番外編 第九師団師団室
騎士団棟にある第九師団、師団室。
その部屋は師団長であるギルベール師団長、そして副師団長である私が執務のために使っている。師団のことに関しての書類仕事が主なもので、団員たちから上がってくる報告に目を通すのもこの部屋にいる私たちの仕事だ。
書類に目を通し、追加書類が必要なら用意し、今後の日程などは他師団や他部署ともやり取りして決める。師団内に関する内容も多い上、他師団との連絡相談が必要なものも少なくない。
思い返せば、他師団と相談の上で決めていく類のものを就任直後のギルベール師団長は少々苦手にしていた節があった。……無理もない。私が代わることもあり、回数をこなしていく中で師団長も慣れたようだが。
ギルベール師団長は師団長就任後は分からないことも多く、師団室での書類仕事の折でも「ガードナー。聞きたいんだが…」とよく私に問うていた。
分からないことを素直に分からないと言える。身分に驕らない、偏ったプライドもない、師団長のいいところだと間違いなく言える。
師団長が仕事を頑張る傍ら、私の元には転属の誘いを持ってくる者も少なからずいた。だが、それらはすべて断っている。
かつては『無能弱者の集まり』と言われた第九師団。私の守護獣はその中では力のあるほうだった。
力があれば事が回らず、なくても回らず。私も師団長もそういったことは身に染みて感じてきた。
師団長という役職は私には不相応だった。師団長がしてきたように、やる気のない団員たちにやる気を与え、どうしようもない者を脱退させることもできず。非常に半端な師団長だっただろうと我ながら思う。
ギルベール師団長就任後、私が副師団長に降格になったことを嗤っている他師団騎士がいたことは知っている。なんなら正面から嗤われたこともある。
だが、そんなことはどうとも思わなかった。実際の師団長の行動や功績を考えればその立場は当然のもので、師団長の側で仕事をしていれば不相応な役職から解放されたことと、今の師団長を支えることができている充実感で満足だったからだ。今は周囲になにを言われようと、師団長を支え師団の諸々で動き回る、これが非常にやりやすい。
そして、それは今も変わらない。
第九師団が変化し始めて約三年。
今の師団室は肩肘張ることのない緊張と、適度なリラックスがうまく混在している。非常に仕事がしやすい空気だ。
ペンを動かす音。紙や羊毛紙が擦れる音、師団長と私の会話。耳障りにならない程度の音として軽く響く。
それが、これまでの師団室だった。
「うきゅ?」
「それはそっちじゃない。こっちだ」
可愛らしい問うような鳴き声とそれに返される言葉。
それが耳に入って視線を向けた。
師団長の机。その上には書類が分類されて置かれている。
が、その中にあったのだろう一枚が守護獣の小さな手に握られている。
おそらく、退屈でいろいろ触っていたが書類を戻す場所が違ったので師団長が注意している。そのあたりだろう。
師団長の注意する声は叱っているというには少々柔らかい。守護獣は自分の手から書類を取られたが、その行く先を目で追っている。
机の上に置いてある分類された書類を不思議そうに見つめる守護獣に、師団長は微かに頬を緩めた。
(師団長に守護獣がいると分かってから、この部屋の空気も少し変わったな……)
愛嬌あるあの姿のせいかもしれない。机の上で遊んでいたり、なぜか書類の下で埋もれていたり、師団長の腕によじ登ろうとしていたり。
どれもこれも師団長は叱ることなく優しい眼差しで注意している。そしてなぜかその後にはたとした様子で「だめだぞ」と厳しい風を装って叱っている。……そんな様子もどうにも微笑ましい。
師団長自身が変わったかもしれない。
以前までは、仕事に集中して余計なことは考えないようにしているようだった。他の師団の師団長や騎士たちになにを言われようと表情を変えず「気にしない」と、その背中は孤独なものをあまりに背負いすぎているようにみえていた。
(守護獣がいると分かってから――……いや。奥方が町へ出ていると噂になった頃からか……)
私が少しの変化に気づいたのはその頃だったように思う。それからの師団長は少しだけ、背中が軽くなったようにみえた。
師団長はまだ若く、私からすれば息子のような歳だ。上官とはいえ少々気にしている自覚はある。
執務机の上で守護獣が退屈そうにぺたんと座り、師団長と一緒に書類を見つめている。……内容は理解できているんだろうか?
