後日談 世界を広げろ その5
静まりとは逆に私の心臓が煩く鳴り響いて、頭が真っ白になる。
目の前はなにもない暗闇が広がるだけ。
「え……な……なんで……来なさい!」
もう一度命じるのに、なにも顕現しない。
(うそ……どうして……)
――私にはちゃんと守護獣がいる。それはいつだって、傍にある。
なのに、目の前にあるのはただなにもない空間だけ。
「――……ふっ。なんだ、守護獣にまで見捨てられたのかよ。可哀そうに」
「っ……」
守護獣がいればなんとかなる。守護獣がなんとかできるから。だから――……。
(私、こんなところで……)
こんな男たちに触れられて。誰にもきっと、知られずに。
(誰か助けて……)
涙が出てきて、願って、祈って――……冷たい声が落ちてきた。
『鬱憤晴らし。ただの世間話。友人同士の会話なら外には出ない、だれもどこにも言いふらしたりしない、だってただの不満だもの。――とでも思ったか?』
『皆がしているから許されるわけでも、乗っていいわけでもない。それがなにをもたらすのかは自分で考えなければいけない』
『噂と私情に目がくらみ目の前をなにも見ていない。視野を曇らせず客観的に判断しろと、これまで何度言った?』
――皆、言ってるの。「獣人なんて人間でも獣でもない半端者」「血と戦に飢える蛮族」「守護獣を持たないくせにそれと同じ力を使う化け物」
そんなものと関わり合いになりたくない。それから逃げたいから、こうして出てきたの。絶対に止められるから、だから、一人で――……
――……独り……? じゃあ、これは……。
『皆がしているから許されるわけでも、乗っていいわけでもない。それがなにをもたらすのかは自分で考えなければいけない』
『噂と私情に目がくらみ目の前をなにも見ていない。視野を曇らせず客観的に判断しろと、これまで何度言った?』
(だれも、助けてくれない……。だってこれは、私が招いたこと……)
黙って出てきた。
盗賊が出るなんて、考えもしなかった。時間だってもっと明るいときだったら……。
抵抗しても力づくで馬車から降ろされ、下卑た複数の男たちに囲まれる。
「おいおい、俺にもくれよ?」
「わーってるよ。俺らみーんな相手してもらわねえとな?」
「おいおい、その細え腰で大丈夫か?」
「頑張って受け止めてもらわねえと。ハハハッ!」
「あんま怖がらせんなよ。可哀そうに、震えてるぜ?」
「心配すんなよ。俺らがよくしてやるからよお」
絶望しかない。
これだけの相手に逃げられるわけがない。
伸ばされる手を振り払って、必死に抵抗してもまるで赤子の抵抗のように意味もなくて、涙が出てくる。
だからって、受け入れられるわけない。
(いやっ、いやよっ……)
分かってる。心はずっと、誰かを求めてるんだって。
解ってる。誰も来てはくれないって。
(でもっ、でもっ……!)
――ドゴォッ
私を拘束していた力が、なくなった。
いきなり自由になった体に驚いて、少しふらつく。
だけど、そんな私の腕を無理やり掴んで、引き戻す。
「この馬鹿っ!」
「!」
ひどく怒ってる、ラースがいた。
痛いくらいに腕を掴んで、眉を吊り上げて、聞いたことのない大声を出して。
「休日は勝手に過ごせとは思うが黙ってこんなところまで来てんじゃねえ! おかしいと気づかなきゃどうなってたか解るか!? ここは王都とは違うんだ軽率な行動を慎め!」
「おい! んだテメエ勝手に割り込んで――」
「うっせえ! 俺は今こいつの教育中なんだよ黙ってろ!」
「「「お、おぉぅ……」」」
……盗賊たちがラースに気圧されて思わず黙った。それくらい、怒ってる。
「……」
私は怒られることに怒るより、ただ驚いて――……体から、力が抜けた。
「っ……」
……おかしい。なんで、視界が滲んじゃうの?
