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第11話 迷走

 さすがに夜も更け、人通りの無くなったサロニカの街をオシッチは静かに歩く。

 元より騒々しく足音を立てて歩くのが嫌いな性質(たち)ではあるが、それだけが理由ではない。その理由の半分は先刻目撃した殺人の光景であり、もう半分は胸に抱いた新聞の包みである。


 通りの脇に立つガス灯の光を避け、オシッチは新聞の包みを解いた。

 思ったとおり中身は回転式の拳銃、それもありふれたフランス製の拳銃だった。


シャメロー・デルビン(M1873)、またサンテティエンヌか――」


 暗闇で独りごちる。

 ピーターにもらった拳銃も、これより新しい型ではあったがやはりフランス製で、サンテティエンヌ造兵廠で製造されているものだった。


 当節はどこの戦場でも兵器はフランス製対ドイツ製の構図を示しており、無節操に広がる兵器売買のネットワークはバルカン半島にも手を伸ばしており、言ってみれば最もありふれているという事になる。

 つまりフランス製の拳銃を持っているというだけでは、どこの誰なのか、誰の手先なのかが分からないという事だ。英国情報部が選定の基準にしたのも、その辺りに理由があるのだろう。


 あるいはフランス政府に借金でも抱えているのかもしれない。



 ――どうでもいい。

 今は銃が手にあって、撃つべき相手がいるという事だけでいいのだ。

 この街のどこかに殺人者たちがいて、オシッチ達の周りに影を落としている。そして彼らはヴィディチの失踪に関わっている可能性が高い。



 もうまもなく夜が明けるはずだった。あまり考え事をしている時間はない。

 

 オシッチの作戦はこうだ。

 まずは最初に泊まる予定だったマルガリータ女王通りの安ホテルに向かう。状況から見て殺人者たちはオシッチ達を監視していた可能性が高いから、おそらくそこに宿をとっている事も知られているはずだ。

 殺人の現場から離れた殺人者たちが監視を継続するとすれば、今頃彼らはホテルを見張っているはず。逆に言えばホテルに行けば彼らに会えるというわけだ。

 そのためには空が明る過ぎても都合が悪い。今度はこちらが襲撃者の立場なのだから。



 かと言って急ぎすぎても警官の注意を引いてしまう。


 一瞬、胸に抱いた紙袋が心なしか重く感じた。

 兵役についていた時、行軍の最中に何度も重たい銃など捨ててしまおうと考えたものだが、今はその銃がリスクと安全の両方を意味している。

 警官に見つかるか、殺人者に出会うか、撃つか撃たないか、こんな複雑な状況は戦争中にもなかった。

 だが結局のところ、どちらに出会うかは確率の問題でしかない。



 ホテルに着いた。尾行も見張りもいない。

 鍵が閉まっているかと思ったが運良く開いていて、中のフロントでは老齢の宿の主人が眠りこけていた。こっそりと鍵を取り、慎重に部屋へ向かう。オシッチとニーナを待っていてくれたと考えると少しだけ胸が痛んだが、結局は任務を果たせなかった訳だから仕方ないだろう。


 紙袋の口に手を突っ込み、足音をたてずに廊下を歩く。待ち伏せるなら部屋の中で仕掛けるだろうが、警戒するに越したことはない。というより、何かそれらしい事をしているんだと自分に言い聞かせなければ一歩も前に進めそうになかった。 ――正直に言うと、怯えていた。

 左手にドアノブ、右手に銃を掴み、サッと押し開く。


 ――誰もいない。


 拍子抜けだった。

 念のため、室内に侵入者の痕跡が残されていないかどうか、ベッドの下から床まで調べてみる。


 特別変わったところは見当たらなかったが、最後に人心地ついてベッドに腰をかけた時に、それは見つかった。テーブルの上の水差しを重しがわりに置かれたそのメモは、疑いもなくこの部屋に誰かが入った事を示すものだ。

 メモにはセルビア語でこう書かれていた。



 『アナグマに近づくな』



 意味は分からないが、自分が間抜けだということは分かる。

 徹夜に加えて精神的、肉体的疲労という言い訳はあるが、元気ハツラツだからといって自分がそうでないと言い切れるものだろうか?


 アナグマと言えば昔、ピーターが仔うさぎをさらったアナグマの話をしていた。

 アナグマにさらわれた仔うさぎの話だったかもしれないが、どちらにしても結末は覚えていない。



 ――またどうでもいいことを考えている。

 もうそろそろ夜が開けてしまう。無駄な思考と杞憂で貴重な睡眠時間が失われてしまった。

 いい加減、誰かに銃弾を撃ち込むなりなんなり八つ当たりしたい気分だが、例の殺人者たちもいなければピーターもいない。とりあえず少しでも睡眠をとっておきたいところだ。




 ベッドに身体を沈め、深く息を吐く。

 目を閉じて意識が遠くへと離れていく。

 穏やかな眠りがもう目の前まで来ている――。








 ――ドアをノックする音が聞こえた。しかもかなり乱暴な、間違いなく男の拳だと思えるようなノックだ。

 無視してこのまま寝てしまおうかとも考えたが、急かすようなノックの音にしぶしぶ起き上がってドアを開ける。

 ドアの前に立っていたのは見知らぬ痩せぎすの男だった。


「朝早くに失礼、わたしはギリシャ陸軍情報部から来たパパ・ゲオルギオスという者だ。君がミハイル・オシッチだな?」


 オシッチは力なくうなずいた。


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