後日談 世界を広げろ その4
♢
ラースに市場に連れていかれてから日が経った。
ラースの後についてはいるけれど、別になにを学ぶでもない。ラースはいろいろ喋ってるけど、聞いてやるつもりなんて微塵もない。
私は、早く帰りたい。
市場に行ってからなおさら思った。
(こんなところ、すぐに出ていってやる)
あんな中に混ざることになるなら死んだほうがマシよ。
どうにかして王都に帰る方法を探さないと。
そう思いながらラースの後につく日を過ごす。
街には乗り合い馬車があることに気づいた。目的地によって何台かあって、その中には領都から出るものもあるみたい。
それにラースはお人好しで、荷馬車であちこち移動する中で歩いている人がいれば荷台に乗せたりもする。
それを見て、閃いた。
乗り合い馬車に乗れば領都は出られる。
辺境領は少なくない商隊が行き来してる。それに乗せてもらえば継いで継いでで王都まで行けるかもしれない。
こんな地獄からの脱出方法が浮かんで、内心小躍りした。
だけど問題もある。――私はお金を持っていない。
乗り合い馬車は当然運賃がいる。商隊には厚意で乗せてもらえても、王都までの路銀がほしい。
でも、今の私にそんなお金を稼ぐことはできない。どうすればいいのかも思いつかない。
――そう思っていた。
「ほい」
そう言って掌に落とされたのは、お金。
貴族である私はお金を手に持つことはなかった。買い物は家に呼ぶ商人で済んでいたし、外出したって従者が持っているか家に支払いを求めるように言えばそれで済んだ。
お金のことなんてあんまり考えたことはない。だけど――。
『今の私たちの生活に関わるもの、人、それはきちんと学ぶべきことです』
お母様はそう言って、お金や使用人、屋敷に出入りする人の職も教えてくれた。
多分、貴族家の中では珍しいと思う。令嬢たちの話でちらっと出すと首を傾げられることもあったから。あまり言わないようにしていたけれど。
お母様のそういった教育方針は、おじい様とお父様の影響もあったと思う。
今、掌にあるお金でどれくらいの物が買えるのかは分からないけれど、初めて手に持ったお金は……お母様との学びを思い出す重みを持っている。
「今月の給金」
……給金? お給料? 私に?
困惑が顔に出ていたらしい私にヒュリオスは笑った。
「嬢ちゃんは今、うちの新入り。働いてくれてる奴に給金出すのは当然だろ?」
あまりにもあっさりそう言うから、唖然とした。
(この男、ほんと、後のことはなにも考えてないのね)
馬鹿馬鹿しくなって、呆れる。
でも、なんでもいい。これが手に入ったなら。
掌のお金を、私はぎゅっと握りしめた。
♢
ヒュリオスはなにも考えてない。
私に給金なんて与える意味も、休日なんて与える意味も。
だから、それを利用する。
休日には、乗り合い馬車で領都を出る場合と王都へ向かう場合に必要なお金をそれぞれ、馬車を運用している店の人に聞いてみた。それともらっている給金を合わせ、どうすれば最短で王都へ戻れるのかを考えた。
決行まではそんなにかからなかった。
私に与えられた休日。路銀を握りしめて乗り合い馬車に乗れば、それでもうさよなら。
私が乗りたかった馬車は出発が夕方近くで、目的地は隣町まで。夕方前に出れば夜には着くような距離。
まずはその町で宿をとる。朝になれば商隊も動くから、そこからは乗り合い馬車がなければ商人たちにお願いして乗せてもらう。
ここから出られるなら多少のみじめさだって我慢する。
私が乗った馬車には何人か人が乗っていた。私は一人、馬車の端でじっと座る。
この馬車だって乗り心地はよくない。商会の馬車のほうがマシかもしれない。
(……あんなのと比べてどうするの)
衝撃なんて感じない、柔らかな座面の馬車を私は知ってるじゃない。
なのに、浮かんだのはあれで、自分で唇を噛む。
乗り合い馬車は道中に停車場所がある。そこで人が乗ったり降りたりする。
停車場所で人が降りていく。この日この時間、隣町へ向かっていたのは私だけだった。
馬を操る男が一人。乗っているのは私だけ。
空は橙と藍色が混ざって、あと少しで完全な黒になるのが見て分かった。
(隣町まであと少し……)
――そう思ってた。
突然、馬車が止まるそのときまでは。
手綱を急に引いたのか、馬がいななく声が私の耳に届く。馬車が止まった反動で体が前に傾いた。
座面に手をつけば固い感触がして、また、嫌になる。
「いきなり何!?」
御者に思わず怒鳴る。だけど答えがない。
どころか――……
「ぎゃあぁっ!」
「っ……」
聞いたことのない音と悲鳴が聞こえた。
「なんだ、ろくに客はいなさそうだな」
「身ぐるみ剥げば売れそうなもんくらいあるだろ」
「荷物も全部もらっとけよ」
(まさか、盗賊……!?)
ぞっとした。背中を嫌な汗が流れる。
身体が震えて、足が動かなくなる。
(逃げ……逃げないと……)
雨風を凌ぐための幌が開けられる。その向こうに見えた、男の顔。
目が合って、男がにやりと下卑た笑みを浮かべるのを見て、体が固まる。
「んだよ。悪くねえもんがあるじゃねえか」
そう言って、ずかずかとこっちへ来る。
みすぼらしい格好、汚い肌、手に持っているのは短剣。
そういう奴がいるっていうのは知ってる。だけど遭ったことなんて一度もない。
だって、いつだって馬車は王都の通りを走って、護衛に守られているのが当然で……だから……。
「来てもらおうか」
「いやっ……」
伸びてくる手を振り払う。だけど払った私の手のほうが痛いくらいで、男の腕はびくともしない。
どころか、男は笑う。
「生きのいい女だ。そうじゃねえと楽しくねえよなあ?」
「っ……」
「俺も他の奴らも、仕事のときは高揚してていけねえ。おまえのその体でどうやって鎮めてもらおうか?」
いやっ……ここから逃げないと……。
そう思って、すぐ叫んだ。
「来なさい!」
守護獣ならこの程度問題ない。だから――……だから……。
「……え」
命じたのに、なにもそこには現れなかった。




