序章2 ようこそ!まともが滅んだ世界へ
草を踏み分ける音がした。
男が顔を上げる。
風に揺れる蒼い草原の向こうから、誰かがこちらへ歩いてくる。
女だ。
年齢は自分と同じくらいに見える。
赤髪。
肩口で乱雑に切り揃えられた髪が風に揺れるたび火のように見えた。
腰には短剣。
黒い外套の下には動きやすそうな軽装。
長旅に慣れた人間の足取りだった。
女は男の姿を見るなり、眉をひそめる。
「……何これ。」
第一声がそれだった。
男は思わず周囲を見る。
「は。」
女は白髪の少女へ視線を向ける。
「また拾ったの?今度は随分弱そうなの連れてきたね。」
「必要だった。」
「呆れた…」
白髪の少女は淡々と答える。
赤髪の女は露骨に呆れた顔をした。
「その“必要”って言葉、ほんと便利よね。」
男だけが状況についていけない。
「あの……誰でしょうか。」
赤髪の女は一瞬だけ男を見る。
赤色の瞳。鋭い目つきだった。
「そっちこそ誰。そんな変な服、中央の人間でも着てないけど。」
男は自分の皺だらけのスーツを見る。
「変っていうか、スーツ…男の戦闘服なんだけど。」
「スーツ?」
聞き慣れない単語だったらしく、
女は怪訝そうに眉を寄せた。
その横で、白髪の少女が静かに告げる。
「彼は外から来た。」
赤髪の女の動きが止まる。
数秒の沈黙。
「……は」
今度は女の方が聞き返した。
「外って、まさか境界の外?」
「ええ。」
赤髪の女は頭を抱えた。
「いやいやいや待って。そんなの昔話でしょ?実在したの?」
男は話についていけない。
「だから何なんだよ、その“外”って。」
「こっちが聞きたいんだけど。」
女は即座に返した。
「普通、人間はいきなり空から生えてこないの。」
男は口を開きかけ、閉じる。
その通りすぎて反論できなかった。
赤髪の女は大きく溜息を吐く。
「……最悪。面倒ごとの匂いしかしない。」
そう言いながらも、彼女は腰の水袋を外し、男へ放り投げた。
男は慌てて受け取る。
「飲みなよ。顔色ひどい。」
「あ……どうも。」
「あと、立てるなら早く移動した方がいいわ。」
女の視線が遠くへ向く。
草原の彼方。
白い巨大な影のさらに奥。
森の境界線あたりが、僅かに揺れていた。
「日が落ちる前に。じゃないと“出る”。」
男の背筋に、冷たいものが走った。
「……何が?」
赤髪の女は少し黙る。
それから、面倒そうに答えた。
「この世界の、まともじゃないやつ全部。」
◇◇◇
「その反応、完全に“自分だけ助かりたい一般人”の顔なんだけど。」
「助かりたいだろ普通!」
「声…大きい。」
白髪の少女が淡々と言う。
男は混乱したまま周囲を見渡した。
蒼い草原。
空。
知らない世界。
そして“まともじゃないやつ全部”とかいう雑な説明。
「いや待って、まず整理させてくれ。」
「無理。」
「早っ。」
赤髪の女はくるりと踵を返す。
「とにかく移動する。ここは北方東区域。日が落ちたら機械獣と肉食獣の巡回域になる。」
「巡回域って何。」
「死ぬ場所。」
「説明が雑!!」
女は草を踏み分けながら進む。
その先に、黒い塊が見えた。
バイクだった。
男の知る形とは少し違う。
骨格がむき出しで、金属線が脈動するように青白く光っている。
後輪周辺には、透明な筒状のタンク。
その中で液体が揺れていた。
「……何これ。」
「機獣燃料式二輪。」
「読めない単語しかない。」
赤髪の女は呆れ顔のまま跨る。
「機械獣の炉心液を精製して動かすの。旧文明の遺物。」
「炉心液!?」
「アンタの世界、そういうの無いの?」
