番外編 兄妹の休日
「わあ……! 綺麗、賑やか、楽しそう!」
「こら。あまりはしゃぐな。はぐれるぞ」
「はーい!」
聞いているのかいないのか、そんな返事に肩を竦めつつも口端が上がる。
目の前で妹が明るい表情で町を見回している。その動きに合わせて淡い色のスカートの裾が揺れる。
晴天の空の下、妹の笑顔は眩しいほどに輝いて見える。それが俺には、ただただ嬉しい。
「お兄ちゃん。今日はいっぱい楽しもうね!」
「ああ」
軽い足取りで跳ねるように歩きだした妹、ロイジーの後を俺もついて歩きだした。
獣人の姫でありロザロス公爵夫人である主から課せられた仕事を終えた褒美として、俺は主からロイジーとの外出を勧められた。
ロイジーも新しい職場で忙しく、友人とも良好な関係を築きながら頑張っている。俺はそれを話に聞くだけだが、ロイジーの表情が明らかにかつての職場でのものとは違うことにはとうに気づいている。
以前は無理をして笑みをつくっていることが多かった。それが俺自身の不甲斐なさのせいでもあると、俺はとうに解っている。
前を歩くとロイジーはもう、以前とは違う。それが俺には嬉しくもあり、安心でもある。
(主と公爵には感謝ばかりだ)
ロザロス公爵は一度は夫人の命を狙った俺たちをそう簡単に信用はできないだろう。それでも、ロイジーの雇用は迷いなくあっさりと承諾した。今も俺たちになにを言うでもない。ただ――……
『彼女からの指示すべてに従う必要はない。無理難題ははっきりと断るか、俺に言ってくれ。説得する』
と、なぜかすでに疲弊したような顔で言われたときは少々困惑した。……なにか嫌な記憶でもあるのだろうか?
主もこれまたあっさり俺たちを密偵として引き入れ、ロザロス公爵の頭を抱えさせていた。……リーダーが言っていたとおり、変わった姫だ。
「わっ。お兄ちゃんお兄ちゃん。見てみて!」
「ん?」
店先から店内を見つめているロイジーが俺を呼ぶ。その傍へと足を向けた。
外を歩く人に見せるように並べられているのは菓子の入った箱だ。観光客向けの土産か贈答用か、どちらにしろ俺たち兄妹にはあまり縁のなかったものだ。
「これ美味しそうだね」
「そうだな」
「……あのね、お屋敷に帰る前に何か……奥様と旦那様に買って帰ってもいいかな? すごくお世話になってるし……。使用人がそういうことするのってやっぱりダメかな……?」
「あの奥様ならそういうことは気にしないだろう。ありがたく受け取ってくれると思う」
悩むことなくその返事が出た。それにはロイジーもほっとしたようで「ならいいな」と言う。
(公爵邸にやっかいになることになったのはリーダーが俺たちを連れていってくれたからだ。俺はリーダーの想いも事情も分かってるが、ロイジーは……)
なにも知らないまま、俺とリーダーが連れてきた。
戸惑いも俺たちの比じゃない。俺たちはそんなものには慣れている。
「……屋敷で働くこと、辛くないか?」
歩きだしたロイジーの隣を歩きながら思わずそう問うた。そんな俺を見上げてロイジーは迷いなく頷いた。
「うん。……前のお屋敷は、ちょっと……嫌だなって思うこともあったけど、今のお屋敷は全然。旦那様も奥様もお優しいし、使用人の皆さんも仲良しでいろいろ教えてくれるし、友達もできたし。……騎士さんはちょっと……怖いときも、あるけど。で、でもっ、旦那様とかハインさんは怖くないって、いつでもこい! ってちゃんと構えてるから!」
「無理はするな」
頑張りすぎないように、力を抜けるように、頭を撫でれば照れたようにはにかむ。
(前の屋敷でのせいか、圧があるような男は苦手になってるからな……)
「リアンにパン作りや菓子作りを教えてもらってるんだろう?」
「うん。リアンちゃん、私とあんまり歳変わらないのに奥様の侍女になるかもしれないんだって!」
