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030 親孝行のつもりである

「おはようございます。お招きありがとうパパ」

「おはようリギア。ちゃんと練習してきたか?」

「ばっちこいだよ」

「そうか」

「ちゃんと仕上げてきたからね。いくらパパ相手でもそう簡単に負けないよ」

「ほー、そりゃ楽しみだ」

「ふふん。恋する女の子は無敵なんだよ。奇跡も起こせるからね」

「何だそのB級フレーズ」

「何とでも言っていいよーん」


 頬がつやつやしているリギアを見て、カレブは昨日いつもより早くにラドゥに帰られてしまったことを思い出す。

 あれから何があったのか、リギアの満足そうな顔とその視線の先にいるラドゥの愛しげにリギアを見つめる姿を見れば何となくわかった。


 ――まさか、まだヤッたりしてねえよな。成人前にそんなこと許さねえぞ俺は。

 

 リギアより若い年齢で童貞を叩き捨てた自分のことは棚に置いているカレブ。

 その複雑な表情のカレブを見て、リギアはカレブによるリギアとラドゥ引き離し作戦を打ち破ってやったと勝ち誇っていた。正直この一週間心が折れそうになったこともあったが、昨夜のラドゥ成分をチャージした恋する乙女はパワー全回復である。

 

 週末のアルシャイン邸。騎士であるカレブの広大な敷地内にある訓練場に、カレブとリギアが相対しており、その脇には審判役を買って出たウィルケン・バルファーク、その横でカレブとリギアを心配そうに見守るラドゥとミルファの姿があった。


「二人ともこの一週間練習に励んでしっかり仕上げてきたようだな。面構えが一週間前とは違う」


 ウィルケンが顎髭を撫でながらほう、と目を見開いてそう言った。


「リギア、生き生きしてるわね……本当にカレブに懐いてる感じ。なんだか複雑だわ」


 ウィルケンの横でミルファが言う。

 ミルファは訓練場の脇に用意された椅子にウィルケンと共に腰かけ、その脇に大きなバスケットを持ってきていて、それはミルファがアイゼン家の薬師としてしっかり作った傷薬がたくさん入っていた。

 娘のリギアとその父親カレブが戦うことについて、多少の責任を感じてしまったらしい。

 

「薔薇の戦いなのだから、本当の決闘のように死ぬわけではないぞ」

「そうだけど、訓練用の剣とはいえ武器で戦う以上怪我しないわけじゃないでしょう。一応、傷薬をたくさん作ってきたけど……。リギアったら女の子なのに。顔に怪我でもしたらどうするのよ」

「アルシャイン卿はソードマスターだ。そう簡単にリギアに怪我をさせることはなかろう」


 そんなミルファに、同じように相対するリギアとカレブを眺めていたラドゥが言った。


「リギア、多分勝ち負けはどちらでもいいんでしょうね。憎まれ口叩きながら、結局嫌えないんですよ、副団長のこと」


 勝率の現実問題でいえばリギアがソードマスターのカレブ相手に勝てる見込みなど全くない。

 だが、リギアはそれでも戦いを前にして怯える様子もない。クソ度胸があるのか無謀なのかわからないが、そこはリギアには問題ではないのだろう。

 リギアは拳で語れば分かり合えると言っていたし、リギアにとっては勝敗の行方じゃなくて、カレブと本音でぶつかり合ってカレブのことを知りたいのだろう。

 十五年分の父親への疑問をこの勝負でぶつけて理解するつもりでいる。

 そもそも気まぐれな猫みたいな性格のリギアは、嫌いな人間は徹底的に無視するし存在しないものと見なすから、カレブと向き合っている時点で彼を嫌っていないことは何となくわかった。


「でも、少しはパパを困らせたいっていう娘心はあるかもしれないわね。好きな人を振り回したい乙女心ってやつよ。男の子みたいにお転婆だけど、そこはしっかり女だわ、あの子」

「そりゃまあ、あるだろうな。そもそも自分のことを十五年も放置した父親だぞ。怒るわけでもないが、アルシャイン卿のことを若干煽って揶揄っているのやもしれん」

「困らせるにしても普通の女性のように高い宝石やドレスを強請るわけじゃないところがリギアらしいですね。王都中のブティック買い占めても副団長の財布は痛くもかゆくもないでしょうし、リギアが考える副団長が一番困るおねだりがこれなんでしょうね」

 

 リギアと付き合いの長い一同は、言われてみればそうかも、と訓練場の中央で向かい合うリギアとカレブを見守った。

 

 アルシャイン邸の庭師が吟味して朝摘んだ深紅の薔薇が、棘を全て切り取られて花瓶に刺して用意してあった。簡単には散りにくそうな八分咲きを選んでくれたので、多少激し目に動いても大丈夫そうだ。


「旦那様、こちらを」

 

 執事が黒い賞状盆に布をかけたものを恭しく持ってきたので、リギアは一体何のことかと首を傾げたが、かけられた布を執事が取ると、盆に乗っていたのは一枚の書類である。どや顔をするカレブをいぶかしんでよく見て見ると、それは入籍届であった。


「何これ」

「入籍届」

「見りゃわかるけど何で突然こんなもん」

「お前に勝ったら速攻で提出しにいこうと思ってな」

「は……?」

「何事もタイミングが大事だから」


 ――何でそんなに用意周到なんだ。


「うっざ」

「うるせえな。てか、サイン書いとこうぜ」


 小さなテーブルまで持ってきた執事から羽ペンとインクまで用意されて、カレブがそれを受け取ってサラサラと記名し出す。

 

「……ほら、俺は書いたからリギアも書こうぜ」

「やだよ。試合前にそんなもん書くわけないでしょ。試合中に勝手に出されたらたまったもんじゃないし」

「俺がそんなするように」

「見えまくりだよ」

「……お前ほんとに言葉飾らないよな」

「うひひー申し訳ありませーん」

 

 リギアは軽口を叩きながら今は書かないという意思表示を執事に示してから、別の盆に乗っていた薔薇を一本取ってそっと耳と髪の間に差し込んだ。

 ちょっと考えてから、もう一本薔薇を取るとカレブに向き直る。


「ちょっとは親孝行してみよっかな」

「ん?」

「パパ、私が薔薇つけてあげる。屈んで」

「え……あ、ああ」


 リギアの意外な言葉に面食らって一瞬固まったカレブだったが、大柄な体をやや前屈みにしてリギアの頭頂部を見ながら、リギアが薔薇を胸ポケットに差し込んでいるのを眺めた。

 なんだか不思議な感じになって、でもリギアがそんなことをしてくれるのがなんとも面映ゆくて胸がふんわり温かくなるのを感じた。


 ――抱きしめたらブチ切れるんだろうな。


 そんなことを思って苦笑するカレブに「できた」と言ってから離れたリギアはその目の前で祈りのポーズをした。


「すぐ取れますように」

「おい、しっかり差し込んだんだろうな」

「あはは~」


 ひらりと手を振ってから離れるリギアを後目に、今一度自分でもしっかり差し込んで、指でつついて薔薇が動かないのを確認してから、カレブはリギアとともに訓練用に刃を潰した剣を手に取り、向かい合って試合前の騎士の礼をした。


「それでは、カレブ・アルシャイン、リギア・アイゼンによる薔薇の戦いを始める。双方、位置につけ。――始め」


 ウィルケンの掛け声とともに、リギアとカレブはそれまでの和やかな雰囲気を一気に消し去り、戦闘モードに突入した。

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