63,てててててっ
「さて! ではやろうか」
「はい! 負けません!」
……カフカント夫人が張り切っている。やる気にあふれている。
見たことのない生き生きとした表情に俺は驚かされるが、カフカント侯爵は非常に好まし気にそれを見ている。
「リアン。合図を頼む」
「承知しました!」
びしっと手を挙げるリアンもまた非常に楽しそうだ。その傍には夫人の侍女もいる。こちらも止める様子はない。
四人は俺たちから少し離れてなにか確認し合うように話をする。そしてリアンと侍女が少し離れ、彼女と夫人が並んだ。
「位置について、よーい……はじめ!」
リアンの大きな声が開始を告げ――二人が地を蹴った。
髪がなびき、動きやすい服装でも夫人らしいそれが揺れる。普段や社交の場で見ることのない動きは少しだけ目新しい。
カフカント夫人は体力的にどうかと思ったが、俺が思うよりは勢いよく、速く、長く走る。その表情は終始楽し気で笑みが消えない。
対する彼女は軽やかに、余裕気に、走る。軽い足取りはまるで地が彼女の足を押しているかのようにすら感じる。それほどに軽やかに、地を味方につけているように走る。
「奥様はやーい!」
「はははっ! うん。気持ちいいな!」
「まっ、待って、シルティさまっ……」
カフカント夫人の体力が尽きたようだ。
崩れ落ちるように座り込み、それを見た彼女が戻ってきて声をかけながら手を差し出している。夫人は彼女を見上げ、肩で息をしながら笑っている。
晴れる太陽のぬくもりが二人を照らし、風が吹いて二人を囲む。太陽のきらめきも、ぬくもりも、まるで絵画のように二人を美しく照らす。二人の周りで咲く小さな黄色い花が、まるで二人を見て喜んでいるようにみえる。
「……あれを見て、よくまあくだらない噂が流せる」
「まったくです。眩しいほどに、貴族には珍しいほどに」
――二人の間にはそれだけの友情が芽生えていたのだと、この光景を見て思う。
(俺は、知らなかったな……)
二年間、外出などしていなかった彼女。俺もセバスもハインも知らないとなると、彼女は――屋敷を抜け出したのだろう。
それを今さらに咎めることなど、できるはずがない。
彼女にとって屋敷はあまりにも息苦しく、居場所ではなかったのだ。
(解っていた。解っていた、が……)
――なぜだろう。妙に、胸が痛く感じるのは。
思わずぐっと胸元を握る。痛みは鈍くて、なかなか消えてくれない。
(今さらだろう。俺にはこんな痛み……感じる資格などない)
傍に座る守護獣がくるりとした目を俺に向ける。なんでもないと口許に笑みをたたえて撫でてやる。
目を閉じてそれを受け入れていた守護獣は「うきゅ」と鳴くと、えいせえいせと俺の服の袖を引っ張る。
「どうした?」
「うきゅ」
来い来いというように袖を引く。それに引かれて俺は立ち上がり、導かれるまま歩く。
なんとなく思っていたとおり、守護獣が導くのは彼女たちのいる場所。
見つめていたいなと思った光景は俺のすぐ傍にあり、彼女たちの目が俺を見る。
「うきゅ。うきゅうきゅ」
「君は飛ぶだろう? 反則だぞ」
「うきゅ!?」
……やりたかったのか。
愕然とした守護獣にはカフカント夫人も喉を震わせている。
守護獣は掴んでいた俺の服の袖を離すと、飛ぶのをやめて地に足をつける。そして「これならいいだろう」と言わんばかりにててててっと駆け出した。そんな姿を見て「か、可愛いっ……!」とリアンと夫人と夫人の侍女の声が重なる。
少し走って彼女を振り返る守護獣。彼女もそれを見て喉を震わせた。
「ではギルベールも交えようか。飛ぶのは禁止だ」
「うきゅ!」
「俺もやるのか……?」
「嫌なら寝室に奇襲を――」
「分かったやろう」
これは負けられないな。負ければなにか要求されそうだ。寝室への奇襲だけは阻止したい。
二人と一体で並ぶ。リアンと夫人と夫人の侍女はこちらを見ている。
先ほどと同じようにリアンが片手を挙げる。
「それでは、よーい……はじめ!」
開始合図と同時、俺は地を蹴った。
すぐに風が肌を撫で、足が迷いなく動く。
(こんなふうに走るのはいつぶりだ……)
ただ駆ける。騎士団での鍛錬とは感じ方が違う。
鍛練でもなくただ走るなどいつぶりだろうか。それこそ、子どもの頃以来かもしれない。そのときは誰が一緒だったんだったか……。
考えて、浮かぶ。
そんな俺の思考を現実に戻すように、側を同じ速度で走る人がいる。
それを見て、ちらりと向けた視線が合って――同時に速度を速めた。
(これからもこうして、一緒に走り、進むことができるだろうか……)
ここまでと決めていた地点を同時に過ぎる。そして、息を吐きながら彼女を見た。
「……余裕そうだな」
「君はさすが、速いな」
そう言う彼女は余裕だ。さすがは獣人と言うべきか、身体能力の高さには毎度驚かされる。
「本気ではなかっただろう?」
「ふふっ」
彼女は楽しそうだ。その笑みを見つめてどうしてか、俺も大きく呼吸しつつ微かに口元が緩んだ。
走ったのはわずかな距離だ。それでも少しだけ彼女に近づけたような不思議な心地になる。
そんな道を振り返り、はたとした。
てててっと俺たちを追いかけてくる守護獣。その傍には、いつの間に顕現したのかカフカント夫人の守護獣であるレッサーパンダが小走りで付き添っている。
俺の守護獣は飛ぶこともなくちゃんと走っているがなにせ短い足だ。俺たちの速さには足で追いつけない。それでも必死にこっちへ走ってくる姿がなんとも微笑ましく、愛らしい。
てててっと走っていた守護獣が――……ぺしゃっと転んだ。
「「あ……」」
もそりと起き上がる。その目にうるうると涙を溜めて。傍にいるレッサーパンダの守護獣がおろおろと小さな守護獣の周りを動き回っている。
――それを見て俺はすぐに取って返した。
「な、泣くな? な? 大丈夫だ。痛くないぞ」
「うきゅぅぅ……」
ここで泣いてしまうとカフカント家に多大なる迷惑をかける。なんとか宥めなければ。
そう思ってなんとか宥める俺に向かって守護獣は短い手を伸ばす。それを見てすぐに抱き上げた。そのまま撫でてなんとか宥める。
「約束どおりに走ったんだな。偉いぞ」
「うきゅぅぅ……」
「おまえの頑張りで俺とおまえの絆はもっと深まったんだ。な?」
「うきゅぅぅ……うきゅ? うっきゅ!」
うるうるとしていた目がぱちりと瞬かれ、元気になった。
よかった……。ほっとする俺のもとにのんびりと彼女がやってくる。
「君は本当に守護獣に甘いな」
「……今回は大目にみてくれ」
「まったく。まあ……約束をちゃんと守ったことも、君に置いていかれても泣かなかったことも、成長している証かな」
そう言って彼女は守護獣を撫でる。それには守護獣も嬉しそうな顔をした。
(確かに、以前なら俺の肩から離れなかっただろうに……。偉いな)
喜びを胸に撫でてやると、守護獣が嬉しそうに「うきゅ」と鳴いた。