「それはすごいな」
「うん! 元気で明るくて、でもお仕事ってなるとぴしっとするの。私も見習わないと」
「あんまり頑張りすぎるなよ?」
そう言ってぽんっと頭に手を置くと、少し照れたような顔で頷いた。
多くの人で賑わう王都。だれでも気さくに顔を出す露店で俺たちもいろいろ見て、食べ物を買って口にする。
これまで二人でこうして出かけることなんてあまりなかった。町に出て買い食いして、人の賑わいを肌で感じて、品を吟味する。当たり前のような家族の時間は俺たちにはなかった。
「お兄ちゃん。何か欲しいものない?」
「いや?」
「ふふっ。お兄ちゃん、昔からそうだもんね。いつも私に聞いてばっかりで」
「……そうだったか?」
「うん」
思い出したように笑うロイジーを見て、とぼけた。
生まれ育ったのは貧しい村のはずれ。その日暮らしで、作った物を物々交換でやりとりするような場所だった。
少しだけいい物が手に入れば、それとロイジーが欲しがりそうな物とを交換したりして。ロイジーが嬉しそうなら俺はそれでよかった。
それが今じゃ、ロイジーも自分で稼げるようになった。俺とは違う、綺麗な仕事で。綺麗な金で。
歩いていると、貴族も行きかうような場所に入ったのか、どこかの家の家紋の入った馬車が視界に入るようになる。
それを見て周囲を確認する。……大丈夫だ。あの家の家紋はない。
「――……ね、お兄ちゃん」
「ん?」
「……私、知ってるよ。お兄ちゃんが前のお屋敷で、すごく大変なこと、してたこと」
息を呑んだ。だがそれは、表には出さない。
身に刻まれた訓練の癖は妹の前でも発揮できた。……できたことが、ひどく苦い想いにさせる。
「俺は騎士なんていえない下っ端だっただけだ」
「うん……。私だって全部知ってるわけじゃないし。でも……」
ロイジーの視線が下がる。少し曇った表情を見たくないと思った。
だから話を逸らそうとして、だが、ロイジーの口のほうが早い。
「ね、お兄ちゃん。お兄ちゃんが今、奥様とか旦那様のところでしてる仕事は……私のせい? 私がお屋敷で働きたいから? 私が足手まといだから? お兄ちゃん、やりたくないこと、してない?」
「してない」
俺の即答にロイジーが足を止めて俺を見上げた。その目を、俺もまっすぐ見つめる。
ロイジーはいつまでも子どもだと、そう思っていたのかもしれない。
どこかで何かの話を聞くことも、自分で知ることも、もうできるんだ。秘密にできていると思っていたことは、俺がロイジーを甘く見ていたからだろう。
(おまえに、嘘は吐かない)
今ここで、嘘をつけばその表情が晴れることはないだろう。
俺はただ、おまえに笑っていてほしい。
「俺は、俺が決めて、俺の意思で働いている。おまえにいい生活をさせたいって想いはある。だが、おまえを人質にとられているような、そんなことはない。そんなこと、あの二人はしない」
自然と言葉がこぼれて、そうだと自分でも納得できた。
浮かぶのは主とロザロス公爵。貴族だが貴族らしくないあの二人は、前の雇用主とは違う。同列で語ることをしてはいけない。
「今の仕事は、前の仕事とは違う心持で臨めてる。前は言えなかったことも、今なら言える。それを聞いてくれる人だというのも解る。――今は、それなりの充実感がある」
自分で言葉にして、驚いて、腑に落ちた。
もし、仕事の中に気の向かない内容があったとして。前の雇い主なら問答無用でやらされただろう。
だが、今の主ならきっと俺の言葉を聞いてくれる。その上で、納得できる答えを出せる。そう思う。思わせてくれる。
(誰の下につくか。それだけでこれほどに違うのか……)
改めて身に染みて感じる。
リーダーは主の下で一緒に仕事をすると決めた俺に教えてくれた。
『あの姫サマには野心がある。それ自体は前の奴と同じだ。――だが、俺は違うと思う』