糸が切れたみたいに、心の中の何かが壊れて、止まらない。
「あーあー。ラースがそんな怒るから泣いちゃったじゃねえの」
「それくらいで済んでマシだろう。――で」
「はいはい」
どこかで聞いた声がした。
手で涙を拭って、顔を上げる。
――日が暮れる空の下、ラースと、市場で見たあの猫の獣人がいた。
(なんで、こいつまで……)
二人とも私に背を向けて、隣り合って立っている。
「おまえら、最近ここらに出てる盗賊か。見つけちまった以上は拘束させてもらう」
「――はっ! 馬鹿言え。てめえら役人でもない奴にそんなことできるか」
「獣人までいやがんのか。どうせ商人だろ? 首突っ込んじゃまずいんじゃねえか?」
「かもなあ。でもラースに頼まれちゃ仕方ない」
盗賊が剣や棒を構える。ラースも隠し持っていた短剣を手に持った。お互いの側に守護獣が顕現する。
睨み合う両者が地面を蹴って、ぶつかった。
私はただ見てるだけしかできなかった。
盗賊相手に戦うラースと獣人。二人だけなのに、相手を一人ずつ倒していく。どっちかが危ないときはどっちかが助ける、そんなふうにして。
(なんで、そんなことができるの……?)
たぶん数分くらいで、そこに立っているのはラースと獣人だけになった。
ラースは軽く短剣を振って、鞘に戻す。獣人は素手だし守護獣を持たないのに苦でもないようで、軽い運動をしたみたいに体を伸ばすだけ。
二人はあっという間に馬車の幌に使っていた縄を解いて盗賊たちを拘束、馬車に放り込んだ。
それをやってから、ラースが私を見て、やってくる。
どうしてか、体に力が入った。ラースの目はまだ怒ってるそれだから。
言い返してやりたいのに、今はなんだかそんな力も出てこない。
目の前で止まる足音は、まるで私を責めているように聞こえる。
「事情は、後で聞く」
「……」
「ただ一つ、言っておく。――この馬鹿」
「っ……」
そんなこと、だれにも言われたことはない。
怒りたいのに、腹が立つのに。今のラースの言葉は、ひどく違う刺さり方をする。
恐くて。腹が立って。――胸の中の自分の感情も、分からない。
「――っ、なによ、知った風なこと言って!」
思わず、叫んだ。
これまで一度だって口をきいたことのない相手に、その目を見上げて、どうにもならない感情をぶちまける。
「こんなところ来たくなかった! ずっと王都にいたかった、だけどそれをあの獣もどきに邪魔された! なによ! 私が悪いの!? みんながやってることをしただけじゃない!どうして私だけ! どうして皆あいつの味方をするの!? こっちの奴らだって獣人と仲良しこよしで味方して! 頭おかしいんじゃないの!? 獣人なんて野蛮なだけじゃない!」
喉の奥が熱い。だけど、言葉は止まらない。
「私は違う! 一緒になりたくない! 帰ろうと思ってなにが悪いの!」
私の声は周りに響いて、静かに消えていく。
ラースはなにも言わずにそれを聞いて、静かに息を吐いた。
「家に帰りたいと思うのは、なにも悪くない。だがそのまえに、なぜここに来て、なにをしなければいけないのかを考えろ。駄々をこねても帰れはしない」
「っ、私はなにもしてない! 悪くない! だって皆も――」
私は皆と同じことをした。皆と同じ、本当のことを言った。
ずっとそう思ってる。そう言ってきた。――なのに、言葉が切れた。
『皆がしているから許されるわけでも、乗っていいわけでもない。それがなにをもたらすのかは自分で考えなければいけない』
また、頭の中でお父様が言う。
「おまえのその狭い世界を壊せってのが、奥様からの指示なわけだが……」
ラースの目が動く。その先にいるのは、猫の獣人。
だけど声だけはずっと、私に向く。
「王都ではどいつも言う。――獣人なんて野蛮で、血と戦を好む人間と獣の半端者」
「……そうじゃない」
「なら、おまえの目で確かめろ」
今度は痛いことはなく、導くような手で、私の手をとった。




