そうだったのですか」
ちらりと会場に視線を向けて確認する。
招待されている貴族の多くとは挨拶をした。その中でカフカント侯爵家と関わりある家だってあるだろうし、夫人が誘われていてもおかしくない。
主催者である伯爵側だって、侯爵夫人が招待状なしにどこかの家の誘いで来たとしても帰れとは追い返せない。
(だけど、どうしてここに……)
ただの偶然? それとも――……。
思わず会場内にその姿がないかと探してしまう。そんな自分に気づいて、自嘲して、カフカント夫人へ視線を戻す。
「今夜はお一人で? 侯爵様もご一緒でしたらぜひご挨拶したいのですが」
「旦那様は少々お忙しく、私だけです」
「ではまたの機会に。しかしそれでは夫人もお寂しいのではないですか? 私がエスコートしてさしあげたいくらいです」
「まあ」
調子のいい兄にカフカント夫人はくすくすと喉を震わせて応じている。それを見て内心でため息をついて呆れた。
(侯爵夫人に対して無礼がすぎるわ。夫人が寛容な方であるからよかったものの……だれかが聞けば咎められるし、侯爵様がいればお怒りものよ)
未婚の令嬢ならともかく、既婚女性に対する言葉じゃない。
カフカント夫人は兄を咎めることもなく話に応じて――視線をちらりと私に向けた。
目が合って、夫人が微笑んだ。
「兄さん。ちょっと」
「おまえは黙って――」
「カフカント夫人にご挨拶してないわ。そんな無礼できるわけないでしょう?」
そんな無礼な者にしていいのか。それがどう我が家に影響するか。
兄も瞬時に計算したのか、渋々というように半歩下がった。
やっと、カフカント夫人とちゃんと対することができた。
少しだけほっとするような不思議な心地になった。夫人とは公爵邸で一度、侯爵邸で一度お会いしているけれど、そのときはあくまでメイドとしてだったから、もしかしたら格好が変わった私に気づいていないかもしれない。
「ごきげんよう、アステナ様」
「ごきげんよう、カフカント夫人。改めまして、アステナ・シュレダンと申します」
「話は聞いています。ハーベル商会長とご婚約されたとか。そのドレスは商会長から?」
「……はい」
似合ってない、嫌なドレス。
一瞬視線が下がってしまった私は、すぐに小さく息を呑んだ。
カフカント夫人が私に一歩一歩と近づいていらっしゃるから。
「もっと背を伸ばして。あなたはきりっと背を伸ばしている姿がとても似合うわ。私にとってはとても羨ましい、凛とした様があるもの」
「も、もったいなきお言葉、恐悦にございます」
少しだけ、息を呑んだ。
思わずカフカント夫人を見れば、言葉に嘘はないと言うような頷きが返ってくる。
(夫人、気づいて……)
私の腕に軽く触れていた手を離したカフカント夫人を思わず見つめる。だけどそれも長く続かず、横から伸びてきた腕に引っ張られた。
「申し訳ありません。カフカント夫人。妹は少々疲れているようで」
「いいえ。お疲れならば無理をさせなかったかしら?」
「だ、大丈夫です!」
「伯爵にお話して部屋を借りることもできるから、遠慮なく言ってちょうだい」
一瞥を向けて兄を睨んだ。にっこりとした笑みは夫人に向いたままで憎らしい。
私と夫人を早く離してしまいたいって魂胆が見え見え。夫人は気遣うように私をうかがってから、優しく気遣って微笑んだ。
「アステナちゃん、セグレイ君。ここにいたんだねえ」
聞こえた声に視線を向ければ、マルティオがのんびりとこっちへやってくるところだった。
挨拶は一通り終えたんでしょうけれど疲れた様子もなにも見せない。こっちへきてカフカント夫人に気づき、紳士らしく挨拶をする。
「ごきげんよう、マルティオさん」
「こんばんは、カフカント夫人。僕たちの婚約披露目にいらしてくれるなんて嬉しいなあ。侯爵様も?」