「ガソリンだよ!」
「がそりん。」
初めて聞く呪文みたいに繰り返した。
その横で白髪の少女が当然のように後ろへ座る。
男は数秒待った。
「あの。」
「何。」
「俺は?」
「走る。」
「は。」
赤髪の女は真顔だった。
「人一人増えると燃費落ちるんだけど。」
「燃費で命を切り捨てるなよ!」
「大丈夫。気合いで走れば人間って意外と速い。」
「体育会系ブラック理論やめろ!」
白髪の少女が静かに言う。
「彼は平均以下。」
「追い討ち!?」
赤髪の女は溜息を吐いた。
「……仕方ない。」
そう言って男を見た。
「絶対落ちないでよ。」
「え。」
「三人乗りするから。」
「いや無理だろ!?」
数分後。
「ぎゃああああああああ!!」
蒼い草原を、バイクが爆走していた。
男は最後尾にしがみついている。
「ちょっ待っ速っっっ!!」
「舌噛むから黙って!」
「無理!!」
白髪の少女だけは微動だにしていない。
風が赤髪を激しく揺らす。
地平線の向こうへ、太陽が沈み始めていた。
その瞬間だった。
──ギィィィィ……
どこからか金属の軋む音が響く。
赤髪の女の表情が変わる。
「……起きた。」
草原のいたるところで、何かが持ち上がる。
最初、岩に見えた。
だが違う。
地中に半分埋まっていた巨大な機械の獣だった。
複眼。
錆びた装甲。
四足の骨格。
裂けた口から赤い光が漏れている。
太陽光を受け、装甲の隙間が駆動音と共に開いていく。
「うそだろ……」
男の声が震える。
さらに遠く。
森の奥から、獣の咆哮が響いた。
今度は生物の声。
低く、粘つくような唸り。
「肉食種まで起きてる……最悪。」
赤髪の女がアクセルを開く。
バイクが跳ねるように加速した。
直後。
後方で爆音。
機械獣の口から、赤熱した弾丸が放たれる。
「うわあああああ!!撃ってきた!!」
「そりゃ撃つでしょ!」
「何でそんな冷静なんだよ!?」
「対処する」
白髪の少女が静かに片手を上げた。
空中に、幾何学模様の光が展開される。
青白い魔法陣。
幾重にも重なった円環が回転する。
男が目を見開く。
「え……」
次の瞬間。
閃光。
轟音と共に、光線が放たれた。
一直線に機械獣を貫く。
装甲が溶け、爆ぜる。
「うおおおおお!?」
「声、大きい。」
白髪の少女は無表情だった。
だが次々と草原が揺れる。
機械獣。
肉食獣。
両方が夜の活動を始めていた。
赤い眼が、闇の中で次々灯る。
「今日はすごく数が多い……!」
赤髪の女が舌打ちする。
「都市まであと十分!」
「十分!?長い長い長い!!」
男は半泣きで頭を抱える。
背後では機械獣が追ってくる。
そのさらに横を、四足の肉食獣が並走していた。
骨が外に露出した狼のような姿。
異様に長い前脚。
裂けた口。
「もう嫌だああああ!!」
「男だろ、頑張れっ!!」
バイクが斜面を飛ぶ。
着地の衝撃で男の魂が抜けかけた。
白髪の少女が再び魔法陣を展開する。
今度は複数。
光の槍が空中に浮かび、雨のように降り注いだ。
機械獣が次々爆散する。
だが、その残骸に肉食獣が群がる。
機械油と火花を撒き散らしながら喰らいついていた。
男は吐きそうな顔で呟く。
「世紀末だろこの世界……」
赤髪の女が前を睨む。
「ようこそ、“まともが滅んだ世界”へ。」
その直後。
地平線の先に、巨大な壁が見えた。
岩盤と鋼鉄で築かれた要塞都市。
壁面には無数の灯り。
北方東区域、人類要塞都市──。
重厚なゲートが目線に入る。
「見えた!!」
赤髪の女が叫ぶ。
後方では、夜の獣達が咆哮を上げていた。




