59,その勇気は強さになる
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会場への入口がすぐそこに見える所まで来て、わたしは足を止めた。エスコートしてくれているギルベールが足を止めて視線をよこす。その隣で同じようにカフカント侯爵と夫人が足を止めた。
「どうした?」
怪訝とわたしを見るギルベールの黒い瞳。それを見ることなく、わたしはギルベールの左側へ移動する。
わたしの行動に驚いた顔をするギルベールを視界の端に認めつつも、ギルベールの左腕に手を添えなおし、わたしの左手はギルベールとは逆隣へ差し出す。
「皆を驚かせてみないか?」
そう隣へ声をかける。驚いた目でわたしを見ているカフカント夫人はわたしとわたしの手を交互に見つめる。
わたしの行動による先の展開が読めたのだろう、カフカント侯爵が喉を震わせる反面、ギルベールはきっと渋面顔だ。
だけどそれは気にしない。カフカント夫人を見ていると驚いた表情が次第に消え、力の抜けたような笑みを浮かべた。
「もう、シルティ様ったら……」
「嫌か? わたしと仲良しよとみせるのは?」
「いえ。いいえ。私――……もう、黙っていないって、決めたもの」
差し出した手をぎゅっと握る、わたしよりも小さな手。だけど強くなった手。
かつて『シルティ』と繋がりを持ち、それが途絶えた令嬢。心に刺さった棘のように気になっていても、自身の環境変化と罪悪感でなにも言えずにいた夫人。
(君が今回の事でも以前のままだったなら、わたしは手を貸さなかったかもしれない)
気にはかけた。注視はした。だって『シルティ』が気にしていたから。
だけど、それで終わったかもしれない。
変化を決意したのは、アリシャ・カフカント自身。彼女はその胸の奥底にその強さを持っていた。きっとだれもが持っていて、けれど踏み出すには大きな勇気を必要とするそれを。
(こういう友人というのもまた、悪くないかな)
手を繋ぎ、再び足を進める。
きらびやかな会場の光。賑わう人々の声。夜会の時間も終盤に入り、緊張も抜けて笑みが交わされることも増える。めぼしい相手を見つけた者はそんな相手を捕まえ、壁際で解散を待つ者もまたいる。
ある程度の形が整い、流れる時間。ゆったりとして、慣れがみえはじめる。
そこに、足を踏み入れた。
視線が固定された者たちから視線を奪うのは難しい。が、こっそり魔法で空気の流れを作れば、案外それは簡単だ。
「! おいっ、あれ……!」
「カフカント侯爵家……! 招待されていたのか?」
「一緒に入ってきたのはロザロス公爵だろ? しかも夫人も!」
「望めない容態だって話だったけど回復したのね……」
「だけどあれってカフカント家がしたことじゃ……ねえ。あの夫人同士の表情と手、まさか……嘘だったのかしら?」
「でもカフカント夫人ってほら、侯爵も子息も誑し込んでるって……」
いろいろと聞こえる音がたくさんだ。どれも煩わしいことこの上ない。
だが。だが、だ。
「ふふふっ」
「……その、どいつの目もひん剥かせてやるぞという、心底楽しみだという笑いはやめてくれるか」
「さすが夫だ。よく分かっている」
「嬉しくないっ……!」
ギルベールが今にも顔を覆ってしまいそうだ。先ほども胃薬を欲しがっていたし、屋敷へ戻ったらハインかセバスに相談することにしよう。
けれど、今ここに胃薬はないから守護獣に癒してもらうしかないな。そう思ってギルベールの肩に乗る守護獣に視線を向けると、心得たように「うきゅ」と鳴いてギルベールの頬にすりすりを始めた。うむ。よろしい。
「なんだか、今日は初めて見るシルティ様がたくさんで、少し嬉しいです」
「わたしも、アリシャ殿とまたこうして隣り合うことができて嬉しいよ」
手を繋ぐ隣に笑みを向けると、カフカント夫人はどこか照れくさそうに笑う。
それでも――まだ少し、手が震えている。
(無理もない。そう簡単にすべてを上書きできるほど、人は強くない)
恐怖心は、そう簡単には拭えない。
簡単に心が入れ替えられるなら、だれも苦労なんてしない。過去に囚われたりしない。
人が簡単に口に載せる言葉はおそろしいほどの凶器になる。それが抉る傷はだれにも視えず、そう簡単には癒えない。
――それでも、強く在れる。それができる。
わたしは、そう在ろうとする者を嗤いはしない。その意志があるのなら、それをその人が示すなら、手を貸すこともやぶさかでない。
今の、カフカント夫人のように。
それに――……。
カフカント夫人が侯爵の腕に添える手。その手を、侯爵が優しく包む。
「大丈夫だよ。私も、オリヴァンもエリーゼもついている。一緒に立とう」
「っ、はいっ!」
二人が視線を合わせ、励ましと安堵で微笑み合う。
そんな光景はさらに周囲を騒めかせる。
さあ。すべてを変えるのさ。この手で。
その意志を伝えるように繋ぐ手に少し力をこめる。はっとしたような表情と目に口端を上げて返す。
「あら。ロザロス夫人にカフカント家の方々まで、いらしていたのね」
「サルヴァン夫人。ごきげんよう」
遠巻きにする者の中、歩み出てきた一人の夫人。反獣人派筆頭のサルヴァン公爵夫人だ。
今日も眩しいようなドレスが目に悪い。それに香水もきついな。鼻が曲がる。
「お会いできたのにもうこんな時間……。せっかくいらしていたのならゆっくりお話したく思いましたわ」
「話の機会はこれからもたくさんあります」
噂が出回る今、顔見世程度の参加かと嗤っているのだろう。それが解っていてもカフカント侯爵は余裕気に微笑む。
サルヴァン夫人はその視線をカフカント夫人に向け、にこりと微笑む。
「夫人もお久しぶり。あまりお姿が見えなくて心配しておりましたの」
「ご心配おかけしました。……私は、大丈夫です」
「そう? ……ご無理はなさらずにね。お立場上やむを得ないとはいえ、私で力になれることならいくらでも協力しますわ」
ちらりとその視線がわたしと繋ぐ手に向けられる。人助けをするような言葉でもその笑みの口元が三日月に歪んでいる。
それが分かるからカフカント夫人の体に力が入り、手にも力が入る。
それでもカフカント夫人は、顔を上げる。
「お心遣い感謝いたします。――私は、カフカント侯爵夫人として、これからもその役目をしかと果たしてまいります」
サルヴァン夫人の柳眉が僅かに動いた。さっと出した扇が口許を隠す。
その目は微笑みのようで、しかし笑っていない。背筋を伸ばして睨まれれば身が竦むだろうに、カフカント夫人は怯まない。――手が震えていても、それを一切表に出さない。
それを見て、少し口端が上がった。
人はだれも、いきなり強くはなれない。
だけれど小さな勇気を振り絞ることは、できる。
そしてそれが、いつか、大きな強さになっていく。




