第12話 不吉
パパ・ゲオルギオスと名乗った男は通りに停めた運転手付きの自動車に、眠くてたまらずぐったりしているオシッチを半ば押し込むようにして乗り込ませた。
彼は私服で、身分証の類も見せることはなかったが、少なくとも車と運転手を好きに扱えるような人物であることは分かる。つまりそこそこの大物だと言うことだ。
戸外の明るいところでオシッチは男を観察した。仕立ての悪い茶色のスーツは、40そこそこに見える彼には少し年寄り臭く見えるが、本人のやつれた顔をみれば年齢よりも老けて見える。その不釣合いな印象に隠れて、鋭い陰のある目が二つ、こちらを横目ににらんでいる。
相手は陸軍情報部と名乗ったが、彼自身に軍人らしいところはなく、目付きはどちらかというと警官、もっと言うと専門家タイプの警官を彷彿とさせる。泥棒を追いかけたり交通整理をしたり、市民感情を害さぬよう気を配ったり、部下の教育に腐心したりする警官ではない。専ら死の匂いのするところで働き、そのうち匂いが消えなくなる事に気が付くタイプだ。
運転手は逆に軍人らしい軍人で、何もしゃべらず、こちらを見もせずに二人が乗り込むと黙って車を出した。彼については名乗りもせず、ゲオルギウスも紹介してくれなかったので名前も分からないが、おそらくどこかの伍長あたりを運転手として借り出したのだろう。
「なぜ私が来たのか、なぜ自分が連れ出されなければならないのか、理由を聞かないのかね?」ゲオルギウスは湿り気を帯びた目線を向けて言った。「それとも何もかも承知で、黙りを決め込むつもりか?」
――さてどうしよう。
無関係な市民を装って『僕は何も知りません』方式でいくか、それとも去勢をはって彼の言うとおり『何もかも承知』の態度で相手の出方をみるか。
どちらにしても相手はこちらの名前を知っているようだし、今や顔も見られている。今さら官憲らしい相手に抵抗したところで、得るものは少ないだろう。
正直に答えることにした。
「昨日は寝てないんだ。あまり頭が働かないところに急にアンタが来たもんだから、正直に言って何を聞いていいのかすら、わからないよ」
「どうせならもう少し面白い事を言ってくれると助かるね、そうでなければわざわざ訪ねてきた意味がない」
彼は口の端に薄く笑みを浮かべる。それはまるで死神が病気の犬を見つけた時のような不吉な笑みだった。
「ならこちらから質問しよう、昨夜私の部下2名が消息を絶った。そしてその部下は今朝、日も上がらぬ内に路上で死体となって発見された。その者たちはとある任務についていたのだが、その任務の内容は君も分かるのではないかね?」
「――ああ、たぶん。そいつらはセルビアから来た男を尾行して、その行動の詳細を上司に報告するはずだったんだろう」
となるとオシッチとニーナを尾行していたのはギリシャ陸軍情報部のエージェントだったという事になる。彼らが軍人だったとは信じられないが、目の前の人物からして軍人らしさの欠片もないのだから、情報部とはそういうところなのかもしれない。あるいは軍人らしさを消し去る訓練を受けているのか、または彼が嘘をついているかだ。
「そう、我々はとある事件の重要参考人を追っており、その関係者の動向に興味を持っている。同時にこれ以上セルビア人が、このサロニカの街で陰謀ごっこを繰り広げて欲しくない。しかし二人は監視対象がマルガリータ女王通りのホテルにチェックインしたこと、向かいの食堂で一杯ひっかけて出てきたことを報告したのを最後に連絡を絶ってしまった」
「そして二人は今朝、死体で発見されたと。 ――それで? 俺達が疑われているわけか?」
「可能性もなくはないが、私自身は違うと思っている。理由はわからないが、とにかく君達ではないような気がしているのだ、だからこうして君と向かい合っている。 ――ところで彼女はどうしたね? まさか国に帰ったわけではあるまいが、一緒にいなくて構わないのかい?」
「あんたが気にすることじゃない、あれはただの一般人だ。たとえ重要参考人の関係者であっても、だ」
「そうはいかない。部下二人が殺されたことで、君達はどうあろうと事件の参考人となったのだ。 ――先程は君達を疑ってはいないと言ったが、事件の犯人ではないだろうと考えているだけのことで、何かしら知っているはずだ。私はそのために来た」
彼は正面からオシッチの顔を見据えている。
彼が部下二人の無念を晴らすために犯人を追っているとは思えないが、かと言って嘘をついているようにも思えない。
運転手は相変わらず前を向いたまま、一言も発していない。
車は街の中心部を離れようとしている。
窓から見える景色や太陽の位置から察するに、おそらく北東方向に向かっているのだろう。
「――それで、何か情報を持っているかもしれない俺達をどうするつもりなんだ? まさかこのまま俺を拘束するつもりか?」
ホテルの部屋に置いてきた拳銃のことが頭に浮かんだ。
この場にあって役に立つものでもないし、たとえ必要になっても拳銃一丁でできることなどたかがしれているのだが、ないと心許ないような気がする。
武器に依存してしまうのはあまりいい傾向ではない。
「拘束するといっても、我々は権限を持った警察官ではない。だが先程も言ったように、君には聞きたいことがある。それに答えない内は帰れないだろうと考えてもらっていい」
「つまり俺に自由はないわけか、選択の自由も行動の自由も―― あんた達が警官でないなら法律に基づく拘留も逮捕もできない。だがどこか人気のない倉庫に俺を放り込み、椅子に縛り付けて楽しくおしゃべりできないわけじゃない、電気とかヤットコとかカナヅチとか使って―― そういうことだろ?」
「冗談じゃない」彼は渋い顔を見せた。「わたしはそういった類のやり方は好まない」
意外にも彼が見せた嫌悪の表情は本物のようだった。
だが、嫌いというだけでやらないとは言ってはいない。必要となれば彼はやるだろう。
実際に車はだんだんと人気の希薄な場所へ向かっていた。




