52,秘密の手紙
その声に従って、少しだけ開いていた扉がまた開けられる。その向こうに見えた人たちに私はまた目を瞠った。
「……だから、盗み聞きなどよくないと言ったではありませんか」
「ふふっ。ですが、アリシャ様の気持ち、まっすぐ伝わってきました」
「それはそうだが……」
片や、なんとも言えない困ったような呆れているような顔をしているオリヴァン様。
片や、すっきりしているような笑みを浮かべているエリーゼ様。
(き、聞かれてた……!? 旦那様は分かっていて……!?)
またあわあわとする。でも今度は旦那様が「落ち着いて」と宥めてくれる。……落ち着きたいけれど落ち着くのは難しいんですっ。
私が自分に必死になっている隙に旦那様はお二人を向かい側に座らせる。口許にたたえた笑みはまだ崩れてない。
「アリシャにファルダ国へ移住されてはたまらないな。ふふっ」
「旦那様っ……!」
「移住にはその国の文化や風習を知ることも必要です。あちらでの生活の場の確保も――」
「行ける準備を進めようとするんじゃない」
真面目に準備を並べ立てるオリヴァン様を旦那様が止めている。それを見てエリーゼ様は小さく笑っている。
いつもの光景だ。侯爵家の、私を信じてくれる、その人たちのいつもどおりだ。
「アリシャ」
「はいっ……!」
「――鎖を絶つ」
「!」
口許の笑みは変わらない。……だけどそれは、どこか喜びのような、強い意思のような、どこか不敵なもの。
だから、膝の上で拳が震える。混乱していた頭が冷静になる。
浮かぶのは、あのときのシルティ様の微笑みと、旦那様の背中。
――迷いはない。恐れは、まだ少しある。
「――っ、はい。たとえ何が待ち受けていても、私がちゃんと、全部背負って立ちます」
拳が震えないように強く握る。
――なのに、それを見透かしているように、拳に重なるぬくもりがある。
息を呑んで見ると、いつもと変わらない優しさがある。
「君がそう決意してくれたことを嬉しく思う。本来の君を押し殺してしまうほどに肩身を狭くさせてしまっていたね。すまない。やはり君は強い子だ」
「そんなこと……」
「父上。妻に『子』など、不適切であると判断します」
「これは失礼」
ぴくりと片眉を上げたオリヴァン様の指摘に、旦那様はまるで冗談話でもするかのような軽く自然な流れで私の手を取り甲に口づける。
少し驚いて、普段あまりされないことに少しだけ……頬が熱くなった気がした。……エリーゼ様に「まあ」と微笑まし気な笑みで見つめられているのもなんだかとても落ち着かない。
オリヴァン様はため息を吐くと、改めて私を見る。
「何をするにしてもどういう結果になろうとも、継母上は父の妻でありこの家の夫人。我々にも無関係ではありません」
「ありがとうございます……」
「当然です。――エリーゼ。いいな?」
「もちろんです。義母様は私にとっては友も同じ。謂れなき悪意にこれ以上黙っている必要はございません」
「では、父上」
「さてさて。――まずは……」
「――失礼」
誰かの声。聞き覚えのないそれは扉からじゃなく、窓の方。
オリヴァン様が立ち上がり、旦那様も私を隠すように身を乗り出す。
突然の侵入者がそこにいた。器用に窓枠に乗って、敵意はないと示すように顔の横に両手を上げている。
部屋に射しこむ唯一の光源である月明りが逆光で、加えて外套を深く被っていて顔は見えない。でもたぶん、声から察するに男性。
「誰か――」
「俺は使いなんですよ」
オリヴァン様が騎士を呼ぼうとしたとき、それより先に侵入者が目的を明かした。それに対して旦那様はオリヴァン様を手で制する。
制されたオリヴァン様は不服を見せたけれど、それに従い男を睨む。エリーゼ様も取り乱すことなく、オリヴァン様もそんな奥方を守っている。
私たちから話ができると見たのか、侵入者はどこか軽い調子でさらに続ける。
「このお屋敷内に獣人嫌いは多いですねえ。だけどそれ以上に夫人嫌いが多い」
「……」
「噂と現実を確かめ合ったほうがいい。疑問をもったほうがいい。噂は悪意がある。そして、信ぴょう性があるからこそ、人はそれを口にのせる。遊びと刺激、悪意をもって」
「――……おまえは誰の使いだ?」
旦那様が少し声を硬くさせて問う。私もあまり聞かないような、貴族関係の中でも難しい相手に対するような、思考を巡らせている声。
部屋の空気の緊張は変わらない。なのに、侵入者は外套の下で笑みを浮かべた――気がした。
そして、外套の内から封筒を一通取り出すと、私たちにそれを見せた。
「こちらをどうぞ。仔細はこれに」
指で挟んだそれがオリヴァン様に向けて投げられる。投げて寄越されたそれを受け取ったオリヴァン様は差出人を見たのか、僅かに目を瞠る。
「では、俺はこれで」
そう言って、侵入者は身を翻して、消えた。
緊張が解けて、体から力が抜ける。それが分かったのか旦那様は私を見て、いつもどおりに微笑む。
「大丈夫かい?」
「は、はい……。ですが……」
思わずオリヴァン様を見ると、オリヴァン様もエリーゼ様を気遣っていた。それから座りなおして、侵入者に渡されたその封筒をテーブルに置いた。
「これは――……」