『? どういう意味だ?』
『前の奴は、相手を蹴落とすことと消すこと、仄暗い野心にまみれていた。あの姫サマの望み、知ってるか? 公爵サマを幸せにすることだってよ』
リーダーが何を違うと言ったのか、なんとなく俺にも解った気がした。
主は「積極的に暗殺は求めない」と言った。それはつまり、俺たちの動きが公爵に与える影響まで考えているということだ。
(捨て駒同然の俺たちを助けると言った。あの主の下でなら、これまでとは全く違う仕事ができる)
そう、感じている。それが少しだけ心を軽くする。
俺の言葉にロイジーは「…うん」と小さく頷いた。
「大丈夫だ。今は忙しさが倍になったが、その割に気は楽で、やりやすい」
「……そうなの?」
「ああ。まあ……前の屋敷のいろいろが残ってるせいでおまえに苦労させてるのは心苦し――」
どこかの家の馬車が思いのほか近くを通った。思わずロイジーを引き寄せて道の端へ寄る。
馬車の通行が認められている道ではあるが、もう少し歩行者のことを考えてほしいものだ。
(あれは反獣人派の家だな。確か……)
家紋を見て、調べ上げたことが瞬時に頭を駆ける。……忙しすぎたあの仕事の内容は俺の頭にも随分と染みついているようだ。
「大丈夫か?」
「うん。……今の馬車、前のお屋敷で何度か見たことある」
去っていった馬車を思わず睨む。
あの屋敷で暗部の者として動いていた俺にも覚えがある。だからか、ロイジーに触れる手に力がこもった。それが伝わったのか、ロイジーが安心させるように俺を見上げた。
「大丈夫だよ、お兄ちゃん。奥様が教えてくれたでしょ?」
「あ、ああ……。そうだな」
ロイジーとの外出。正直に言えば不安があった。
もし、町であの家の者に見つかったら。あの家の暗部の者が町で情報収集をしていたら――。
そう考える俺の胸中など主にはお見通しだったのだろう。
『光属性の力は使い方次第で非常に便利なものになるんだ。――例えば、光の屈折や反射によって他者からの見え方を少し変えたり』
そう言った主は、リーダーの守護獣であるネズミになにかを指示し、力を使わせた。
その実験対象になったのがリーダーで、光属性の力のおかげでリーダーの外見が別人となって俺の目に映った。どういう力なのか俺には分からなかったが、主は平然と教えてくれた。
『鏡に映るようなものだと捉えればいい。まとっている者が鏡のように光を反射させる。それによって、それを見ている者にはその人が本来のものとは違うふうに見える』
『別人に見せられる……?』
『そういうことだ。光は上手く調整しなければいけないが、難しいならアランの水の力を補助として使えばいい。水が鏡になってくれる』
俺たちには思いつきもしない力の使い方を主はあっさり言ってのけた。そういう使い方がファルダ国ではされているのかもしれない。
俺はこそりとネズミがいるはずの肩に視線を向ける。今は隠形しているリーダーの守護獣は俺たちのためにここまで一緒に来てくれている。
リーダーの守護獣が俺の姿を変え、ロイジーの姿は光属性であるロイジーの守護獣が変えている。ロイジーの守護獣で難しいところは俺の守護獣が補う形をとっている。
そのおかげか、今のところ俺たちを見て怪しむ者はいない。それに、公爵邸からもこっそり護衛がついている。これも主の采配だ。
(ただの密偵にここまでのことを……)
他家でならまずない。やはりあの主は少し変わっている。
「お兄ちゃん。もっと見ていこう」
「ああ。そうだな」
空気を払うようにロイジーが笑う。無理に作られたものではない心からのそれが、俺の心に安らぎをくれる。
ロイジーが町を満喫できるよう、俺もその後を歩いていく。
空が夕焼けに染まる頃。俺たちは公爵邸に戻った。
