66,優しい君だから
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『社交会は少しだけ疲れてしまう。
鼻を衝く匂い、耳が集めてしまう音。わたしにとって慣れ親しんだものとの違いは、まだ、慣れない。これからは慣れていかないといけないけれど、少し不安になる。
できるだけ、ギルベール様のご迷惑にならないようにしないと』
『会場を少し離れて休憩していたとき、クロサブル子爵令嬢アリシャ様に声をかけられた。
彼女は、社交の場では獣人をよく思わない方々と一緒にいる人。少し、身構えてしまった。
だけど、少しお話してみると、そうではない方だと分かった。
獣人のこと、ファルダ国のことに関心があるみたい。少し、嬉しい』
『社交会でアリシャ様とこっそりお話することが増えた。そのたびに獣人のこと、国のことをお教えする。いつも興味深そうに聞いてくださって、嬉しくて、少しだけ寂しい気持ちになる。……いけないから、直さないと』
『アリシャ様が一緒にお出かけしないかと誘ってくださった。
嬉しい。……けれど、きっと、ご迷惑をおかけする。
獣人を見慣れない人々はきっと驚くでしょうし、もし貴族と同じだったら……きっと、アリシャ様を巻き込んでしまう。
それに、わたしが外に出るとなると、きっとギルベール様も苦慮なさる。護衛やメイドをつけようとなさる。
わたしには護衛なんて不要だけれど、それを彼は知らない。……きっとこれからも、知ることはない。それでいい。わたしはもう、ロドルス国のロザロス公爵夫人だから。
幸い、普段からわたしの側にいたがる者はいない。
少しくらいなら、屋敷を抜け出してもきっと大丈夫。一応目くらましに光の力を仕掛けておこう。そうすればわたしがいるように見せかけられる。
わたしの居場所は、ない。だからだれも、わたしに頓着しない。
それが役立つことになるなんて思わなかった。よかったと思っておこう。こっそり屋敷を抜け出すなんて、光の力を使えば難しくない』
『アリシャ様は獣人流の交流をしてみたいと、おっしゃった。……友人になりたいと、言ってくれた。
嬉しかった。忌避なく受け入れてくれる人がいることが。
――だけど、イーヴァ伯爵令嬢たちに見られてしまった。
疲労から出た涙。嬉しい笑み。勘違いを正す力は、わたしにはない。
なら、否定に回らなくていい。
わたしが非難されるなんて、もう、慣れてるもの。
代わりに、アリシャ様は守ろう。
傷つけるなんて、してはいけない。
だって、わたしのこの国で初めての友人だもの』
『アリシャ様が、カフカント侯爵のもとへ輿入れなさることになった。
驚いた。クロサブル家がそんな大胆なことをするなんて思わなかった。
……どうしてだろうと考え。だけど、答えはでてこない。
アリシャ様は獣人に忌避を抱いておられないけれど、社交界ではイーヴァ伯爵令嬢たちと一緒にいる。だからずっと、気になっていた。
――少しだけ、耳を傾けてみた。
分かったのは、アリシャ様の婚姻にはイーヴァ伯爵家が関わっているらしいこと。
……わたしのせいかもしれない。
だとしたら、申し訳ない。だけど……この交流を、なければよかったと思いたくない。
カフカント侯爵は、社交界では温和な方という印象をもっている。
どうか、彼女が幸せでありますように――』
そっと日記を閉じた。
胸に沸き起こるのは、締めつけられるような痛みと苦しみ。
なんとなく、理解できる。
「大丈夫。大丈夫だよ。彼女はやっと笑えるようになった」
だから、安心してほしい。
そう思って言葉にすると、胸の痛みが少しだけ和らいだ気がした。
自分のことなのに、自分の体ではない。これもこの身体にいやというほどに染みついたシルティの記憶。
(カフカント夫人のことは解決した。国はルタンダル国とのいろいろがあるようだが、それ自体にギルベールは深く介入しない。……これは傍観だな)
国の動きは把握しておきつつも、それに手を出すことはしない。
それができる立場にはないし、正直なところ、ギルベールの幸せが第一であって国など第二、第三だ。優先度は低い。
ギルベールは陛下の指示を受けない限り動かない。動くとなった場合に備えて情報は集めておく。それだけでいい。
