61,一歩、次の一歩へ
「っ、ぁ、なっ……なっ……」
「ふふっ。アリシャ様ったら照れちゃって」
「っ、シ、シルティ様っ……!」
もちろん、すべて口から出まかせだ。
二人が相思相愛だなんてわたしの知ったこっちゃない。けれどまあ、たとえ出まかせでも衆人の中でまるで本当のことであるかのようにこんな内容をべらべら喋られればまず狼狽え、混乱する。
それが、真実味をもたせる。
カフカント夫人の反応はそれを裏付ける。
「あ、あなたという人は……」
「ギルベール様。なにかおっしゃいましたか?」
カフカント夫人からギルベールに向き直る。その途中、周囲には分からない程度に夫人に接触した。
それによって夫人の体が傾く。
「きゃっ……!」
小さな悲鳴が上がった。けれどその体が崩れ落ちることはない。
――周囲が少しざわめいた。
「アリシャ。大丈夫かい?」
「は、はい。だいじょ――」
カフカント夫人を頼もしく、さりげなく、しかと抱きとめたカフカント侯爵。思いの外力強い腕にカフカント夫人もほっとしたように侯爵を見て――言葉を失った。
抱きとめられれば必然、二人の距離は近くなる。
目が合って――カフカント夫人の顔から湯気がぽんっと発生。
そんな妻を見た侯爵は、にこりと笑みを浮かべた。
「今日は珍しい君がたくさん見られる。嬉しいよ」
「っ……」
あぐあぐとなにかを言おうとして、でも言葉にならない。表情だけが雄弁だ。
(うんうん。素直でよろしい。これで夫人が誑かしているという話は二分されるだろう)
だからこそ、この状況をつくることができ、わたしの妄言が真実味を帯びるわけだけれど。
カフカント侯爵も突然のことにしっかり対応してくれている。夫人の腰に手を添えて放そうとはしない。
解っている侯爵はさりげなくオリヴァン殿を見た。オリヴァン殿は少し眉を上げ、しかしこれまたさりげなく妻であるエリーゼ殿を抱き寄せる。
「父上。今夜は少々賑やかですから、継母上から離れぬほうがよろしいかと」
「そうだな。おまえもエリーゼの傍にいてあげなさい」
「当然です」
エリーゼ殿までにこにこと微笑み、照れくさそうにオリヴァン殿に寄り添う。……咄嗟だろうに、さすが次期侯爵夫人。
おかげで周りがざわめきだした。よしよし。
わたしは一人非常に満足であるが、隣からは「胃痛が……」と苦しんでいる声が聞こえている。早く帰って胃薬を用意させたほうがいいようだ。
「ロ、ロザロス公爵様ならび夫人。カフカント侯爵ならび皆さま、ごきげんよう」
「せっかくいらしたのですしお話でもいかがですか?」
「あちらで皆と話をしておりましたの。ぜひカフカント夫人も!」
どどどっと押し寄せた婦人や令嬢たちの波。主には中立派や親獣人派の家の面々だ。
そんな人たちによってカフカント夫人はあっという間に連行されていった。いろいろと聞かれるだろうけれど、あの様子ではうまく答えられないかな。令嬢たちがいいように解釈してくれるだろう。
会場の空気と流れが少しの動揺を残したまま元に戻る。ティルズバーン夫人が楽し気な笑みを浮かべて女性たちの輪の中で新しい話題に花を咲かせ、サルヴァン夫人は不快気に中立派及び親獣人派の輪を睨んで去っていく。
周囲を確認していると、面白そうに笑っているバートハート兄弟が見えた。あちらは明日のギルベールに任せよう。
会場が再びの活気を取り戻してから、こっそりとオリヴァン殿が傍へ来た。
「……ありがとうございます。ロザロス夫人」
「いいえ」
「しかし……また別の噂となりそうですね」
「こうなれば時の流れとともに消えていきます。反獣人派は完全に消そうとしないでしょうから、前よりマシになったでよろしいかと」
「……そう、思うことにします」
くすくすと笑うわたしの前でオリヴァン殿は頭に手をあてながら肩を竦める。隣では夫人のエリーゼ殿がくすくすと笑っているし、決して不快ではない様子。
「エリーゼ殿も咄嗟のことに見事でした」
「ありがとうございます。ふふっ。ロザロス夫人には及びませんわ」
会場の一部、非常に賑わっている女性たちの方へ視線を向ける。見えないけれど、おそらく中心ではカフカント夫人があわあわとしているだろう。
カフカント夫人も今わたしが言ったことを嘘だとは言えない。言ってしまうと「ならやっぱり……」と噂は逆戻り。
