5,ただの我儘
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何年ぶりだろう、この家に戻ってきたのは。……なんて、それほど月日は経ってないから、ただ、私が記憶から消し去っていただけ。
扉をくぐって通されたのは応接間。公爵邸のそれよりも小さな部屋だけれど、公爵邸よりも物にあふれている。
価値の高そうな物、希少価値のありそうな物、客人を通す部屋としては品がないようにも見えるし、この家の力を見せびらかしたいんだろう意図が見て取れる。
ロザロス邸はこんなことはない。旦那様の複雑な立場もあるけれど、簡素でありながら質素ではない、必要なものだけの無駄のない部屋になってる。
私は、ロザロス邸のほうが好き。落ち着く空気があるから。
ここはひどく、落ち着かない。
待たされてしばらく、ノックもなく部屋の扉が開いた。それを受けて私も立ち上がる。
「やっと戻ったか」
ふんっと鼻を鳴らすのは父。その後ろから入ってきたのは母。
入ってきたのは二人だけで他に人はいない。それを確認して礼をする。
ずかずかとやってきた父はそのままソファに腰を下ろす。その隣に座った母も私を一瞥するだけでなにも言わない。
そんな二人に内心で息を吐いて、私もソファに座った。
(長々とここにいるつもりはない)
「私の結婚のことですが、私にそのつもりはありません」
「挨拶もなく本題か。愛想のない娘だ」
「……」
「だんまりか。まあいい。おまえに拒否権はない。もう決まったことだ」
「お断りします。では、これで」
貴族家にとって、結婚相手を親が決めることは珍しくもないし、むしろ当然の流れ。
婚約すればそれは社交の場で周知される。そのために必要なことは、当事者二人が揃ってそういった場に出ること。
(これはただの時間稼ぎ)
――……この親を説得するのは諦めている。
私はとうにこの二人と価値観が合わないことを知っているし、説得なんてするつもりもない。
自分の娘が一向に社交の場に出ず、それが婚約発表の場でも。なんてことになればこの二人にとっては恥になるし、そんな家と繋がりを作るなんて相手もいい気にはならない。やっぱりやめようってなれば私にとっては万々歳。
……そう簡単にいかないことも、解ってるけれど。
長々と説得する気なんてないから、私は早々に席を立った。そのまま部屋を出るために扉へ歩く。
「いつまで我儘を言う気だ」
不愉快そうに咎める声が後ろから刺さった。ぴたりと足を止めても、振り返らない。
「騎士になりたいと言い出し、だめだと言えば駄々をこね、今度は落ちこぼれ公爵の屋敷で働きたい……もう充分我儘は聞いてやった。いい加減この家の役に立て」
握った拳に力が入った。脳裏によみがえる記憶がある。
『私は騎士になりたいんです。ちょっとでもっ……数年でもいいから、だから――』
『馬鹿馬鹿しい。そんなことに時間を費やすなら淑女としてもっと身を磨け』
『それもちゃんとやります。だからお願いします……!』
『話は以上だ』
いつもいつも、私の話なんて頭から拒絶。
『何をしている』
『あ、お父様……。その…剣を……』
『おまえにはそんなもの必要ない。――処分しろ』
私が求めたものは、いつも「不要」だと捨てられた。
『ロザロス家で働く?』
『マナー教師は皆、もう教えることはないとのことですから』
『他の家にしろ。あんな落ちこぼれの家、将来的な箔にもならん。サルヴァン公爵家ならいいな。話を――』
『いきなりそんな高位の家じゃ下位の私は周りから目の敵にされます! 箔どころかありもしない泥を被せられる可能性が高いです。その代わりにロザロス公爵家なら一応は公爵家ですし、なんでも公爵様は奥方を娶るとか。側付きになれれば悪くない箔になります』
ロザロス公爵家で働きたいと言ったときも、家のための将来的な箔になる、そう説得したから父は認めた。――将来的に、私の経験を良縁を引く箔にすることができると踏んだから。
――反吐が出る気分だった。父が望む、父に合わせた説得は。
(私の言葉は不要なもの。私の意思は不要なもの。互いに良案を模索することも、ない。――ふざけないで)
彼らにとって私がしていることはただの我儘で、いつまでも通させるつもりはないもの。
終わるもの。ただの遊び。――冗談じゃない。
「家のことは、お二人と兄妹に任せます。私は私がやりたいことのために戻ります」
「戻る? どこに? ……まさか、辞めてきていないのか?」
怒りと不快を混ぜた声音。耳はそれを拾っても、振り返らない。
振り返る必要なんてない。私が見るべきは――あの家の、あの場所だけ。
「辞めていません。休暇をいただいただけです。旦那様には今日中には戻るとお伝えしていますので、戻ります」
「おまえ……。そこまで反抗したいのか? そこまで自分勝手に振る舞うか」
「勝手なのはそちらです。自分のために私を使うだけでしょう? 冗談じゃない!」
「家のため尽くすのは当然の義務だ!」
「私が尽くすのは奥様と旦那様よ!」
最初は、逃げ道だった。
でも今は――あの背中に仕える者でありたい。
振り返って、怒鳴り返してやった。視界に映るのは、両親である二人の不愉快そうな顔。
私の心はもう決まってる。だれが相手でも譲らない。
この家にいるよりもずっと、あの家にいるほうが心が安らぐ。笑っていられる。
同僚たちと仕事をして。リアンと一緒に奥様のもとへ走って。セドリックさんと鍛錬をして。奥様に呼ばれて。旦那様に労ってもらって。
――あの家は、私にとって、心から安らげる大事な場所だから。
「……はっきり申し上げます。お二人とも、これまでありがとうございました。私と縁を切りましょう」
「おまえ……」
「必要な書類はこちらに用意してありますから」
鞄から書類を取り出して、宙に放った。ぱらぱらと紙がゆっくり床に落ちる。
紙の合間から見える、歪んだ顔。
(やっと言えた)
これでいい。これで私も、次へ進める。
貴族令嬢なんて立場はもういらない。それが邪魔になるなら、進んで捨ててやる。
最後の一枚が床に落ちて、私はくるりと身を翻す。
「ごきげんよう」
「っ……そいつを捕らえろ!」
バンッと大きな音を立てて扉が開いた。室内になだれ込んでくるのはこの家の騎士たち。
剣は抜いてない。だけど戦闘態勢であることは見て取れる。
「そいつを捕らえて部屋に閉じ込めておけ。多少怪我をしてもかまわん」
騎士たちが命令を受けて構える。それを見て、私も軽く足を広げる。
騎士たちがわずかにたじろいた。
「簡単に捕まる気は、ないわ」
動きだした騎士から目を離さず、セドリックさんの指導を思い出し、構えた。