師団長も同じことを思ったのか、笑みを浮かべながら「解るか?」と問うているが「うきゅ?」と首を傾げて返されている。やはり解ってはいないようだ。
見目の可愛らしい師団長の守護獣はそこにいるだけで自然と頬が緩んでしまう。これがあれほどに強大で巨大な本性を持っているなど、目にしないと想像できない。
そんな守護獣がぴくりと耳を動かして扉の方へ視線を向けた。数秒の後、ノック音が聞こえる。
「師団長。リグテールです」
「入れ」
がちゃりと扉を開けて入ってきたのは、第九師団長直属部隊の隊長リグテール。第九師団では指折りの実力者でもある。
入ってすぐに礼をしたリグテールは、そのまま師団長の前まで歩き進む。
「一週間分の隊の鍛錬予定内容です」
「分かった。目を通し――」
「うきゅー」
師団長がリグテールから書類を受け取ろうとして、止まった。
執務机の上、師団長が視線を下げた先にいるのは退屈そうにしていた守護獣。座り込んでいたが、立ち上がってリグテールに向かって短い手を伸ばしている。
「うきゅー」
「?」
「うー」
「……これか?」
守護獣の視線の先を読み取ったリグテールが、自分が持つ書類を見て問う。守護獣は「そうだ」と言わんばかりに頷いた。
一度師団長を見たリグテールは、師団長が肩を竦めたのを見てから守護獣に書類を向ける。
「破いてはいけないぞ?」
「うきゅ」
これまた守護獣が頷く。
そして守護獣は器用に紙の端を掴みえさえさと歩くと――仕分けられた書類の中、保留の山にそれを置いた。
「「「……」」」
「うきゅ」
一仕事終えたような「これでよし」と言わんばかりの守護獣の満足気な顔。
しかし、それを見る私たちの表情はそうではない。保留にされたリグテールも困ったように笑っている。
「それは、ここじゃない。分けなくていいんだ」
「うきゅ!?」
(ああ、なるほど。さっき師団長に「ここ」だと言われた場所に置けばいいと思ったんだな)
学習はしているようだ。しかし、まだ内容を見て分けるということができないからか、すべて同じ場所に置けばいいと思っている様子。
その思考が読めたのか、師団長も困ったように笑っている。
しかし、そんなやりとりを見て思う。
「守護獣殿は師団長の手伝いをしたいのではないですか?」
「きゃう!」
笑みを交えながら言うと、守護獣は頷き、師団長はきょとんとした顔をして私を見る。そして考えるように「そうか…」とつぶやいた。
師団長の視線が守護獣に向くと、守護獣は短い手を必死に上げてアピールしている。……あ、いや。師団長、それは抱っこしてアピールではないと思います。
師団長はまだ守護獣の意思や意図を読み取れていないことがある。生まれたときから守護獣とともにいる私たちからはなんとなく読み取れることも、師団長は首を傾げて読み解こうとする。そういう些細なことも違いとなる。
しかし師団長は守護獣のことを知ろうとしているし、決しておざなりにはしない。……時折見つめ合いながら「こうしたいのか…? 違う?」「……どういう意味なんだ?」と苦戦しているようなので、私たちも思わず手助けをしてしまうのだが。
守護獣を手になでなでしている師団長を見て、私と同じことを思っていたんだろうリグテールも「そうですね」と小さく笑いながら提案を出す。
「では、顕現しているときには、私のように団員が持ってきた書類を受け取り、師団長に渡すことから始めてみては?」
「師団長に直接渡すというものならやりやすいでしょう」
リグテールと私の言葉に師団長は視線を向けながら「そうだな」と頷いた。
「では、おまえにはこれから、団員たちが持ってきた書類を俺に渡す仕事をしてもらおうか」
「うきゅ。うっきゅぅ!」
守護獣が非常に喜んでいる。師団長から仕事をもらえたのが嬉しいようだ。
