37,書けない手紙
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朝日が昇り、眩しい光が窓から射し込む。……昨夜はあまり眠れなかった。
少々睡眠不足な気がしながらも、仕事机を前に俺は息を吐く。
頭を悩ませる案件はいくつかある。
ひとつ、彼女が暴走すること。
ひとつ、彼女が大人しくしていないこと。
ひとつ、彼女が何かを引き寄せてくること。
頭の中で現状の頭痛の原因を並べ、眉根が寄る。
(……頭痛と胃痛をもたらす圧倒的な犯人が存在する)
俺の頭の中でその犯人が「はははっ」と笑っている。頭を抱えるしかない。
(……いや。解っている。なにも彼女だけの責任ではない。俺が巻き込むことも、俺をよく思わない者が多いことも、解っている)
しかし、気にせずずんずんと突き進んでいくのだけはやめてほしいと心底思う。……言っても聞かないのだろうことはすでに理解している。
今回起こったカフカント侯爵邸での一件。ハインとアステナにはとくに罰は科していない。屋敷内では彼女が不調であるという体で事を進めるため、二人にはそのために動いてもらうほうが重要だ。
彼女が無事であったことはなにより安堵している。どうやら狙いは彼女ではないようだが、だというのに、彼女は己でいろいろと調べてみるつもりらしい。
……彼女がするなら止めることはできない。
しかし、今回はその行動に少しの違和感を抱いている。
彼女とカフカント夫人にある接点といえば、過去に社交界でも広まった悪女にまつわるものだ。
内容だけを聞けば、カフカント夫人は彼女を快くは思っていないだろう類のもの。今回の茶会に誘ったのもなにかしらの魂胆あってのものだと言われれば納得できる。
(だが、彼女はそれをあまり考えていない)
その点が不可解だ。思わずため息がこぼれる。
そんな俺を見上げる藤色の丸い目に「なんでもない」と返し、俺は意識して思考を切り替えた。
彼女に関することで悩んでいては体も脳もいくつあっても足りない。毎日が頭痛と胃痛の日々だ。
彼女のことはとりあえず、なにをするのか把握しつつ、言うべきことを言い、手を出すべきところは出し、状況をみる。
そう割り切って、俺は他にもしなければいけないことに手をつける。第九師団のこと。政治的なこと。貴族関係のこと。いろいろと考えねばならないことがある。
その中で、俺にはどうしても手が進まない、彼女のことと同じくらい現状頭を悩ませているものがある。
紙の上にインクが垂れ、黒いしみが広がる。
それを見てペンを置き、紙をくしゃくしゃと丸めて放った。
そんな残骸がすでにいくつもできあがっている。机の上、床。無駄になった紙の枚数はもう数えていない。
新しい紙を置く前に天井を仰ぎ、深く息をこぼす。
(だめだ。思い浮かばない……)
書くべきことは、ある。
問うべきことも、ある。
分かっているのに、それが文字にならない。
(どう書けば……どういう文言なら、ショックを与えずに済むだろうか。気にしないでほしいと、なんということはないのだと、どうすれば伝わるだろう)
何度も何度も考えている。が、考えても考えても答えが出てこない。
視線を机に戻せば、机の端で丸めた紙の上で腹ばいになる守護獣が視えた。……丸めた紙が潰れかけている。
丸めた紙を蹴って遊んだり、小さな手でくしゃくしゃと触っていたり。俺の悩みなど知らない小さな存在は実に自由だ。今もバランスを損ねて丸めた紙から落ちた。
そんな姿に軽く笑みがこぼれたとき、扉がノックされて開いた。
「おやおや。追加の便せんが要りようでしょうかな?」
微笑みを浮かべて入ってきたセバスの一言に無意識に眉根が寄った。しかし否定はできない。
分かっているセバスは俺の元へ近づいてきながら丸めた紙を拾う。どれもこれも大した文字を書くこともなく丸められた残骸だ。
「……置いておいてくれ。なにかのメモ書きにでもする」
「承知いたしました」
我が家では物は無駄にできない。セバスも解っているから小言は言わない。
なにも言わず、机までやってくると丸めた紙を伸ばし広げる。皺のついたそれを横目に見て、一文字二文字しか書かれていないことから目を逸らす。
「旦那様は大奥様によく似ておられます」
「……そうか?」
「はい」
セバスが懐古するように微笑む。
辺境領にいた日々のことをセバスはよく知っている。父が存命だった頃も、母と父が一緒に過ごしていた頃も。俺が両親の庇護の下にいた頃も。
