8,見えてきた
~*~*~*~*~*~
「旦那様が……?」
自室に軟禁状態の私に、この家を継ぐ兄が旦那様の来訪を教えてくれた。
といっても親切心じゃない。そうならもっと早く、旦那様がいらっしゃるより前に言ってくれる。
兄が私にそれを教えたのは、旦那様が帰ってからだった。
私が逃げないようにご丁寧に扉の前に立ち、扉に背を預けている兄は腕を組んでいる。
「たかが使用人が一人辞めたくらいでわざわざ乗り込んでくるなんて、面倒くさい男だな。ロザロス公爵は」
「失礼よ」
「はっ。なにが失礼だ。だれだってこうだろ? あんな落ちこぼれの、反逆者の息子になんて」
膝の上で拳を握った。
だれだってそういう目で旦那様を見る。それは無理もないことかもしれない。実際に王弟殿下を引き金にファルダ国とは戦が起こり、何人もの人が亡くなった。
だけど、旦那様はそんなことはなさらないし、ただ静かに、騎士団でのお勤めに邁進していらっしゃる。
旦那様は戦のこともお父君のこともなにも言わない。私たちだってそこには立ち入らない。
ただ、これまでどこか強張って張り詰めていた旦那様の空気を柔らかくさせたのは、間違いなく奥様の力。
旦那様がお父君のことや奥様のこと、どう思っているのか深いところは私には分からない。だけど、旦那様という人を見ていれば、どういう御方なのかくらいわかる。
自分の立場を理解しているからこそ表に出ようとせず、使用人にもとても心を配り、奥様のことを気にしてどこか気遣って、奥様に吼えて。そんな普通の人。
(旦那様がいらしたということは、私がここに望んでいるわけじゃないと気づいてくれたはず)
ロザロス邸を出る前に、わざわざ旦那様と奥様に「必ず戻る」とお伝えしておいてよかった。
父には私がしたことで旦那様に疑念をもたれたことが知られただろうけれど、そんなことは構わない。
だけど、それが分かっても、旦那様や奥様が動ける範囲は狭い。あの父なら、私が帰らないことで持たれる疑念を薄くしようと私の辞意を旦那様に出したでしょうし、シュレダン子爵家の問題と言い切れば旦那様は関われない。
(あとは私が動かないと)
ちらりと視線を窓に向ける。ご丁寧に鉄柵をつけて外に出られないようにされている。
この家に来て早々に騎士と立ち回ったから、私の逃亡を危惧した父が命じて逃げ道を封じた。……冷静であれって、奥様にも常々言われていたのに。
「アステナ。いい加減諦めたらどうだ? いい話じゃないか。玉の輿になって我が家も助かる。なにが不満なんだ?」
「あなたには一生理解できないわ」
兄は父と同じ。家のため、財力と権力のためならなににでも媚びるし、使えるものはなんでも使う。
だから妹は十五歳で婚約者を決められた。相手は高位貴族にも顔が利く伯爵家の長男。弟もきっと似たようなことになる。
「私の幸せは、私が決めるものよ」
そしてそれは、ここにはない。
瞼の裏に思い出すのは、私の幸せがある場所。
「夢を見るなよ。貴族の結婚にまさか恋愛結婚がありえるとでも? おまえ、そこまで子どもだったのか?」
「結婚が幸せとは限らないでしょ。結婚が不幸の始まりなんてことも貴族ならざらにある」
「取り入るのが下手くそだったんだな。なんでもやって我が身を守り、力を得てこその幸せだ」
「そんな幸せなら犬の餌にしてやったほうがマシね」
誰かに取り入って、媚びを売って、そうしなければ手に入らないものがあるとしても、それを幸せとはいわない。
貴族として、結婚に夢を見たことはない。結婚が頭をよぎらなかったわけじゃない。いずれはこうなることも頭のどこかでは解っていた。
だから、全部捨てる覚悟で逆らう。
「犬の餌、ねえ……。――ふっ。じゃああれだ。ロザロスのところの犬は、その餌を飼い主からもらったってわけだ」
「は……? ――っ!」
「尻尾振ってきゃんきゃん鳴いて。さぞ躾甲斐のある犬だっただろうなあ?」
思わず立ち上がって兄を睨む。にやにやと気持ちの悪い笑みが私の神経を逆撫でる。
(ここで誰であるかを口にすればそれを突いてくる。嫌なやり方)