思考し、昼間のことを思いだす。
ギルベールのどこか暗い表情。辛そうな、寂しそうな、放っておけない様。
「ギルベール。君は優しすぎる……」
だけど、その優しさがあるから、わたしは君を幸せにしたいと思うんだ。
幸せになってほしいと、思うんだ。
ギルベールは『シルティ』との過去があるから、その関りを最小限にしてきた。
それは彼なりの優しさだ。同時に、彼がそれだけ過去の事に心を縛られているということでもある。
それは無理もない。
実父が国に反旗を翻し、彼はそれを止めた。それは称賛されることのない、彼だけが背負う業となった。
ギルベールに後悔はない。ファルダ国先王を討ったことも、実父を討ったことも。
彼が成し遂げたことだ。だからそれを独りで背負っている。
周りの者が、それで辛い想いをしなくていいように。
ギルベールのその想いと優しさはきっと生涯変わらないだろう。背負うそれが、自然体で背負えるようになれれば上々だろうとわたしでも思う。
忘れない。背負い続ける。それはギルベール自身の覚悟だ。
それを変えるつもりはない。――が、今はまだ辛そうな彼を見ているから、わたしもギルベールのために動く。
(さて。次は――……)
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静かな、小さな屋敷。
小さな庭に植えられている花は美しくて、貴族の邸宅のようなものではないけれど、とてもほっとできる場所になっている。そんな花々には蝶や虫が近づいて、生きている。
晴れている青い空には真っ白な雲が浮かんでいて、時折広々と翼を広げた鳥が飛んでいる。優雅で自由で、少し羨ましい。
この周りは他に建物もないからとても静か。町へ行くことも随分と減ってしまった。
行きづらいと、思うから。
穏やかな風が吹く。それは心を落ち着かせてくれるはずなのに、胸の中に小さな痛みがあって、あまり心は晴れない。
(だめね。ずっと、なにも変わらない……)
重たくて、苦しい。
時間が少しずつ癒してくれると思っていた。皆もそう言ってくれた。
だけど、癒えている気がしない。
ずきずきと鈍く痛み続けている。
(私、なんて情けないの……)
胸に触れて、痛みを知る。
だけど、皆に心配をかけてしまうから、大丈夫だって顔をしていないといけない。大丈夫。それくらい、できないと。
心を休めるための庭で、似合わない息を吐く。
「大奥様!」
大きな声はよく通る。
視線を向けると、この屋敷で働いてくれている、ずっといてくれる侍女が慌てたように走ってくるところだった。
息を切らしてやってきて、頑張って息を整えている。もうあまり若くないのに。
「どうしたの? そんなに慌てて」
「ぼ、ぼ、げほっげほっ」
「落ち着いて。はい。お茶」
私のために用意してくれているお茶を一杯渡すと「とんでもありませんっ」と言って、頑張って自分で息を整える。
それを待って、侍女は息を整えて続ける。
「ふぅ……。大奥様。坊ちゃ――いえ。ギルベール様からお手紙が届きました」
「!」
出てきた名前に、無意識に息を呑んだ。一緒にいる他の侍女たちも驚いた顔をしていた。
その名前は、あまりこの屋敷では出ない。……皆、私を気遣って、あまり出さないから。
侍女が差し出したのは一通の封筒。その封蝋は確かにロザロス公爵家の物。……今の私にはあまり縁がないもの。
王都に行った彼からは以前一度だけ手紙が届いた。
王都での近況と『シルティ姫を迎えました』という報告。それ以外の世間話もない、伝えるべきことだけを収めた手紙。
震える手で封筒を受け取って、封を開ける。ぱらりと蝋の欠片が落ちたけれど、気にしない。
震える手で便せんを取りだす。紙は、一枚だけ。
ふぅっと息を吐いてから、折りたたまれた便せんを開く。
まるで王都から吹いてきたような風が、手の中の紙を優しく撫でていった。
ここまでお付き合いくださりありがとうございます。作者の秋月です。
第二部はこれにて終了となります。番外編を少々挟んで第三部に入る予定です。
第三部へはスムーズに入れるかな……?
ではでは、よろしければ引き続きお付き合いよろしくお願いします。




