58,逃げたい。逃げられない
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「うきゅうきゅ」
もっと褒めてくれと言っているのだろうか?
守護獣が俺の肩で俺の頬にすりすりしている。そんな守護獣を撫でれば、俺の指を手に取ってすりすりしている。
リティア嬢がカフカント夫人を攻撃しようとしたそれより先に俺は彼女の指に招かれた。なにか言うことでもあるのかと思い身をかがめれば――守護獣をむんずと掴まれ、放られた。
突然のことに眠そうにしていた守護獣はわけが分からず。しかも放り出された先では火が自分に向かってくる。俺も咄嗟に火を消すイメージを守護獣に送ったが……なんとか収まってよかった。……いや。少々室内が荒れたので頭痛は残っている。
(バートハート侯爵に事情の説明を――……いや、バートハート殿からの協力申し出を受け取ったとはいえさすがにこれは謝罪では済まないな。弁償を……ヒュリオスから金を借りるか……なにか代替の品を……だめだ。頭痛がひどい。訓練。訓練だ。とにかくもっと守護獣の力はちゃんと加減できるようになろう。最優先事項として)
思考が少々逃避を始めている。……そうしなければ胃痛が悪化する。本当に。
思わず片手で顔を覆って天を仰ぐ。
(なぜこうも最近の社交会は疲れる……)
いや。これまでも相当に疲れる場所ではあったが。最近はとくにひどい気がする。
「あなた、うちに来ていた庭師の……!」
「では、侯爵。ロザロス夫人。私は失礼」
「ああ」
「ちょっと……!」
現実逃避したい俺は目の前の光景に口出す暇もない。
呼ばれてもいないのにタイミングよくやってきた青年がリティア嬢を拘束、そのまま部屋から連れ出していく。
あの青年はおそらく、ゼノン……だと思う。どうしてか見目がいつものゼノンではなく容姿の整った青年になっていたが、彼女との「その令嬢を拘束して公爵邸に放り込んでおいてくれ」「はいよ」というやりとりは間違いなくゼノンだった。声も同じだ。
(ゼノン……なはずだが、どういうことだ?)
俺の知らないところでまたなにやらやっているようだ。……もうなにも言えない。
(というか、ゼノンをカフカント邸に入り込ませていたのか……?)
いろいろと明らかになることに頭を抱える。バレればただでは済まないし、まさかカフカント家にそんなことをしていたなどと思わなかった。
……見覚えがあるのか、侯爵たちも少し唖然としている。
「――うむ。ではギルベール。君もこれでいいかな?」
「……」
「ギルベール?」
「……。俺の意見は採用されないだろう」
「そんなことはない。可能な限り、君の意見は尊重する」
「すべてカフカント家に任せたい」
「だからわたしとしても最低限にしている」
「どこがだ!?」
……あまりよく話を聞いていなかった。が、彼女の言葉で思考が急速に引き戻される。
今回の件、毒のことや噂に関して、言ってしまえば被害者はカフカント夫人だ。だからこそその対処はカフカント家がなすものであり、他家が関与するところはない。
俺としてもそれで終わると思っていた。……最後の攻撃意思がなければ。
あれのおかげで狂った。攻撃されてないとはいえ、明確な敵意と姿勢を示された以上、上位にあたるこちらとしても相応の慰謝料を求めることが可能になってしまった。
なったとしても、俺はなにも求めるつもりはないし謝罪で充分だと思っていた。……体裁など、もともとぼろぼろの俺には不要だ。
だが、彼女はそれを利用する。
(とはいえ、それが私利私欲でないだけまだいいか……)
謝罪や金銭、彼女はそんなものは求めない。
彼女が望むのは、根源の消滅と改変。
(今回の件、わざわざ動いたのはこれを為すためだったのか……)
目の前では彼女とカフカント侯爵、オリヴァン殿が話し合いを続けている。その傍ではそれぞれの夫人も話に加わっている。
リティア嬢の今後に関することだろう。俺はその点において彼女に任せるつもりであるのでなにを言うことはない。
……が、そろそろにしてくれないだろうか。胃がもたない。胃薬が欲しい。
「では、そういうことにしましょう」
「承諾ありがとう。侯爵、オリヴァン殿」
「いえ。もとはと言えばこちらがしでかしたこと。必要とあれば謝罪と賠償、責任問題の追及でも」
「ははっ。充分だ。――さて。では行くか」
そう言って彼女は立ち上がる。くるりと振り返って俺を見る目に、俺は怪訝と首を捻った。
「帰るのか?」
