60,払拭と流布
「そう……。でもお気をつけて。あなたが頑張っても周りにだって思うところはあるでしょうから」
「まあまあ、サルヴァン夫人。若者の心意気に水を差すなんて無粋ですよ」
「! ティルズバーン夫人」
微笑みを浮かべてやってきたのは中立派の中心であるティルズバーン夫人。隣にいるティルズバーン公爵も微笑みを浮かべ、ギルベールとカフカント侯爵、オリヴァン殿に挨拶をしている。
それを横目に見つつ視線を前へ戻す。社交界派閥の中心である二人の並びには周りもどこか息を呑んでいる。
「ロザロス夫人、カフカント夫人。ごきげんよう」
「ごきげんよう。ティルズバーン夫人」
「ごきげんよう」
さすが中立派。わたしにもちゃんと挨拶をしてくれる。
うんうん。こういうところが反獣人派とは違う。
「ロザロス夫人。長くお姿が見えず心配していたの」
「ご心配おかけしました。少し体調を崩しておりましたが、もうすっかり。これもギルベール様がつきっきりで看病くださったおかげです」
「あらあら」
ティルズバーン夫人は頬に手を当て微笑んでいる。隣から感じるぎょっとした気配はこの際無視しておく。慣れなさい。
「ロザロス公爵様と夫人の仲は睦まじくて素敵だわ。ねえ? ロザロス公爵様」
「……そうですね。……私も、彼女のこととなると気が気ではありません」
ギルベール。もうちょっとわたしを想っているという顔にならないかな、君は。
カフカント侯爵と夫人から小さく笑う声が聞こえる。ティルズバーン夫人も小さく笑うと、カフカント夫人を見た。
「いろいろと騒がしいけれど、お二人を見て安心したわ。ねえ? サルヴァン夫人」
「私だって驚きましたのよ? お二人がそのようにお出になるなんて。なにせいろいろ、ありましたから」
微笑みの下で火花が散っているようだ。……まったくもって面倒だな。そしてギルベール。さりげなくわたしを後ろに退かせようとしない。
そんなことをしても無駄だぞ?
「ふふっ。なにもおかしなことなどありません。――わたしとカフカント夫人は友人ですもの」
息を呑んで見守る会場から音が一切消えた。だれもが視線をこちらに向けて驚きの表情を浮かべている。
隣を見れば同じような表情があって、けれどそれはすぐに年相応の笑みに変わる。逆隣はこの会場で唯一の反応、片手で顔を覆って天井を仰ぐなんてことをしているだろう。
「……友人ですって? あなたと、カフカント夫人が?」
怪訝と眉を歪めるサルヴァン夫人を見て、カフカント夫人が顔を上げて毅然と頷いた。――その手はもう、震えていない。
「そのとおりです。私はかつて、ファルダ国や獣人について知りたくてロザロス夫人に声をかけました。それ以来の友人です。ただ……残念なことに、私がファルダ国での風習を教わっていたとき、それを勘違いされたことによって望まぬ噂が流れました。状況としてそう見えてしまったのであろうことと、私たちにとって未知が多い獣人のことで、それを否定することは難しかったのです。だから……シルティ様は、私を守るために、あえて距離を置かれた」
「わたしは、アリシャ様が獣人を知ろうとしてくださった、それが充分嬉しかったわ」
「シルティ様……。ありがとう。でもやっぱり、誤解されたままでは嫌なのです。あなたに顔向けできません。ずっとずっと……私の不甲斐なさでこんなことを招いてしまった。本当にごめんなさい」
「謝罪の必要などなくてよ。ちゃんと言ってくれたのだから」
パートナーとの手を離し、両手をしっかり握り合わせる。
(ここにある。ちゃんと。君と『シルティ』との絆が)
わたしはあくまでそれを繋ぎ続けられるようにしただけだ。
『シルティ』が信じて願ったカフカント夫人との絆を。カフカント夫人が苦しみながらも決意した『シルティ』との友情を。
(もう、胸を痛めなくていい。堂々と友だといえる)
心の中で伝える。守るために迷いなく孤独を選んだ優しい獣人に。
「素敵ね。人も獣人も、いつかそういう関係を築いていける、そういう世がくるといいわ」
「冗談ではないわ。まったくもって信じられなくてよ」
耳がぴくりと動く。「獣なんかと…」というサルヴァン夫人の最後の言葉、ちゃんと聞こえている。
わたしの耳にははっきり聞こえても他にはそうでもないだろう。だが、容易く想像できたのか、わたしの隣の空気が僅かに鋭さを帯びる。
視線を向ければ視線が返ってくる。落ち着くように訴えれば不服が返ってきた。
(優しいな。君も)
当然のように怒ってくれる。それは嬉しいものだ。
心の中にぬくもりが灯ったような心地でわたしは思い出したように軽く手を打った。皆の視線がわたしに集まる中で、にこりと微笑む。
「わたしとアリシャ様のこともですが、最近はなにかと噂が流行っているようですね」
「あら。病床の身で耳が早いこと」
「なんでも、アリシャ様がカフカント侯爵やご子息を誑かしているとか」
直球に口にすればサルヴァン夫人が面白がるように目を細め、ティルズバーン夫人は探るようにわたしを見る。噂渦中の人であるカフカント夫人が僅か身を強張らせるのを視界の端に収めながら、わたしは笑みのまま続ける。
「わたし、それを聞いたときに笑ってしまいました。アリシャ様とは噂が出るまで交流していたので知っていたのですが――……ああでも、きっと皆さまも分かるだろうと思っていたのです。なのに社交界で見ていてどうして皆さまお気づきにならないのかととても不思議で」
「?」
隣から咎めるような視線が刺さる。でもそんなこと、気にしない。
サルヴァン夫人もティルズバーン夫人も、なんならカフカント家の面々も。会場の全員が首を傾げてわたしを見る。
その視線の中で、わたしは微笑む。
にこりと口角を上げて、嬉し気に、祝福を込めて。
「どうして皆さま、カフカント侯爵とアリシャ様がこれほどの相思相愛だとお気づきにならないのかしら?」
「……。!?」
「 お互いを見る目をみていればすぐに分かるのに。愛おし気な眼差しと少し照れを含んだ眼差し……見ていてなんだかくすぐったくなってしまうでしょう? 歳の差というのはどうしても無粋にみられてしまいがちだけれど、歳の差なんて恋の前では無意味だもの。素敵ではなくて? 解る、解るのよ。周囲の目があるとどうしても相手に素直に想いを口にはできないわよね。わたしとギルベール様もそうだったもの。だけどいいのよ、正直になって――」
「っ……そっ、そこまでにっ……」
「――あら。わたしったら。なんだかわたしとギルベール様のように想いあっていることをおおっぴらにできないようなところが似て感じられたとはいえ、野暮はいけないわね。ごめんなさい。カフカント侯爵、アリシャ様」
慌てふためくのを必死に内心で押し殺しているようなギルベールに止められ、わたしはにこりと微笑んで言葉を止めた。ギルベールがまたぎょっと目を剥いた気がしたが、今度もそれは気にしない。
会場が静まり返っている。言葉を失くしたように唖然としている。非常に愉快だ。
けれど、それ以上に愉快なのは――……驚きに目を瞠り言葉を失くすカフカント侯爵と隣で同じ様子のカフカント夫人。
カフカント夫人に向けてにこりと笑みを向ければ、驚いていた表情が――みるみる赤くなった。
さて。――とどめを刺そうか。




