53,待っている
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彼女が倒れて十日が経とうとしている。
さすがにそろそろ隠しとおすのは難しいのではないかと思うが、彼女はなんてことはないように「大丈夫。漏れてない」と確信を持っているように微笑んで言っていた。その瞬間俺の脳裏をよぎったのは、彼女が情報を得るために動かしているゼノンとアラン。
(情報を得るどころか、情報を流すこと及び制限することにまで動かしているわけではないだろうな……)
そうなってくるとさすがに頭痛がしてくる。あの二人はどれほど酷使されているんだ……。ただでさえあの彼女の下で働かされているのに。
(一応は彼女の部下であるとはいえ……俺もなにか、特別手当でも出してやるべきだろうか……?)
最近、少々本気でこの悩みに向き合っている。今度二人に意見を聞いてみよう。……今度いつ顔を見られるか分からないが。
ひとつ息を吐いて、傍に座る守護獣を撫でる。「うきゅ」と嬉しそうにくすぐったそうに鳴いているこの姿は、その見目のおかげか言動のおかげか、俺を悩みから一時解放してくれる。
……彼女からの頭痛胃痛攻撃は本当に体に悪い。
馬車に揺られること少し。目的の屋敷まであと少し。
今夜もまた夜会が行われる屋敷へ向かっている。
彼女の容体やカフカント家とのこと、彼女の指示で始まった夜会でのそれとない動き。知らしめるならば出席を多く言われるかと思ったが、彼女はそうは言わず、これまでの出席回数と比べて大きく増えているという感覚はない。
出席しているのはどれも俺が無下にできない相手。国の中心を担う人物や騎士団の関係者。これなら俺が出てもおかしくないとされる。現在出回っている噂と俺の置かれている立場から、彼女の選択は納得できる。
周囲に不審を与えない。その加減もまた、彼女は考えているのだろう。
今夜の主催者は、俺が無下にできない騎士団の関係者、である。
(今夜もまた、やるか……)
息を吐き、腹を括る。そんな俺の隣で守護獣も「きゅっ」と気を引き締めるように鳴いた。
馬車が止まり、御者が到着を知らせる。
扉が開かれ、俺は馬車を降りてその建物を見上げた。
暗い夜の空。しかしその暗さを感じさせないほど、明かりの灯った建物。立場上この時間に来た者は俺を含めてごく数名。もっと早ければ大勢がここにいたのだろう。
社交会場の建物。その入り口が、俺には待ち構えた怪物の口のように見えて、気が重くなる。
しかし今夜は、それを振り払う。
「いってくる。……あとは頼んだ」
「はい。いってらっしゃいませ」
御者に見送られ、俺はその口へと踏み込んだ。
使用人の案内を受けて会場へ進む。
開けられた扉。その先に煌めく世界は今日も日々の勢いそのままの明るさと華やかさがある。シャンデリアが煌めき、身に着けている宝石の類が光る。人の合間を縫うように給仕が動き回り、その手に持つトレイからグラスが消えていく。
招待された人々は賑やかに、品よく、交流を楽しんでいる。
その中に足を踏み入れた俺は周囲の人々をちらりと見ながら進む。
(さすが……。高位の招待客が多いな)
主催者を見つけて近づく。あちらも俺に気づいたようで、話していた人物との会話を切り上げるとこちらへやってきた。
「こんばんは、ロザロス公爵。お越しいただいて光栄です」
「お招き感謝します。バートハート侯爵」
「なに。愚弟が日々つきまとっているんでしょう? あしらってくださって構いませんよ?」
「そのようなことは……」
「ひどいですよ、兄上。私はロザロス公爵と日々公私にわたり交友を深めているだけです」
「おまえはロザロス公爵との長話が好きだと聞いたぞ?」
「誰ですか、そのようなことを兄上のお耳に入れたのは」
目の前の応酬になんと言えばいいものか……。まあ、喧嘩ではないので構わないのだが。
目の前の兄弟の会話は俺には馴染みのないもので、見るたびに「兄弟とはこういうものなのか」という感慨を与えてくれる。
俺が仕事上関わりを持っている第二師団師団長ジェラル・バートハート殿。彼はバートハート侯爵の弟でもある。
兄弟仲はいいようだ。社交界でもバートハート兄弟の悪い話は聞かない。よく軽口を交わし合っている。
弟との会話を楽しんでいるのか、くつくつと笑みをこぼしたバートハート侯爵はその笑みを崩さず俺を見る。
「今夜はおひとりでの参加と少々寂しいが、また是非、奥方と参加していただきたい」
「お心遣いに感謝を。そうできるよう、私も願っております」
軽く挨拶を終えてバートハート侯爵と別れる。
バートハート殿はひととおりの挨拶を終えてあるのか兄の後を追おうとはしない。当然のように俺と回るつもりらしい。
「行くか」
「はい」
互いに視線を交わし、騎士団関係者を始め挨拶に回る。
俺の守護獣は終始周囲が俺に向ける言葉に反応していたが、宥めることで威嚇はしないようにさせる。
貴族としての社交であるが、バートハート殿の影響か、招待客には騎士団関係者も少なくない。ガードナーやリグテールの生家、トニスの生家の方々の姿もある。そんな方々にも挨拶に回る。
そうしていると、バートハート殿のもとへ一人の使用人が駆け寄ってきた。そのままバートハート殿に何かを耳打ちする。
それを横目に見ていると、バートハート殿の視線が俺を見て、ひとつ頷いた。
「こちらは任せろ。そちらは任せたぞ」
「はい。お願いします」
さりげなく動き、怪しまれぬよう会場出入口の扉へ向かい、そっと出る。
会場を離れれば途端に静けさが鮮明になり、無意識に息を吐く。静かになって楽になったのか、守護獣が「きゅぅ…」とほっとしたような力の抜ける声を出した。
(さて……)
バートハート殿に耳打ちした使用人が俺のもとへ来ると「こちらです」と言って歩きだした。
二人だけの廊下は静かで足音だけが耳に届く。その歩みは俺に多大なる頭痛と緊張を与えるものでもある。……胃薬を持ってくればよかっただろうか?
すでになかなかの疲労を感じている。そんな俺を置いていくように進む案内役の前に、その人たちが見えた。
「ロザロス公爵……」
戸惑いの混じる表情はひとつではない。
案内してくれた使用人は礼をして下がっていく。それを見てから、俺はそっと制止と静寂を求めるように軽く手を挙げた。
「カフカント侯爵、そしてカフカント家の方々。あなた方をこの夜会に招待したのは、バートハート侯爵ではない」
「……」
「こちらへ」
なにも言わないカフカント侯爵。その表情にはすぐに緊張が走る。緊張をにじませるものに変えているのは一人ではない。
一瞥してそれを認めながら、俺はすぐ傍の扉をノックし、声を待たずに扉を開けた。先に入室し、カフカント家の面々を中へ促す。
「こんばんは。――待っていた」
――そこには、不敵な笑みを浮かべて一人がけソファに座る、白銀の獣人がいた。