「いいえ。旦那様はお忙しく、私が代わりに」
「そっかそっか。夫人も大変だねえ」
慣れたような会話。だれにでもこの調子なのでしょうね。
そんなマルティオは私たちを見てから「バルコニーにでもどう?」と誘う。少し迷っている間に兄は断ろうとし――けれど、カフカント夫人が頷いた。
「まあ。ではお二人のお話をお聞かせいただけるかしら。旦那様にもお聞かせしたく思っているんです」
「侯爵様は僕たちの婚約にご興味持ってくれているの? 嬉しいなあ」
……なにも嬉しくないわ。
夫人が応じたことに兄が拒否はできない。私たちはバルコニーへと移動した。
会場の喧騒から少し離れただけなのに途端に静かになった感じがする。会場の明かりが外まで漏れていて足元に困ることもない。
漏れる灯りと月明りが周りを照らして、夜なのに夜ではない不思議な感じがする。会場の熱を外の空気が冷やしてくれて、無意識に張り詰めた糸が少しだけほぐれる。
そんな外なのに隣の兄はどこか面倒そうな、嫌そうな顔をしている。
(マルティオは私がロザロス家で働いていたことは知っているようだけれど、ロザロス家を警戒していない。だから奥様と交友あるカフカント夫人もさして警戒はしていない)
たぶん、警戒するほどではないと思っている。
理由は簡単。これは家の問題だから。
父や兄にとっても本来はそう。だけど二人は一度旦那様直々の来訪を受けているし、私が戻る気でいるからこそ接触して助けを求めるのではないかと思っている。
だとしても、優先され重要視されるのは――おそらく家のほう。だからマルティオは余裕綽々。
(私が助けを求めて事を広めれば家の外聞が悪くなる。それが嫌)
求めているのはそれじゃない。ただそれだけ。
マルティオはポケットから小さな煙草を取り出した。
「一本いいかな?」
「ええ。どうぞ」
快いカフカント夫人の言葉でマルティオはそれに火をつけて、息を吐く。白い煙が空に上がって、風に流れていく。
幸い煙は私たちの方へくることはない。
そんな煙をなんとなく見ていると、微笑んでいるマルティオとカフカント夫人が話し始めていた。
「数々のお話があったマルティオさんがアステナさんを選んだと知って、皆さんアステナさんを羨ましがっておりますよ。アステナさんはとても素敵な女性だとお見受けしましたから、皆さまもご納得のようで」
「嬉しいなあ。僕もアステナちゃんを一目見て、この子だって思えた運命の人なんだ」
「まあ」
「夫人にも分かっていただけるでしょう? 運命の人に出会えるのってとても幸せだから」
カフカント夫人が微かに笑っている。少し前までそんな噂の渦中におられたから。
(私にとっては、運命なんて言葉は似合わないけれど)
内心で小さく息を吐く。そんな私に気づいたのか、カフカント夫人の視線を感じた。
私を見て、カフカント夫人は少し悩まし気に頬に手をあてる。
「アステナさんはたしか、ロザロス公爵邸で行儀見習いをされていたとか」
「は、はい。私は――」
「そうなんです。ですが妹は今回のマルティオ殿との婚約にあたり、それを切り上げることになりまして。公爵様も快く送り出してくださいました」
隣をきっと睨むけれど、うすっぺらい微笑は崩れない。私が余計なことをしないようにしっかり監視をしておくつもりらしい。
私の半歩前に出る兄を見て、カフカント夫人は微笑んで頷いた。
「そうだったのですね」
「ええ」
カフカント夫人の表情に疑いはない。兄もそれっぽく頷いている。
(カフカント夫人は奥様とご友人とはいえ……こんな話、奥様がなさっているはずないか……)
いくら友人とはいえ、家と他家に関することに、さらに関係ない他家を巻き込むことはできない。奥様もきっと――……。
だからこそ私は私の力でどうにかしなくちゃいけない。