よく知っているセバスの微笑みに俺は一度視線を向けた。しかしすぐ、どうにも見られずに逸らす。
「……髪色や目が母上似だからだろう」
「いいえ。そのお優しいところが」
「俺は――……優しくなどない」
自分でも、どこか沈んだ声音だと分かった。
だが、セバスの言葉には頷けない。
優しいなら、武器と武器を持って殺し合うことなどない。
優しいなら、いくらでも慰めの言葉をかけられる。
優しいなら、見もせずに二年間も放置したりしない。
「俺は……優しくなどない」
ただ、そうとしか言葉が出てこない。
だが、それが事実だ。
俺の言葉を受け、セバスはなにも言わなかった。なにもないかのように手を動かし、机の端に皺のついた紙を置く。
そして俺の前に立ち、何事もないかのように、いつもどおりに微笑んだ。
「旦那様。お悩みになられるならば、奥様に代筆いただくという手もございます」
「……いや。俺からも、彼女からも、どちらも心痛になる。……セバスは――」
「旦那様がお書きになられるほうがよろしいかと」
そう言って、胸に手を当て謝罪の頭を下げる。
手紙を送ると決めたときにセバスにもハインにも断られているのでさして怒る気もない。二人とも、俺のためを想って言ってくれていると分かる。
新しい紙を目の前に置きながらも、まだペンを持つ気になれない。
「だが、なにをどう書けばいいのか……。どうやっても心痛を与えてしまうだろう? また寝こみでもしたら……」
「丁寧に書こうとすればするほど、どこかよそよそしく、どう書けばいいかと悩むものです。旦那様。ここはどう書こうか、ではなく、御心に浮かぶ言葉をそのままお書きになられては?」
「心に浮かぶ言葉を、そのまま……」
視線を紙に落とす。そうする俺の視界に、てちてちと近づいてきた守護獣が映る。
紙を見て、俺を見て、「うきゅ?」と首を傾げる。何を書くのかと問うような目に俺は撫でて返した。
「……まとまりのない言葉に、なると思うんだが」
「それもそれでよろしいと」
「変じゃ、ないか……?」
「旦那様の御心がより伝わると」
そういうものなのだろうか……? こうして手紙を書くのはこれが初めてで、まだやはり、どう書けばと考えてしまう自分がいる。
これまで送ったのは必要である報告だけだった。思い起こせばそれも彼女を屋敷に迎えたという報告を一通くらいで、あちらからの手紙もそれに対する返事が一度だけ。こんなふうに書く手紙は、初めてだ。
(これも報告だ。だが……傷つけるかもしれない)
手が進まないのはそう思ってしまうからだ。他にも伝えることが浮かんでしまうからだ。
――俺がのうのうと生きていると伝えてしまう。思い知らせてしまう。
ペンを手に取る。紙の上にペン先を乗せる。
(今、俺の心に浮かぶ言葉……)
それを――……
「ギルベール様。失礼します」
書こうとして、扉がノックされた。意識が引き寄せられ、顔をあげる。
入ってきたのはハインだ。その表情はどこか緊張を帯びている。それを見てすぐペンを置いた。
「どうした」
「カフカント侯爵家から使いが。こちらを訪ねたいと」
「分かった。すぐに応じると返せ」
「承知しました」
昨日の今日。朝一番の知らせ。
さすがカフカント侯爵だ。動きも早い。
俺の返事を受けたハインが部屋を出ていく。使者にそのまま伝えるのだろう。
それを見送り、俺はひとつ息を吐いた。
手紙を書く気が失せてしまった。身体から力が抜けたのが分かったのだろう、セバスも引き締めた表情の中に厳しい眼差しを光らせる。
「昨日の医者はカフカント侯爵と一緒に帰せ。夫人には俺が話す」
「承知いたしました」
「それから、彼女にも侯爵が来ることを伝えておいてくれ。……見舞いを願う可能性もある」
「すぐにお伝えいたします」
騙し合い、化かし合いは、得意ではない。それもなにを考えているのか読めない彼女が傍にいる。
さて。どうしたものか……。
礼をして出ていくセバスを見送り、椅子の背もたれに身を預けて数時間後のことを考える。
彼女に言われていること。侯爵家から得るべき情報。それから――……。
考えていると、途切れ途切れに何かを擦るような音が耳に入った。
何かと思って視線を向けると、短い腕と小さな手でペンをひしっと抱くように握り、真新しい紙に何かを書いている守護獣がいる。
「……なにを書いているんだ?」
「うきゅ」
上手だろう、なにか分かるだろう。そう言いたいのかもしれないが、全く分からない。
「……すまない。分からない」
「うぎゅ!?」




