6,辞意
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仕事が終わって帰宅したギルベールに呼ばれて彼の仕事部屋へと入った。
机の上に乗っている書類は国のことか貴族のことか、ギルベールはその手に一枚の紙を持っている。視線だけをわたしに向けて「座ってくれ」と促した。その傍でハインが書類を整理している。
室内のソファに腰を下ろす。ギルベールの机の上では守護獣が楽しそうに絵を描いている。最近はすっかりお絵描きに夢中なようだ。
それを見てからギルベールは重い腰を上げてわたしの向かいに座る。そして、手に持っていた紙をテーブルに置いた。
「シュレダン子爵家からだ。俺の帰宅前に届いた」
心当たりのある家名だ。ギルベールが置いたその紙を手に取って内容に目を通す。
「――……ふうん」
もれた音が思いの外室内に響いた。
ギルベールの守護獣が絵描きの手を止めてペンを置き、ギルベールのもとへ飛んでくる。
わたしの前にハインが数枚の資料を置く。持っているほうを置いて、ハインがくれたそれに目を通す。
シュレダン子爵家。キルベルン伯爵領内に領地を持っているがそれは小さな区を任されているもので、さして大きな力はない。
キルベルン伯爵家の縁戚というわけではなく金で成り上がったとのこと。そういう家は決して少なくはないが、そういう家が上へいくのは難しい。
どうしても貴族は、ただの成り上がりよりも、国や領地への貢献や家の歴史や血筋というものを重んじる一面がある。金ですべては得られない。
シュレダン子爵家はロザロス公爵家とあまり接点はない。社交の場でも話すことはない。そもそもに家格に差がある。
それにあちらも落ちこぼれ公爵に関わる気はないのだろう。媚びる相手をきちんと選んでいるという印象だ。
そんな家とロザロス公爵家の唯一の接点。――それが、アステナ。
アステナはシュレダン子爵家の娘だ。
使用人名簿に目を通して把握した。だからこそシュレダン子爵家についてもゼノンとアランに少し調べさせた。
アステナが働いている理由は行儀見習いのようなものかと思っていたが、さて……。
目を通した書類をテーブルに置く。そんなわたしをギルベールが見つめた。
「……どう思う?」
「というと?」
「分かっているんだろう。……これはおそらく、アステナの意思ではない」
「なぜそう思う?」
「……必ず戻ると、本人が言った。それに、アステナならば最低限自筆の手紙を送ってくるか、可能な限りは自分で説明にくるはずだ」
聞いて、自然と口端が上がるのが分かった。
ギルベールの推測は普段のアステナの仕事態度に由来する。それに、それができないような者は以前に馘首した中に多かっただろう。
ギルベールの表情が少しだけ険しくなる。
「戻れないかもしれないという可能性をアステナは考えていたんだろう」
「……あのときの違和感はこれか」
ギルベールにも思うところがあったらしい。
わたしにもギルベールにも、アステナはちゃんと戻ってくる意思を明確にしている。――それが叶わなくなる何かがあった。
――『いきなりで申し訳ないのですが、本日をもってアステナの貴家での勤めを終了させていただきたく』
テーブルに置いた書面の内容をもう一度だけ一瞥する。
わたしたちの空気に少し重さを感じたのか、ギルベールの守護獣が不安そうにギルベールを見上げている。そんな相棒を撫でてからギルベールはわたしを見る。
少しだけ眉根を寄せて苦し気だ。
「子爵からこうしてアステナの辞意を告げられた以上、手を出すのは難しい」
「できるのは精々本人の意思確認。こんな手紙で辞めさせるとなると、子爵はわたしたちをアステナには会わせないだろうから、こちらは辞意を受け取らず休暇扱いにしておく、それくらいか」
「だろうな」
使用人とは、替えの利く存在だ。だから大抵の場合はそれほど固執せずに他の者を探す。
まして相手は一応は貴族。雇用しているとはいえ、家が出てくると面倒だし下手に手は出せない。平民とは違うというのは厄介な点だ。
(まったく、面倒だ)
アステナはおそらく生家にいる。そこに乗り込むとなると貴族同士の対立になりかねない。
(わたしはべつにいいんだが……。ギルベールにはあまりよくないな)
いくら相手が子爵家とはいえ、公爵家が力で抑えては非難を受ける可能性が高い。ギルベールを責めたい者は多い。
手を出すのはあくまで、出されてから。
子爵家からはご丁寧にアステナの辞意と、それが突然であることの謝罪まで添えられている。
「従者君。こういうふうに使用人を抜いていく家は少なくないのか?」
「貴族の娘はそのほとんどが行儀見習いとして他家で働きます。期限を設けて雇用することも多いですが……たとえば、当人に結婚が決まった場合などはそれが前倒しになることも、ありえるかと」
「アステナに期限はないし、事前に直接もしくはアステナを通しての挨拶説明もなし。子爵家は礼儀を通しているようで通してないな。こちらが直接確認に赴く理由としてはどうかな?」
「充分にあるかと」
「うむ。従者君の賛同も得た。ギルベール、頼んだ」
目の前の顔が渋面になった。
「……俺が行くのか? あなたは?」
「あの家は反獣人派との付き合いが多い」
「……アステナに会わせないと思うが」
「会わなくてもいい。君が聞いたことと辞意は相反する。そう伝えればそれでいい」
「……まあ、それくらいは問題ないか」
ギルベール自身も困惑しているんだ。アステナが非常によく、前向きに、働いてくれていたことを知っているからこそ。
やれやれと言いたそうながらも、ギルベールはしっかり頷いた。
「分かった。ハイン、シュレダン子爵に会いたいと伝えてくれるか?」
「分かりました。至急、押し通ってでも取りつけてきます」
言って、ハインが部屋を出た。それを見送って少々意外に思う。
「従者君。やる気だな」
「ただでさえこの屋敷は人が少ない。それに……礼儀のなっていない我が家への行為だ。ハインが怒るのも無理はない」
「それはそうだな」
ハインはこの家に、ギルベールに、心から仕えている。
ギルベールが周囲から受けるものにだれよりも憤り、拳を震わせてきた。そんな彼がこの家に対する無礼を黙って許すわけがない。
「つくづく君はいい従者や使用人をもったな」
「そうだな……。皆には本当に感謝している」
ギルベールの眼差しはどこか柔らかで優しい。日々の皆の姿が浮かんでいることだろう。
そんな彼の下方で「うきゅー」と鳴く、これまた彼想いな存在が一体。
「うきゅ。うーきゅ」
「おまえも俺にとっては心強く、ありがたい存在だ」
「うっきゅ!」
非常に嬉しそうな守護獣に、わたしもギルベールも自然と笑みが浮かんだ。
「では、わたしも少し調べさせてもらおう」
「……なにをする気だ」
「ん? まだ調べるだけだ。なにもしない」
ギルベールがじたりと睨むようにこちらを見てくる。けれど気にしない。
足を組み、膝に肘をついて頬杖をつく。そしてギルベールににこりと笑みを向けた。
「わたしの貴重な人材を勝手に抜いていくなんて、ちょーっと嫌な気分だ」
「大人しくしてくれ。頼むから。俺が話を聞いてくるまで大人しくしてくれ!」
振り絞るような悲痛な声が耳に届いたが、わたしも黙っているつもりはないんだ。