ゆらゆら揺れる尻尾には私もリグテールも思わず笑みが浮かんだ。
「師団長。トニスです」
「入れ」
どうやら早速守護獣の仕事のようだ。
ノックの後に呼びかけ、開けられた扉の向こうには第五十二小隊所属の騎士トニスがいた。その手には報告書らしい紙が一枚。
それをすぐさま認めた私たちの肌を、びゅんと吹いた風が撫でた。
「うっきゅ!」
「おうふっ……!」
守護獣がいつの間にやらトニスの目の前に。
(本来の力の一端をここで……)
よほどにはりきっている。
守護獣が差し出す短い手。しかしトニスは顔面を直撃した風圧に驚いたようで、何事かと守護獣を見つめている。
「ど、どうした……? 師団長の守護獣」
「うきゅうきゅ」
「! まさか師団長に何事!? またどっかの野郎が師団長に何か言ったのか!?」
「うきゅ!? うきゅきゅきゅー!」
「だよな!? おまえも腹立つよな! そう! 怒りの拳が――」
……嚙み合っていない。
トニスはどこにもいない相手に怒り、守護獣は自分に仕事をさせてくれないトニスに怒っている。それを見ている私たちはもう限界で、そろって吹きだした。
肩を震わせ笑いを隠せない私たちを見て、トニスが眉を吊り上げたままこちらを見る。
「なに笑ってるんですか! 俺なんにも面白いこと言ってないです!」
「そ、そうなんだが……」
リグテールも口元を押さえているが堪えきれていない。トニスの側で憤慨している守護獣は見目のせいかあまりにも迫力がない。それも笑ってしまう要因だろう。
師団長も同じようで、しかし師団長が笑っているのを見た守護獣がびゅんっと師団長の元へ飛んだ。
「うきゅ! うきゅうきゅ!」
「ああ、分かってる。仕事をしたいんだな?」
「うきゅ!」
「トニス。おまえが考えているようなことは一切ない。俺の守護獣は、おまえが持ってきたその報告書を渡してほしかったんだ」
「? これですか?」
トニスが自分が持ってきた報告書に視線を向ける。それを見た守護獣が再び飛び、トニスに向けて「うきゅ」とひとつ鳴いて手を出した。
それを見て、トニスは「? ほい」と報告書を渡す。守護獣はすぐにそれを師団長に渡すために、また飛ぶ。
「うきゅ!」
「ありがとう」
師団長は報告書を受け取り、守護獣を褒めるように撫でる。守護獣はまた嬉しそうに鳴いた。
「えーっと、どういうことです? 副師団長」
「団員からの報告書を受け取り師団長に渡す、それが守護獣殿の仕事になった」
「……なるほど? ……えっと、なんでそんなことに?」
「師団長の手伝いがしたいらしい」
「はっ!? 可愛い上に健気とか……!」
「そういうわけだ。今後は守護獣殿に報告書を渡すように」
他の団員たちにも通達しておこう。トニスのような勘違いが起こっては守護獣の仕事がスムーズに進まなくなる。そうなると師団長の仕事も少しずつ滞ってしまう。
(仕事をする、手伝いがしたい守護獣か……)
まるで、仕事に打ち込んでいた師団長を知っていて、無理をさせたくないような、そんな行動だと思えてしまった。
今後の師団室で団員たちの頬の緩みが顕著になりそうだと思うと困るような、しかし師団長を見ていると非常によいことのような、不思議な心地になった。
「師団長! 報告書です!」
「俺も! おっ、師団長の守護獣~。ほい、俺らの報告書。師団長に渡してくれよな」
「うきゅ」
「俺もまた持ってくるからな。そのときはよろしく」
「はあぁぁ……ちっちゃい手で報告書持ってる。可愛い~」
「うきゅ!」
「……ガードナー。邪魔になっていないか?」
「大丈夫です。師団長。手伝いをする守護獣殿見たさに報告書を出す者に付いて師団室に来る者が増えておりますので、用のない者は来るな鍛練しろと伝達しておきます」
「「「副師団長のいけず!」」」




