57,放られました。危なかった……
威勢よく、恐れを知らず、相手を傷つける指示が下る。
守護獣は主の意に従う。オリヴァン様の守護獣であるアシカもまた水を放出させようと構えた。
――だけれど、それが放たれることはなかった。
「ちょっと! なにやってるのよ!」
リティア様の守護獣であるキツネは、主の指示を受けても動かず――ただ、怯えるように震えていた。
旦那様たちも驚きと怪訝をもって見つめている。
何度リティア様が命じても守護獣は動かない。身体を震わせ、尻尾を落としている。
「――できるわけがないだろう」
こうなることが分かっていたかのような声が、静かに室内を支配した。
思わず見ると、一歩前に出る公爵様の側でシルティ様は姿勢を崩さず、冷たさを感じさせる目でこちらを、リティア様を見ていた。
「あんたが何かしたのね!?」
「守護獣はよく理解している。敵うことのない相手に挑むことがどれほど無謀か。いくら命令されても死ぬのはごめんだろう」
「守護獣は主の命に従うものよ! あんたにはわかりゃしないでしょうけど!」
「――ならばやってみろ。ただし、わたしが手元を間違えて、守護獣ではなくおまえを殺しても知らないが」
「っ……」
あまりにも淡々と告げられる言葉にリティア様も息を呑んだ。嘘だと思えないのはたぶん、傍にいる公爵様のなんとも言えない表情と、シルティ様が戦場で残した功績が頭をよぎるから。
(この方は、それができる人……)
苛立つリティア様は「この役立たず!」と守護獣を罵って、平手で打つ。そんな行為にどうしても眉が寄るのが自分でも分かった。
けれどすぐ、リティア様の目が動く。その目が捉えたのは――……
「全部っ、全部あんたがうちに来たせいで……!」
「っ……!」
――私だった。
止める暇なんてない。今度は守護獣もリティア様の指示にすぐに動く。
(止めないと、止め――……早く)
身体が震える。私の守護獣のレッサーパンダが顕現する。
火が放たれる。オリヴァン様のアシカが水を放とうと――……。
「うぎゅ!?」
私の前に、白い塊が飛んできた。
「うぎゅ!? うぎゅぎゅぎゅ、うきゅー!」
ぱたぱたと翼を動かして空中で止まると、火に気づいて慌てふためく。ばたばたおろおろしたかと思うとはっとしたように体が固まって、丸くなるように縮まって、力みだす。
焦りを抑えるように、とても力んで――「うきゅっ……!」と鳴いた。
――風が吹いた。
髪とドレスがはためく。少しだけ荒れた風は火を打ち消し、飾られた絵画を落とし、置物を落とす。
けれどその風もすぐにやんだ。
「「「…………」」」
「うきゅぅぅ……」
唖然とする私たちの前で、小さくて可愛らしい守護獣は「危なかったあ」とでも言うようにほっとした息を吐いた。
「うきゅぅぅ……!」
そしてすぐ、私たちの驚きなんて知らないように身を翻す。戻っていくのは主である公爵様ではなく、悠然と座るシルティ様のもと。
「うきゅ! うきゅきゅきゅ!」
「うんうん、よくできたな」
守護獣はとても不満を訴えているように見えるのに、シルティ様は笑顔で守護獣を撫でている。ついでに尻尾でもふもふと撫でていると守護獣の不機嫌が嘘のようになおって「うきゅぅ」とどこか嬉しそう。……どういうことなのかしら?
守護獣は機嫌をなおして公爵様の肩に乗る。公爵様も驚いているような顔をして、すぐにほっとしたように息を吐いた。……まるで守護獣と同じように。
「よ、よくやったな。頑張った。えらいぞ」
「うきゅ。うっきゅぅ!」
褒められて守護獣がとても喜んでいるのが私にも分かった。
一瞬緊張が走った室内。それがなんとか収まっても、その緊張が解けることはない。
私の側で旦那様が動いた。背を伸ばして立ち、リティア様を見つめる。
「リティア。ロザロス夫人及びアリシャを傷つけようとした今の行為は黙っているわけにはいかない」
「おじい様……。ちが、違うの。私はただ――」
「そして君が屋敷の内外問わず起こした行動もまた、当主としても、夫としても、黙ってはいられない」
「!」
リティア様も、私も、息を呑む。
私はあくまで形だけの侯爵夫人。本来私がするべきことは全部エリーゼ様が行い、私はただ、そこにいるだけ。
そんな妻なのに。そんな侯爵夫人なのに。
旦那様をじっと見つめると、その目はゆっくりと私に向けられる。
「最も被害を受けたのは君だ。どういう罰を望むのか、君の意思を可能なだけ尊重したい」
「……私は……」
やっぱり納得できないのか、したくないのか。リティア様はどこか不服そうに俯いたまま顔を逸らした。
(これまでリティア様の態度は少し怖くもあった。けど――……)
今は、心が少し落ち着いてる。
だから、今ならちゃんと言える。
「……出ていた噂は、他の根源であった場合もきっとあります。リティア様の言葉を利用しようと……そういう狙いも、否定できません。リティア様はただ、旦那様やオリヴァン様、エリーゼ様が大好きなのです。……こんなこと、私のような者に言われるのは不快だとは思いますが、私は、リティア様にそれほどの罰を求めるつもりはありません。どうか、穏便に」
「……!」
視界の隅に映った肩がぴくりと動いた気がした。次いで、ゆっくりとその肩が動いて、私に怒りを向けていることが多かった目が、じっと私を睨むように見る。
「……あんたになんて、庇われたくない」
「はい」
「……嫌いよ」
「はい」
分かってる。知ってる。
頷いても、リティア様の表情は晴れず、眉間の皺が深まるだけ。
旦那様を見つめると、まるで分っていたかのように眉を下げて小さく頷く。そして次はシルティ様と公爵様を見た。
「夫人。今、我が家の者があなたに刃を向けた。お望みの罰があれば」
「では、その身柄、こちらに」
考えることなく出てきた要望。……公爵様がとても眉間に深い皺を刻んでシルティ様を睨むように見ている。
思わず公爵様とシルティ様を見比べてしまう。……なんだか、温度が…。
旦那様も少し意表を突かれたのか言葉に迷い、オリヴァン様とエリーゼ様も意味を読み取れずにシルティ様を見つめるしかない。
「理由をお聞かせ願えるでしょうか?」
「安心してくれ。なにも危害を加えるような罰を下すつもりはない」
シルティ様はただ一人、にこりとした笑みを浮かべて言った。