「会場に行くのさ。わたしの完全復活と、カフカント夫人との仲を知らしめるいい機会だ」
「……帰ろう」
「断る」
「……猛烈に帰りたい。胃薬が欲しい」
「仕方ないな。ではわたしはバートハート殿にエスコートをたのも――」
「分かった、分かった!」
バートハート殿にはこの場をつくってもらった。その上彼女のエスコートなど頼もうものなら後日なにを言われるか……。
『協力すると言ったからな』
そう言って、貸しだなんだと言わずにこの場をくれたのだ。感謝しかない。
顔を覆って俯くしかない俺の耳には小さな笑いが聞こえる。視線を上げれば、目の前の彼女だけでなくカフカント侯爵まで微笑まし気にこちらを見ている。
「もう、手遅れな気がするが……大人しくしているように」
「もちろん」
……守られる気がしない。
そんな予感がひしひしとしながらも、俺は大きく息を吐いた。
「……その前に、バートハート侯爵に話をしなければいけない。この……惨状を謝罪しなければ」
「ああ。そうだな。人をやろうか」
「俺が行くから、待っていてくれ」
一番動きやすい俺が申し出れば、彼女もカフカント侯爵も否は言わない。
どうしてもこぼれるため息をこぼしてから、俺はひとまず部屋を出た。
急ぎ会場にいるバートハート侯爵のもとへ向かい、話を通す。侯爵は弟であるバートハート殿を伴い、共に来てくれた。
室内にいる彼女やカフカント家の面々に驚くことはなく、しかし、部屋の惨状を見てその目をぱちりぱちりと瞬かせた。
「これはまた……やったな」
「申し訳ありません」
「まあ、さしたる物は置いていないから問題ないだろう」
「そうはいきません。同等の物で弁償いたします」
「兄上。ロザロス公爵は真面目です。これはこれで譲りませんよ?」
室内の惨状。絵画が落ち、花瓶や置物が床に落ちて割れている。
幸いといっていいものか、暴風を吹き荒らして起こす惨状を知っている身としては、この程度で済んでよかったと思う反面、他家でしてしまったことに猛烈に反省もする。とにかく、守護獣の力加減訓練は優先しよう。
バートハート兄弟はとくに怒ることもなく、目の前の現状を受け入れるだけだ。とらわれて感情に支配されるような愚かな兄弟ではない。
が、俺にも俺の責任がある。これは俺の守護獣がしでかしたことなのだから。
「うきゅ? うきゅー……」
「大丈夫だ。今後も訓練を頑張ろう」
「うきゅ……」
「なにも君の主を怒っているわけではないから心配しなくて大丈夫だぞ」
「うきゅ?」
まるで「そうなの?」とでも言うように俺の守護獣が肩の上で首を傾げている。……そうか。俺が怒られていると思ったのか。
バートハート殿はくすくすと笑い、守護獣をひとつ撫でる。守護獣もどこかほっとしたような顔をした。
「バートハート侯爵」
「なんでしょう。カフカント侯爵」
「ロザロス公爵が弁償すると言っているそれは、私が代わろう」
その申し出に俺は驚いてカフカント侯爵を見る。侯爵は背筋を伸ばし、当然のように続ける。
「今回の件、ロザロス公爵には多大なるご迷惑をおかけした。その謝罪にもならないかもしれないが」
「とんでもない。私の守護獣がしてしまったことを侯爵に贖わせるなど……」
「なに。その原因はもとはこちら。夫人にも温情をかけていただいたのだから、閣下に対する当然のお返しだと思って受けてほしい」
「しかし……」
少し、迷う。
しかしカフカント侯爵の言葉も解る。
貴族関係において借りた貸したは早々に清算したいものだ。俺は貸しなどと言うつもりはないが、それがあるということが今後の動きで影響を与えることもある。
カフカント侯爵の胸中は分からないが、ここでこの申し出を断り続けるのも難しい。
(早々に俺も清算しておいたほうがいいか……。彼女がこれを貸しだなどと言うことは……ないと思うが)
カフカント家で解決させるべき事に首を突っ込んだのはこちらだ。被害を受けたり未遂に終わったりとしたとはいえ、結末にかなりの口も手も出している。
そしてそれらは、カフカント家からすれば返しがたい貸しにもなる。
「……分かりました。カフカント侯爵のお申し出、ありがたくお受けします」
「ありがとうございます。ロザロス公爵。バートハート侯爵、よろしいかな?」
「うちは構いませんよ」
なんとか話はまとまりそうだ。カフカント侯爵には後日改めて謝意の手紙を出すとしよう。
そう決める俺の側でバートハート侯爵が「さて…」と視線を動かし、待っている一同に楽し気な笑みを向けた。
「今夜の夜会もそろそろ終盤。おいしいところは差し上げますよ」