『アステナ。いつなんどき何があっても、常に冷静に状況をみなさい』
ふと、思い出す。その言葉があるから無意識に深く呼吸して、心を静めることができる。
目の前の兄に怒っても、それで我を忘れちゃいけない。落ち着いて。
「言っておくけれど、その侮辱、耳に入ったらただじゃすまないわよ。旦那様だって侮辱には決して黙っていないから」
「ははっ。面白いこと言うな。ここからロザロスの屋敷まで聞こえるとでも? それは無理だな」
確かに、直接奥様の耳に入ることはない。父も兄も今後私を奥様に会わせることもない。
でも――奥様は常に情報を集め、耳を動かしている。
(それに――……)
奥様の耳に入るのはきっと間違いない。
確信がある私の耳に扉をノックする音が聞こえた。兄が扉から背を離し、開ける。
その向こうに見えたのは屋敷の家令だった。
「お嬢様。旦那様がお呼びです」
~*~*~*~*~*~
夕食を終え、俺は彼女を仕事部屋に呼んだ。
俺はなるべく、呼ばれる以外では彼女の部屋には入らないようにしている。どうにも慣れないというのもあるし、一応使用人たちの目を気にしてというのもある。
夫婦とはいえ、俺は彼女と部屋を別にしている。あまり頻繁に彼女の部屋に入るのは少々居心地が悪い。
彼女はそんなことは考えていないのか、時に俺を自室に呼び、俺に呼ばれれば仕事部屋に来る。
呼んだ彼女を前に、俺は数時間前のことを話した。
「アステナが態度を変えたとするならよほどの理由だ。だが、子爵のあの様子からして、アステナの意思だとは思えなかった」
「そうなんだろうな。――従者君。書くものをくれ」
「はい」
ハインがすぐに紙とペンを用意する。その紙は俺が以前母への手紙の内容に苦慮したときに無駄にしてしまったもので、皺が残っている。
彼女はそれを気にした様子はなく、ペンでなにかをさらさらと書いていく。絵のようなそれに興味を引かれたのか、俺の守護獣が近づき「うきゅ?」と首を捻っている。
「君が見たという馬車の紋、こういうものだったか?」
ペンを置いた彼女が紙の向きを変え、俺の前に差し出す。
皺のついた紙に書かれた紋。皺があって少し歪んではいるが、彼女が書いたものははっきりとしていた。
「これだ。間違いない」
五枚ほどの細い花びらをもつ花とミツバチ。馬車に取り付けられていた旗の紋と同じだ。
「なぜ分かった?」
「わたしの調べと合わせて、これかな…と」
「ゼノンとアランは何か掴んだのか?」
問うた俺に彼女は微かに口端を上げた。
ゼノンとアランの存在を知る数少ない一人であるハインも、俺の言葉と彼女の表情を受けて気を引き締めた。俺の守護獣だけがこちらを気にする様子なく、テーブルに置いた紙を見て、彼女が置いたペンをとって、せかせかと動いている。
「これはハーベル商会の商会紋だ」
「! そうだ。どこかで見たことがあると思った。たしか……まだ二代目という若い商会だが、なかなかのやり手なんだろう? 夜会に招待している貴族もいる」
「よく知っているな」
「……先日まであなたの作戦でいろいろな家の夜会に出ていたのでな」
「ははっ。そうだった」
……忘れないでほしい。あれはあれで非常に大変だったのだ。
ハーベル商会に関して俺は直接的に言葉を交わしたことはない。が、招待客の中にその名を見つけ、知らないなと思ってハインにどんな商会か調べてもらった。
現商会長はまだ二代目。初代がこつこつと堅実に業績を治めて少しずつ商会を大きくし、ルタンダル国の商人との繋がりを築いたらしい。それを二代目が引き継いだ。その二代目も親の手腕を引き継いだのだろう。貴族社会でも名が知れだし、今では投資する貴族も随分増えているとか。社交界への招待が増えたのもそのためだ。
ハインが調べてくれた中でその商会紋を見た。
「シュレダン子爵家もハーベル商会と繋がりを持とうとしているということか?」
「ああ。それもかなり深く、決定的な繋がり」
深く決定的な繋がり?
俺は怪訝と彼女を見る。すべて分かっているような彼女は微かに口端を上げたまま。
「アステナを嫁がせるんだよ」




