10,友とのお茶会
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カフカント夫人との関係が構築されなおしてから、夫人との時間も少しずつ増えている。
社交会では話をするし情報交換もする。よき友人としての関係も、協力者としての関係も、わたしたちにはどちらもある。ないのはただ――探り合う貴族的関係だけ。
カフカント侯爵邸に招かれ、二人でお茶をする。
この時間は他の貴族を招いたものとは違って、ロザロス邸に近い心地でもある。
カフカント邸は使用人が少々顔を変えた。子息令嬢リティア嬢の取り巻きにもなっていた反獣人派の意思が見える使用人がいなくなったことで、この屋敷にはロザロス邸に近い獣人への態度を持つ使用人が多くなった。
これまた、わたしがこの屋敷へ足を運びやすくなった要因だ。突き刺さるような視線はやはり面倒だし疲れる。
カフカント夫人が用意してくれた、嗅覚を刺激しない紅茶を口に含む。
僅かに果実味を感じる。鼻に抜ける香りは爽やかで強くない。
「とても美味しい。さすがアリシャ殿」
「お気に召してなによりです」
カフカント夫人は例の一件以降どこか空気が変わった。
自信をつけたようにも見えるし、逞しくなったようにも見える。これまではどこか肩身を狭くさせ怯えたような様子が見受けられたが、それもすっかり消えた。
顔色も非常にいいし、よく笑うようにも、はっきり物を言うようにもなった。これが本来の彼女なのだろう。
「先日はスワダント商会ヒュリオスさんからのお手紙を届けてくださってありがとうございました。旦那様方もとても驚かれていましたが、安心していらっしゃいました」
「それはよかった。彼女も今は心を入れ替えて学んでいるようだからわたしも安心している。手紙がきたらまたお渡ししよう」
「はい。楽しみです」
リティア嬢とはなにかと衝突のあったカフカント夫人だが、本人はリティア嬢のそれを当然と思いあまり気にしていないようだ。
傷つくことは当然あっただろうが、その表情からは怒りも恨みも感じない。カフカント侯爵がきちんと癒してくれたのだろう。
(相手を恨まないのはその人柄か……。どこかの誰かに似てるな)
少しだけ口端が上がる。
「最近の社交界は君にとってはやっと落ち着いたものだろう?」
少しだけ意地悪に口端を上げて言うと、なんのことかすぐ察した夫人は少しだけ頬を膨らませる。
「もうっ、シルティ様ったら……。あのときはとっても恥ずかしかったのですからね?」
「ふふっ。でも、今ではもう以前のようなことは鳴りを潜めただろう?」
「そうですが……」
これまでもカフカント侯爵と夫人の仲は悪くなかった。互いに気遣い合っていたのは社交界で見られたものだ。
そして今、さらにそれが少しだけ変わっている気もする。気遣い合いながらも、少しだけ、目が違う。わたしにはそう見えている。
(カフカント侯爵も、夫人を子ども扱いせずにしかと妻として見てくれているからかな)
歳の差がある以上その点はどうしても消えづらい。今後も互いのスピードで心地よい距離を作っていくだろう。
あとは二人に任せるのみ。
「ふむ……。カフカント家跡取りはアリシャ殿が先かエリーゼ夫人が先か……」
「っシ、シシシシシルティ様っ!」
「はははっ。冗談だ」
「なってません!」
顔を真っ赤にさせる夫人は非常に微笑ましい。
あわあわとしながら声を少し大きく否定する。思わず笑ってしまうと、顔が赤いままわたしを恨めし気に見てくる。こういう素直な表情も貴族社会ではあまり出せないものだ。
それができる。わたしも遠慮なく笑える。夫人との関係は非常に気が楽だ。
「もうっ。跡取りはリティア様がいらっしゃいますし……。それは、ロザロス家ではないですか」
「ん? んー……アリシャ殿。一つ相談なんだが」
「なんでしょう……?」
「夫の寝室に奇襲するいい方法はないだろうか?」
「……」
夫人の表情は困惑か、混乱か。
「…………寝室を一緒にしてしまえば、奇襲はしなくて済むかと」
「一緒の寝室か……」
考え、頭の中のギルベールが「断る!」と叫ぶ。……私は君の妻なのに。
私とギルベールの少々私的なことを知ってしまった夫人はなにも言わない。さすが夫人。賢い。
あまり夫婦の私的なことを出すのはよろしくないだろうから、この話はこのへんにしておこう。
「ありがとう。参考になった」
「いえ」
紅茶を一口いただく。変わらぬよい味を感じながらも少々ため息をつきたくなる。
(夫婦というのは難しいな)
