第4話 癒やしの光
それから ―― ひと月程が過ぎた。
セレストの隠れ家での日々は、あの夜の惨劇が夢だったのではないかと錯覚するほど、静かで穏やかだった。
朝は、窓から差し込むやわらかな光で目を覚ます。
廊下を歩けば、すれ違うアウルが変わらぬ冷静な声で体調を気づかい、
庭に出れば、ギウンが「姫さん、こっち」と気さくに声をかけてくる。
土いじりなど一度もしたことがなかったのに、彼と一緒に畑を耕し、小さな苗を植えている自分がいた。
泥にまみれた指先を見て、思わず笑ってしまう――そんな自分に、少し驚く。
昼下がりには、セレストが庭先に小さな卓を出し、香り高いお茶を用意してくれる。
彼の柔らかな笑顔と何気ない会話に、重く固まっていた心が少しずつほぐれていく。
時折、からかうように「イェナはすぐ顔に出るね」と笑う彼に、むきになって言葉を返す自分もいた。
アウルやギウンと買い出しに出かけた日は――
村の人々から新鮮な野菜や焼きたてのパンを差し入れられた。
「セレスト様のお連れさんかね、可愛らしい娘さんだ」なんて言われ、思わず頬が熱くなる。
彼らと顔を見合わせて笑い合うのは、本当に久しぶりだった。
また別の日には、セレストの愛馬ルディアの世話を手伝った。
つややかな毛並みに櫛を通すと、ルディアが気持ちよさそうに鼻を鳴らす。
「ルディアは気難しい方なんだけど、君には懐いてるようだね」とセレストが目を細める。
その横顔を見て、なぜか胸がじんわりと温かくなった。
……けれど、ふとした瞬間に思い出す。
もう戻れない国のことを。
愛しい家族と過ごした城のことを。
笑い声が響いていた中庭を。
母のぬくもりを。
この穏やかな日々の中でさえ、心の奥底には冷たい痛みが沈んでいた。
それでも――
寄り添ってくれる人たちがいる。
差し伸べられた手の温かさがある。
その温もりが、少しずつ、凍りついた心を解かしていくのを感じていた。
◇ ◇ ◇
そうして過ぎていく日々の中で、セレストはひとつの異変に気づいていた。
イエレナの魔力は、表面上は落ち着いているように見える。
けれど、ふとした瞬間にさざ波のような揺らぎが生まれ、それが彼女自身の心をじわじわと削っていた。
「……少し、手を貸してもらえる?」
穏やかな声とともに、セレストが手を差し出す。
イエレナはきょとんと首を傾げたが、その表情に不思議そうな色を浮かべつつ、素直に手を重ねた。
「……?」
「大丈夫。力を抜いて」
にこりと笑ったセレストが、静かに瞳を閉じる。
その瞬間――
彼の指先から、淡い光がふわりと広がった。
言葉ひとつ紡ぐことなく、静かに満ちる無詠唱の魔力。
春の陽だまりのように柔らかく、夜明けの霧を溶かす光のように澄んでいて――
ただ触れているだけで、心の奥まで沁み渡っていく。
イエレナは息を呑み、瞳を細めた。
胸の奥に溜まっていた重苦しいざらつきが、静かにほどけていく。
――少しずつ溶けて消えていく。
「……すごく、心地いい……」
小さくこぼれた声は、夢の中の呟きのように儚かった。
セレストはその声に答えるように、ただ優しく微笑む。
それは何度も繰り返されるようになった。
彼に手を取られるたび、恐怖や喪失に縛られていた心が、少しずつ、けれど確かに解けていく。
その温もりは、彼女にとって失われたはずの「居場所」を思い出させるものになりつつあった。
物語の合間を綴った短編もございます。
よろしければ、そちらもお楽しみください。
▼短編集はこちら
『【短編集】亡国の姫は、隣国の静謐王子に甘やかされる』
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