(ま、この手の話題は否定すれば逆効果で、余計に火をつけるからな)
よきに盛り上がってほしい。
「ふふふっ」
「……大人しくと、俺は言ったはずだが?」
「うん。してる」
「してない!」
「今の流れを打ち消すにはより刺激的で盛り上がる話題がほしいだろう? こういう噂なら皆がいいように運んでくれる」
「っ、だとしても!」
ギルベールが静かに吠えてくる。それもあまり気にならないでいると、逆隣から靴音が聞こえた。
ギルベールの言葉も途切れ、わたしも視線を向ける。
そこにいるのは、わたしが渦中に落としたカフカント侯爵。
やってくれたなと言わんばかりにわたしを見る目に、わたしも微笑みを返す。
「おいぼれの心臓には少々悪いですな。ロザロス夫人」
「わたしの友の夫には、友を幸せにするくらい、してもらいませんと困ります」
狙いがあると解っていても、それでも彼女を迎え入れると決めたのなら。
彼女を檻から救い出したのなら。
彼女を優しい言葉と態度で守ろうとしてくれたのなら。
「彼女は強くなりました。一歩前へ進むことができました。そして、そんな彼女を生かすも殺すもあなたは選択できる。そうでしょう?」
「……」
「あなたにとっては孫のような子かもしれません。彼女もあなたには迷惑をかけたという心苦しさや罪悪感がある。でも……――もういいのですよ。そんなこと」
いつまで背負う。いつまで自責する。
それに囚われては前へ進めず、相手が進む未来をいつかは妬むことになる。恨むことになる。
――なにも、生み出さない。
一歩は進まなければいけない。どんなことがあろうとも。
(交流を持つまでの時間。交流を持ったことで出た噂からの時間とカフカント侯爵と結婚してからの時間。重なる二つの時間がカフカント夫人を責めている。――でも、今日で一歩、進めたはずだ)
まだまだ吹っきれはしないだろう。それでもいい。
それでも一歩進むことができたなら。きっとまた次の一歩を進むことができるだろう。
もう、責めなくていいし、背負わなくていい。
そこから少しずつ、立ち上がっていけ。
「わたしも――悲しみから立ち上がってここにいるのですから」
両隣から息を呑む音が聞こえた。
けれど、わたしはカフカント侯爵だけを視界に入れる。きっと、見られたくないだろうから。
(そうだろう? 君だって父を殺し、敵将を討ち、家族が引き裂かれた。シルティと離れていた二年間に比べれば、わたしとも目を合わせ、名を呼んでくれるようになった。生涯消えない傷があるとしても、少しずつ進めているだろう? それに『シルティ』だって、父の死を悲しみ、国を家族に託して離れ、ギルベールを知り、それでも……ギルベールを気遣っていた)
まだ立ち上がりきれてはいないかもしれない。立ち上がっても、鈍く残る痛みをいつも感じているかもしれない。
ならばわたしが、その手をとって歩かせよう。明るい方へ、幸せを感じられる方へ、連れていく。
「わたしの友を泣かせたら、承知しませんよ?」
微笑みを浮かべ、言ってやる。
その言葉にカフカント侯爵は目を瞠り、参ったと言いたげに眉を下げた。
「ロザロス夫人にそこまで言われては、しないわけにはまいりませんな」
「まさか、そのつもりなく妻にしたわけではありませんよね?」
「これは手厳しい」
口元が笑みをつくる。その眼差しはどこまでも優しく、女性たちに囲まれたカフカント夫人に向けられる。
カフカント侯爵の情が恋情なのか親愛なのか家族愛なのか、それはわたしには判らない。けれど、そのどれであっても、大切に想う気持ちは同じだろう。
カフカント夫人も同じだ、その胸にあるのは親愛か敬愛か……大切に想っているから申し訳なく思う。
二人のそれがどう変化していくのか、それはこれからの二人次第であって、だれにも分からない。
「彼女は、あなたの妻ですから」
「ええ。強く、弱く、時に周囲の背筋を伸ばそうとし、前を見て背を伸ばす、逞しい女性だ」
「その言葉を聞けて安心しました。なにせ、侯爵かオリヴァン殿には頑張ってもらいませんといけませんし」
にこりと笑みを向けると二人がそろって怪訝な顔をした。首を傾げる二人にわたしは微笑みを崩さずお伝えする。
「カフカント侯爵家、跡継ぎのこともありますからね?」




