2,思考フル回転
深く息を吐く俺の前で、守護獣が真新しい自分用の紙とペンで絵描きを楽しんでいる。
子どもが使うような文字練習用のペンを用意させたが、子どもの手より小さな守護獣の手には大きいようだ。両手で持って体ごと動いてせかせかと絵を描いている。
書類に色を移されないように移動させ、うきうきと楽しそうにしている守護獣を視る。
「うきゅ?」
「なにを描いているんだ?」
「うきゅ!」
まるで子どもが「見てみて」と言って親に見せるように、守護獣がペンを置いて紙を引きづってくる。
俺が見ていた書類の上に置かれた絵描き紙。それを見つめる。
判るのは、へろへろな線で描かれた少し太くて短い何かの形。
「……」
「……」
「……パン?」
「うきゅ!?」
違ったらしい。愕然とされた。
上手く読み取れない俺に守護獣は「うきゅうきゅぅ!」と必死に説明しようとしてくれるが、解らない。
頼りない線で描かれている絵は読み解くのが難しい。なにせ守護獣が体ごと動かして描いているのだ。細かな特徴がない。
しかし、なんとか読み取ってやるのも主の務めだろう。こいつがこれほど訴えてくれるのだ、俺も分かりたい。
「少し太くて短く丸みがある……食べ物?」
「きゅきゅ」
「道具?」
「きゅきゅ」
ふるふると首を横に振られる。どれも違うらしい。
それを見て取り再び絵に視線を戻す。
形はパンにも見えるが、よく見れば底が波のようになっており、さらに片側になにやら突起がある。これは何かのヒントだろうか?
「……ナメクジ?」
「きゅきゅ」
これも違ったか……。
首を捻る俺を見てこれはダメだと思ったのか、守護獣はえさえさとペンを持ってくるとパンらしい形の先端にある突起にさらに書き加えていく。
見ていると、頼りない線の突起の先端からはっきりとした三本ほどの棘が生えた。……なんだ、これは。
一層分からなくなった。そんな俺の前で守護獣はペンを置き、「うきゅー!」と鳴きながら短い両手を顔の横に挙げる。
精一杯に威嚇しているように吊り上げた目。表情と身振り、そして絵を見て、普段以上に思考を動かす。
「――……まさか、陛下の守護獣か?」
「うっきゅ!」
正解だったらしい。非常に嬉しそうに頷いた。
「この底の波模様は足か。これは三つ首だな?」
「うきゅ」
なんとか読み取れ、今度は間違えなかったことにほっとする。
しかし、絵を見て思わず苦笑いが浮かんだ。
(子どもの絵というのはこういうものなのか)
微笑ましくもあるが、これは読み解くのが非常に難しい。
守護獣が描くものをすべて読み取れる自信がなくなりそうな俺の前で、守護獣は嬉々としてまた絵を描き始める。
少し見つめてから俺も再び自分のことを始めようとしたとき、扉がノックされた。
「旦那様。アステナです」
「入れ」
珍しい来訪者だ。
俺の許可を受けてアステナが入ってくる。扉を閉め、深々と頭を下げる。
「お仕事中に申し訳ありません。お話があってまいりました」
「構わない。どうした?」
頭を上げたアステナの表情はどこか暗い。それでいてどこか緊張感がある。
少し見える体の強張りは俺の仕事を邪魔しているから、ではなさそうだ。
手を止め、アステナを見る。
アステナもまた俺を見て、静かに、しかし強い意思で、告げた。
「旦那様。しばらく休暇をいただけないでしょうか?」
使用人たちが休暇を求めるとき、俺は基本的に応じている。
ロザロス家という仕事場にいてくれるだけでありがたいものであるし、彼らの願いを引き受けるのもまた雇用主としての在り方だと思っている。
が、そういうことを願う者は、使用人をまとめる言わば上司、執事であるセバスやメイド長にまずその旨を伝える。俺はセバスやメイド長からそれを受け、許可を出す。
俺に直接願ってくる者は、いない。
俺も経験が少ないが、貴族家の娘であり、この屋敷にずっと勤めてくれているアステナがそれを知らないとは思えない。
少しの違和感を覚えながらもそれがなにかはっきりしない俺は、扉の前に立つアステナを見る。
「しばらくとは、どれくらいを想定している?」
「……可能な限り早く戻るつもりです。数日……いえ、一日でも」
身体の前で重ねる手に微かに力が入ったのを見逃さない。
(つまり、アステナ自身にも所要日数が分からない用件か……)
使用人が願う休暇は当然、何日間という予定が組まれる。それによって他の者の仕事内容や仕事量も変わる。
こうも曖昧な日数を願う者はまずいない。
「彼女には伝えたか?」
「はい。奥様は『分かった。基礎鍛練だけはきちんとしておきなさい』と」
少しだけ柔らかくなった表情で告げられた言葉に俺はどうにも軽く笑ってしまった。
アステナは彼女が教育中でもある侍女兼手足だ。手足といっても騎士や密偵のようなものではなく、婦人令嬢の集まりなどで他家の侍女からの情報収集などを行わせるつもりなのだろう。そのためにいろいろと仕込まれているらしい。
俺が彼女に同性の目付け役をつけると決め、彼女が侍女との兼業を求めた。それに立候補したのがアステナだった。……アステナ以外に立候補者はいなかった。
彼女は知識に加え簡単な剣術もアステナに教えている。もとは騎士になりたかったらしいアステナはこれにも意欲的に取り組んでいる。
……本当に、彼女は侍女に何を求めているんだろうか。ファルダ国ではこれが普通なのか?
少し頭痛を覚えながらも、俺はアステナに応じる。
「分かった。彼女もそう言っているなら俺も反対はない。しばらく休暇を与えよう」
「ありがとうございます。可能な限り早く、戻ってきます」
どこか決意じみた声音でそう言い、アステナは頭を下げる。
「うきゅー」
「ん?」
近くからかかった呼び声に視線を向ける。
守護獣がまた別の紙を持ってぺたぺたと近づいてくる。
「……アステナ。こっちへ」
「はい」
守護獣が俺の前に、俺が置いた資料の上に自分が持ってきた紙を置いた。
机の向こうにアステナが立つ。それを感じつつも置かれた紙に視線を向けたまま、声をかける。
「アステナ。……これを読み解いてくれ。なにを描いていると思う?」
「はい。――………」
紙を見て、アステナが沈黙した。その表情は非常に困惑しているものだ。俺も同様だ。
ただ一体、守護獣だけは仕上がりに満足なのか、胸を張っていた。
「うきゅうきゅ。うきゅぅぅ……」
「どうした。そんなに落ち込んで。ギルベールに泣かされたか?」
「きゅきゅ。うー、うきゅ、うきゅきゅ」
「ん? 自分とギルベールを描いたのにギルベールが分かってくれなかった? それはひどい。君が泣くのも無理はない」
「うきゅぅぅぅ……」
「……本当にすまない」
休憩の時間。彼女の姿を見た守護獣が飛んでいって必死に訴えていた。
俺としては発覚した題材に驚くしかないのだが、泣きそうな守護獣を視れば謝るしかない。
(しかし、やはり彼女は守護獣の言いたいことが解るのか……)
なんとなく感じてはいたが、彼女はなにも言わないし確証はなかった。
彼女がなにも言わない以上俺も他言するつもりはない。が――……。
(それならば、守護獣を利用して俺を揶揄ってくる気しかしない……)
いや。これまでもすでにされているんだが。
いろいろを思い出し、深い息を吐いた。




