第5話 月光と精霊の庭
ある日の夕餉のあと。
庭に出て涼んでいたイエレナの姿を、セレストは窓辺から見つけた。
月光を浴びる彼女の周りに、いくつもの小さな光の粒が漂っている。
風に揺れる花々の上を、蛍火のようにきらめく光。
けれど、それは単なる幻ではなかった。
「……精霊?」
セレストの胸に、思わず驚きがよぎる。
この静かな辺境に、精霊が現れることなどない。
それなのに彼女の傍には、まるで引き寄せられるように精霊たちが集い、楽しげに舞っていた。
イエレナはその存在に気づいているのか、指先をそっと差し伸べる。
光の粒はまるで触れ合うように、淡く震えながら彼女の指先を包んだ。
その横顔には、無邪気な笑みが浮かんでいる。
「ここで精霊を見るのは初めてだ。――君がいるから、かな」
思わず声をかけると、イエレナは少し驚いたように振り返った。
「普段はいない、の?」
「うん。ここで見かけたのは初めてだよ」
セレストは小さく笑いながら近づき、そっと彼女の手を取った。
その瞬間、精霊たちがふわりと揺れ、嬉しそうに光を強める。
指先に伝わる鼓動は小さく、けれど確かだった。
月光を浴びて見上げるイエレナの瞳は、どこかあどけなさを残していて――その素直な表情に、自然と頬が緩む。
だが、掌を通じて感じ取った魔力の流れは別だった。
表面は澄んだ湖のように静かでいても、奥底ではかすかな揺らぎが渦を巻き、器を押し流そうとしている。
その危うさに、セレストの胸の奥に小さなざわめきが広がった。
彼は微かに力を込め、魔力をゆっくりと送り込む。
淡い光が二人の間に溶け、精霊たちがその光に寄り添うように漂った。
アズベルトの魔力と祝福は、きれいに調和していた。
大河と大地が寄り添い、互いを支えるように循環していたからこそ、彼は大規模な結界や転移術すら安定して操れたのだろう。
けれど、イエレナは違う。
彼女の中では祝福があまりに強く、魔力の器を押し流すようにせめぎ合っている。
透き通る水晶の杯に、あふれる光を注ぎ込んでいるかのような危うさ――。
それでも、彼女自身は気づいていない。
ただ安心したように目を細め、彼の手から流れ込む穏やかな魔力に身を委ねていた。
セレストは微かに息を吐き、頬を緩める。
「……大丈夫。僕がいるから」
その囁きは夜気に溶け、精霊の光とともにやわらかく揺れた。
指先を伝う魔力が重なり合い、彼女の内に渦巻く揺らぎを、静かに穏やかに整えていく。
――アズベルトが守ろうとした想いを、自分が継がなければならない。
けれどそれは義務ではなく、ただ自然に胸へ流れ込むような決意だった。
彼女には、戦火や喪失ではなく、せめて今は安らぎを知ってほしい。
そのためなら、何度でも手を差し伸べよう。
月光と精霊の淡い光に包まれた静謐な庭。
セレストはしばしその景色を見つめていたが、ふっと息を整えて言葉を落とす。
「……身体が冷えるから、もう中に入ろうか」
そっとイエレナの手を引く。
その仕草はごく自然で、けれど確かな温もりを伴っていた。
イエレナは驚いたように瞬きをしたあと、静かにうなずく。
言われるまま歩き出すその横顔には、
ほんの少し――抑えきれない安堵がにじむように、頬がやわらかく緩んでいた。
物語の合間を綴った短編もございます。
よろしければ、そちらもお楽しみください。
▼短編集はこちら
『【短編集】亡国の姫は、隣国の静謐王子に甘やかされる』
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