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落ちこぼれ公爵の守り獣  作者: 秋月
第二部

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32,カップと中身

 目の前に映ったものを確認し、私はすぐに前へ出る。


「奥様。私が代わりに」

「ありがとう」


 奥様とカフカント夫人、令嬢たちの間で侯爵邸のメイドや侍女が動き回る。

 その中、まるで、少しざわめいた場と自分の心を落ち着かせようとするように、奥様が紅茶の入ったカップに口をつける。――それを見て、内心でぎょっとした。


(!? 奥様!?)


「――あっ」

「――あら。これはわたしとしたことが」


 奥様の指が掴んでいる、侯爵様が贈ったというカフカント夫人のカップの取っ手。


 それに気づいたカフカント夫人が気づいたように声を出し、奥様も口をつけてから気づいたという顔をする。

 横からちらりと見れば、貴族夫人が口にする一口以上の量が減っているように見えた。それを見て眩暈を覚えつつも、すぐに視線をハインさんへ向ける。……ハインさんは気づいてくれたけれど、奥様のしたことに頭がいっぱいみたいで非常に顔が怖いわ。


 カップから口を離した奥様は、カフカント夫人を見て少しだけ首を傾けた。


「ごめんなさい、カフカント夫人。わたしったらとても失礼を」

「い、いえ。少し慌ててしまいましたね」

「ええ」


 カフカント夫人は怒るなんてしない。些細な、慌てたときにはよくあることのように、くすりと笑って許してくださる。

 その表情に嘘がないから私も内心でほっとする。……けれど。


「まあ。なんて無礼なのかしら」

「ありえませんわ」

「マナー教育はファルダ国ではしないのかしら? さすが獣人の国ですこと」


 ……好き勝手言ってくれるわね。本当に。

 奥様は常日頃から完璧なマナーで振舞われるし、そのお生まれからも教育は当然に仕込まれている。


 奥様がカップをソーサーに音もたてずに戻す。そしてその目はカフカント夫人に向けられる。


「非礼をお詫びします。カフカント夫人」

「い、いえ! 気にしませんので」

「それではわたしの気が収まりません。何か謝罪を――……けほっ、けほっ」


 奥様がそう言ったときだった。――私の内心の不安が表面化するように、奥様が苦しそうに咳き込んで、苦しみだした。


「奥様!」


 場が一気に騒めく。ハインさんもすぐさま奥様の側へ駆け寄ってくる。

 奥様はドレスの胸元を掴み、片手で口元を覆っている。その表情はひどく苦しそうで、眉間には皺が寄っている。


「な、何事……!?」

「ちょっと! へんな病気じゃないでしょうね!?」


 令嬢たちが席を立ち、一歩二歩と離れる。侍女たちも主を後ろへ退かせようとする。

 まるで、触れたくない関わりたくない、気味の悪いものを前にするかのような表情に、それまで以上の怒りが沸き起こる。


「!」


 ――だけど、私の服の裾を、戒めるように掴む手の強さで思考が急速に落ち着いた。

 視線を向ければ、奥様の金色の瞳が私を見ている。何かを伝えるような目は、私にはまだ正確なことは読み取れない。


(落ち着いて。冷静に。ちゃんと周囲を見て、観察する)


 旦那様にとってはお目付け役、奥様にとっては身近に置くことで動かせる人材。その両面が私であることを理解している。


『アステナ。思考は常に冷静に、そして幅広い可能性を考慮できるようになりなさい。観察、情報収集、そこにいるからこそできることがある。見逃すのはもったいない』


 私への指導の始め、奥様はそう言った。

 今はまだ未熟な私だけれど、そう在れるようになると決めた。


 奥様を気にしつつ、視線はさりげなく周囲へも向ける。

 動揺が走って不快そうな表情をみせる令嬢たち。そんな令嬢たちの側や後ろで同じ様子の侍女たち。侯爵邸のメイドたちも突然のことに混乱している。


(表情、視線の動き……見逃すな)


 奥様を気にかけつつも観察を続ける。


 だれもが近づきたがらない中で「奥様!」という声が聞こえて、私の側に誰かが膝を折った。


「シルティ様! 大丈夫ですか!?」

「奥様離れてください! 万が一にも――…」

「シルティ様はご自身の体調把握ができないような方ではないわ!」


 侍女が止めるのは、決して咎められることではない、むしろ主を守るためには当然ともいえる行為。

 だけど、カフカント夫人がそれ以上に奥様を案じている。それが感じられて、少しだけ驚いた。


 自分を気遣うカフカント夫人の腕に奥様は触れる。顔を上げ「大丈夫…」と安心させるように告げる様子に、カフカント夫人が少しだけ辛そうに眉根を寄せた。

 だけど、すぐに表情を引き締めて私とハインさんを見る。


「様子が変です。すぐに夫人を客間に。医者を呼びます」

「感謝します。――奥様、失礼」


 こんなことになってもハインさんは冷静だ。……私ばかりが怒りに駆られて不甲斐ない。

 それにカフカント夫人も驚いているでしょうに、すぐにメイドたちに指示を出す。その手が少し震えていることに私は気づいた。


 ハインさんが奥様を抱き上げ、侯爵邸のメイドの案内で屋敷内へ急ぐ。その間もカフカント夫人は使用人たちに指示を出し、終えてから、令嬢たちを見て落ち着いて告げる。


「皆さん。今日の茶会はこれでお開きに」


 だれも否は言わなかった。

 カフカント夫人主催の茶会は、最後に大きな混乱を残して解散となった。






 その後。

 カフカント夫人が手配してくれた医者は獣人である奥様を診ることに顔を歪めていたけれど、カフカント夫人が頼み込み、渋々という様子で診てくれた。……これには「命に係わることだというのにどいつも…」と、以前にも医者の手配に奔走した経験のあるハインさんが静かに激昂していた。


 そして――奥様が毒を飲んだことが分かった。






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