独りならこんなことは考えなくていい。前世のように、いつも気楽に自由にいられた。
誰かが傍にいるというのは少し不自由で、独りならしなくてよかった思考が必要になる。
――だがこれも、悪くない。
独りならない、誰かを想う思考というのは忙しく、気苦労が多く、けれど――心地よい。思考と行動の成果をだれよりも傍で感じられ、見ることができる。
物ではない。
心に、その成果が満ちる。
(わたしはギルベールを吼えさせたり、胃痛を与えているばかりのようだが、それもまたよし)
だってそれは、ギルベールのこれまでにはなかったものだ。
わたしが、与えたものだ。
とはいえわたしはギルベールを幸せにするのが目的だ。笑顔にだってさせたいから、これからはそっちも頑張ろうと思っている。
「私たちの話もですが、ハーベル商会の会長様がご婚約なされたとか」
「その話ならわたしの耳にも入っている。相手はシュレダン子爵のご息女だろう?」
「はい」
頷いたカフカント夫人は少し考えるような仕草をみせた。
「私は生家が子爵家ですので、同格のシュレダン子爵のことはよく存じています。同格とはいってもあちらのほうが財も力もあったのですが……。シュレダン子爵にはお二人のご息女がいらして、長女は社交界に一度か二度くらいしか姿を出していないと記憶しています」
そちらがアステナだ。
彼女は三年前、つまり十四歳のときにロザロス邸で働きだしている。社交界にデビューしてすぐ社交界を離れて働き始めた。だからあまり顔も名も通っていない。
「シュレダン子爵秘蔵の子かと。ハーベル商会長も非常に前向きな婚約だということで、今とても社交界を賑わせています」
「秘蔵っ子、ねえ……。だったら野心を満たせる相手を選んで当然だ」
用意してくれた菓子をいただく。美味しい。果実の甘みと酸味が絶妙だ。
「まだそのご息女に会ってはいないのか?」
「はい。今はまだ。……シルティ様は?」
「わたしは毎日会っていた。最近は会ってない」
カフカント夫人がきょとんとした顔をした。
秘蔵っ子を毎日見ていたとなると少し驚くだろう。それに、わたしとシュレダン子爵家には表向きなんの関わりもない。
カフカント夫人はわずかな思案の末、声を潜めた。
「ロザロス家で奉公を……?」
「正解。ちなみに、君も会ったことがある」
うすらと口端を上げて返すと、カフカント夫人は記憶を辿るように視線を動かす。
適合する年齢と一度二度見た昔の顔立ちを思い起こしながら比べていた数秒の後、ロザロス家の使用人の中から面識ある者をはじき出すのは簡単で、すぐに視線が戻ってくる。
「シルティ様のお側にいた、あのときの茶会の侍女、ですか?」
カフカント夫人の問いにわたしは頷いた。
シュレダン子爵は社交界に出なかったアステナを秘蔵っ子とさせて結婚相手を選んでいた。そしてハーベル商会を釣り上げた。
アステナと子爵の思惑は異なる。しかし、子爵にとってアステナの意思は二の次であり、この婚姻を是が非でも達成させるつもりでいる。
「……少し驚きました。彼女はシルティ様によく仕えて、信頼関係もあると思っていたので」
「そうだな。……彼女ほどの人材は他にいないんだがな」
アステナがこの縁談を望まない理由は家族との確執もあるだろうが、長年抱いていた自身の夢もある。
アステナにとっては一度否定された夢が今、形を変えども叶っている。わたしもアステナという人材を欲した。……二人といない人材だからとても貴重なのに。
(それに、アステナはよく働いてくれるし、努力も怠らない)
使えると思った者でも、実際に使える者になるかは別の話だ。
ゼノンとアランも同じ。あの二人もわたしが与えた数々の鍛錬をこなし、潜り抜け、そして今働いている。途中で折れることがなかったからこそわたしは二人を部下にした。
アステナも同じ。わたしは機会を与えたにすぎない。それを掴みとろうとしたのは彼女自身であり、今もそれを怠らぬ鍛錬をしているからこそ、わたしも目をかける。
「それに、シュレダン子爵はわたしにもギルベールにも祝いの言葉ひとつかけさせてくれない」
カフカント夫人の視線が動いたが、沈黙が保たれる。
「アリシャ殿。ひとつお願いがあるんだが」
「私で御力になれることでしたら」
「無論、君やカフカント侯爵の不利益になるようなこと、迷惑をかけることは今後もしない。約束する」
「ふふっ。シルティ様のそういうところ、私は疑ったことがありません」
「光栄だ」
優しく、気高く。侯爵夫人として、友人として。
彼女の浮かべる微笑みをわたしも信用している。