ロイジーは住み込みで働いているから生活の場は使用人たちと同じだ。俺とリーダーも一応は部屋をもらっているが、仕事上基本的に外で過ごすから部屋はあまり使わない。
俺たちはあくまで密偵だ。屋敷の中で俺たちのことを知る者は少ない。必要があれば、時折外から来る公爵夫人の客人という体を装うか、仕事上こっそり忍び込む。
今日の俺はロイジーの兄として、妹を公爵邸まで送り届けにきた、ということになる。
公爵家の敷地内に入ったところで守護獣の力を解かせた。ここまで来れば容易に他者の目には入らない。公爵家の騎士とおそらくリーダーが警戒しているだろう。
屋敷の前。どうやらちょうど公爵の帰宅と重なったらしい。
出迎えに出てきたのか、主の姿もある。
「旦那様。おかえりなさいませ。奥様、ただいま戻りました」
「ただいま」
「おかえり、ロイジー。町は楽しめたか?」
「はいっ! とっても楽しかったです」
「それはよかった」
ロイジーが笑顔で報告している。少しだけ頬が緩む光景を見ていると、公爵がちらりと俺に視線を向けてくる。
その視線の意味は察することができる。だから、問題なかったと軽く頷く。
「噴水の側で曲芸を披露している人たちがいたんです。すごい技がいっぱいでした! それに市場も見て回って。豚一頭がまるまる売ってあるなんてびっくりしました」
「ははっ。それは驚くものだ。今度わたしも見にいこうか」
楽し気に見たものを話しているロイジー。主も大して気にせず話に耳を傾けている。微笑ましい光景に公爵もどこか表情が柔らかい。
が、近くから「こほんっ」と軽い咳払いが聞こえた。
「ロイジー。お話は部屋で」
「あっ。そ、そうでした! 申し訳ありません!」
「気にするな。楽しかった話を聞くのはこちらとしても楽しいものだ」
執事のセバスの注意にロイジーもはたと正気に戻ったようだ。軽く笑う主にセバスが「奥様」と少々注意するように呼び掛けている。……こればかりは主を擁護できないな。
日も落ちた時間。いったんは兄として屋敷を後に――したように見せて、俺は主の部屋へこっそりと向かった。
音なく床に足をつけても主はとうに気づいている。俺はそれを知っている。
「ロイジーは非常に街を楽しんだようだな。勧めた甲斐があった」
「感謝します。ロイジーのあんなに楽しそうな顔、久しぶりに見ました」
「引き出せたのは君だ。今後もそうしてあげなさい」
「はい」
ただの密偵。ただの影。
この人は、俺たちをそういうふうに扱わない。
「町ではとくに問題はありませんでした。貴族との接触もありません」
「分かった。今日はもう休みなさい。また働いてもらうことになる」
「はい。ありがとうございます」
礼をする俺を見て主はなにかの書類に視線を戻す。それを見てから俺はまたこっそりと部屋を出た。
だれにも見られることなくリーダーのもとへ向かい守護獣を返す。ロイジーからリーダーへの手土産を渡せば喜んでくれた。
ちなみに、ロイジーは主と公爵にも手土産を渡した。公爵は「気にしなくていい」と言っていたが、主の反応は俺の予想どおり。二人はメイドからの手土産をありがたく受け取っていた。……そういう二人だ。
「うまくいってよかったな」
「ああ。主がこんな提案をしてくれるとは思わなかった」
「ホント、変わった姫サマだよな」
喉を震わせて、けれど馬鹿にするような音は混じってない。リーダーの笑いはどこか軽くて、どこか喜んでいるようにすら聞こえる。
(変わってる、か……。だが、あの人の下でなら思っていたよりずっといい仕事ができるかもしれない。――見てみたい。あの人が何をするのか)
また次も疲労困憊の仕事になるだろう。だが、嫌ではない。
気乗りのしなかった昔からの仕事。だけど今は、俺が俺の意思でやりたいと思える、少しだけマシな仕事になっている。




