56,だって皆がそうしてる
冷たい言葉が、真実を突きつけた。
「……なにを言っているの?」
驚き、けれどすぐに小馬鹿にしたような声でリティア様が言う。
だけど私たちはそんな態度をとることもできないし、オリヴァン様とエリーゼ様からはどこか諦観のような辛そうな感情が感じられる。
「どうして私が? 確かにこの女のことは大嫌いだけど、そんな噂流してなんていないわ」
「そうだな。流してはいない」
「当然でしょ。馬鹿にするのも大概に――」
リティア様から怒りを感じる。それがシルティ様にぶつけられると思ったそのとき、シルティ様の口端が上がった。
「おまえはただ、夫人への不満と愚痴を言っただけ。そう、例えば……『おじい様はあの女に騙されていて、お父様まで味方する……。私だけはしっかりしなくちゃと思って。だって侯爵家の娘ですもの』とか」
「っ……」
「おまえの不満も相当なものなんだろう。それに同調してくれたのがイーヴァ伯爵令嬢だった」
図星、なんだと思う。リティア様の表情を見ているとそう思う。
リティア様の拳が握られたまま震えている。
「屋敷には夫人嫌いも獣人嫌いも多い。その中で話の合う者もいるんだろう? イーヴァ伯爵令嬢との個人的な付き合いだって少なくないんだろう?」
「……」
「イーヴァ伯爵令嬢も喜んだだろうな。簡単に中立派の大きな一角を取り込めたんだから」
旦那様とオリヴァン様の目がシルティ様を見て、リティア様を見た。
拳を震わせるリティア様は、ぎゅっと唇を噛んでいた。
「……してない。してないわ。私は、そんなこと……だって……」
「鬱憤晴らし。ただの世間話。友人同士の会話なら外には出ない、だれもどこにも言いふらしたりしない、だってただの不満だもの。――とでも思ったか?」
「っ……」
「面白い話が出回るなんて、ごく自然な流れだろう?」
立場によって、違うだけ。
中立派の家であるリティア様と反獣人派であるイーヴァ伯爵令嬢。
自分の話に同調してくれた。不満も受け止めてくれた。優しい言葉をかけてくれた。
――自然とされたそれが、相手が自分と同じ立場だと思わせるくらいに。
(本当に信頼できるのは、ちゃんと窘め、叱ってくれる相手)
頷いてくれるだけじゃダメだと私も知った。底辺にいるしかないときに、不相応な立場になったときに、それを痛感した。
同調。それは貴族にとって、武器になる。
「……でたらめ、言わないで。あんなの出て当然の話題だったじゃない! それを私が流したですって? 私がどうして家名を傷つけるようなことをするのよ!」
「出て当然? 社交会では適切に距離をとりながら継母としてではなく侯爵夫人として接するオリヴァン殿と、侯爵か子息夫人と社交時間を過ごすことがほとんどの侯爵夫人が、なぜ、突然にそんな話になる?」
「そっ、そんなの……おじい様に色仕掛けで近づいた女だからでしょ!?」
「色に狂った侯爵が、それを許していると?」
私にも旦那様にも、似たように流れた噂。
旦那様はその噂が出ても平然と、堂々としていた。だって、それは――……。
「ああ……。あれは私が流すよりも先に出てくれて助かった」
「!?」
「なんだ。やはり侯爵も考えていたのか。では、今少しずつ出ている『色狂い侯爵がそれを許すはずがない』も、仕込みかな?」
「加減が難しいものでね。オリヴァンにも苦労させている」
「問題ありませんのでご心配なく」
そう言っても、旦那様の立場からすれば大変な話。それに家の中が分裂しているかのように見せるのもまた、いけないこと。
私を助けるために泥をかぶった旦那様。そしてそれさえ旦那様は利用する。
流れる噂と目にする現実。
ちぐはぐになれば、それは他者も疑問を抱く。
(出回る噂と現実のちぐはぐさ。信ぴょう性を持たせたのは……リティア様)
だから噂がよく出回る。それを否定するのは難しい。
旦那様とオリヴァン様の動きを知らないリティア様は目を瞠っている。ぐっとつくった拳と肩が震えている。
「あの噂が大きく疑念を抱かせました。まるで、社交の場以外でのことを言っているようで」
「同感だ」
「な、によ……。おじい様もお父様も……なにも言ってくれない」
「それは――」
「私じゃなにもできないってこと!? 皆言ってることなのになにがおかしいの!? 全部私のせいだって言いたいの!? 私が悪者でこんな売女が庇護される者だってこと!?」
感情が爆発したリティア様の声が室内に響く。
旦那様もオリヴァン様も、その表情がひどく険しい。
「リティア様。お二人は決して除け者にしようとしたわけじゃ――」
「あんたは黙ってて! これは我が家の話よ! よそ者が割って入ってこないで!」
私は侯爵家の者じゃない。リティア様はずっとそう主張される。
それを辛いと思ったことも、怒りを覚えたこともない。……だって、それは当然の想いだもの。
旦那様のこともご両親のことも、リティア様は大事に想っていらっしゃるから。突然屋敷に入り込んだ者を受け入れきれないだけ。
「なんで! おじい様もお父様もお母様も! 私がなにをしたっていうの!? 皆と同じことしただけじゃない!」
「皆がしているから許されるわけでも、乗っていいわけでもない。それがなにをもたらすのかは自分で考えなければいけない」
「事実を言ってなにが悪いの!?」
「その軽率な発言でおまえは我が家に泥を塗った」
「っ……!」
オリヴァン様は冷たく、呆れを混じる眼差しでリティア様を見つめている。エリーゼ様はなにも言わず、ただ悲しそうな眼をされていた。
「継母上は、上位からの断れない薦めで、望まず、父上との縁談が進んだ。断れる父上は自分の意思で受け入れた。――それが事実だ。どこに継母上を貶す要素がある?」
「そんなのっ……」
「周囲からの心無い言葉を受けても継母上は耐え続けた。子爵家という出であるから必死に学び、立場に恥じぬようにと努めた。屋敷で肩身を狭く、一切の我儘も物欲も口にせず、二言目には『申し訳ありません』と口にする継母上をどう見て噂を真に受ける?」
「っ……」
「噂と私情に目がくらみ目の前をなにも見ていない。視野を曇らせず客観的に判断しろと、これまで何度言った?」
リティア様がぐっと唇を噛み、俯いた。
(リティア様は高貴な生まれ。私はその矜持をちっとも知らないまま……)
そんな違いを埋めることも、理解することも、できなかった。
シルティ様ともそう。理解する前に、握ろうとした手が、離れた。
だから今度はちゃんと、掴めるようにしたい。
「――……そんなの……だからって……私だけが、悪いわけじゃないもの……! ――あんたが勝手なこと言うからよ!」
リティア様が怒りに燃える眼差しでシルティ様を睨む。その眼光を受けて平然とシルティ様が肘掛けに肘をつく。
その余裕が一層の癪に障ったのか、リティア様はぐっと奥歯を噛んだ。
「我が家に泥を塗ったのは――あんたよ! この獣がっ!」
その傍に、主の意を受けた守護獣が顕現する。
それを視た旦那様とオリヴァン様が目を瞠り「リティア!」と叫ぶ。
そんな声がどこか遠くから聞こえた気がした。
オリヴァン様がアシカの守護獣を顕現させ、応戦態勢をとる。旦那様は私を下がらせるように腕で制する。
リティア様はただシルティ様を睨み、守護獣のキツネに命令を下す。
「やっちゃいなさい!」




