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亡国の姫は、隣国の静謐王子に甘やかされる  作者: Tsuyuri -露-


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第61話 紅の再会~後編~


春の風がゆっくりと吹き抜けていく。

涙の熱だけが頬に残り、イエレナは胸の前で指をぎゅっと握りしめたまま俯いていた。


そんな静寂の中、不意にテオドールの纏う空気が変わる。

先ほどまでの柔らかさがすっと引き、冗談めいた気配は跡形もなく消えると、鋭く細められた金の瞳がまっすぐにイエレナを射抜いた。


「……その力、扱えるようになったか?」


不意の問いに、イエレナは瞬きを忘れた。

背筋を冷たいものが這い、低く落とされた声は乾いているのに、その奥には隠しきれない焦りのようなものが滲んでいた。


テオドールは視線を逸らさないまま続ける。


「……皇帝は今、傀儡だ。帝国には気をつけろ」


その言葉にイエレナの肩がかすかに震えた。

警告とも忠告ともつかない声音だったが、そこには確かな切迫感があった。


「アストレアの異変も……帝国は気づいてる」


心臓が強く脈打ち、足元からゆっくりと逃げ場が失われていくような感覚に、思わず息を呑んだ。


(……帝国が、アストレアにまで……?)


胸の奥で祝福がざわりと揺れる。

春風が頬を撫でたのか、それとも精霊たちの気配だったのか、自分でも分からなかった。


「……俺にすら、はぐらかしてるくらいだからな」


苦く吐き出された言葉とともに、テオドールの眉間へ深い皺が刻まれる。

その表情だけで十分だった。


帝国の内部で何かが起きている。それも決して小さな問題ではないことが伝わってきた。


イエレナは乱れた呼吸を整えようとしながら、ようやく声を絞り出す。


「……それは……私が、“祝福”を持っているから?」


帝国がアストレアへ目を向けている。


異変にも気づいている。そして、自分がここにいることさえ知られようとしている。

その話を聞いた瞬間、胸の奥でずっと見ないふりをしていた考えが、ゆっくりと形を持ちはじめた。


もし本当に、この力が理由だったのだとしたら。

フェルディナが狙われたのも、家族を失ったのも、すべての始まりは自分だったのではないか――。


そんな考えが脳裏をよぎり、イエレナは小さく息を呑む。


テオドールの長い睫毛が影を落とし、わずかに視線が逸れる。その沈黙が、かえって言葉の重さを物語っていた。


やがて低く息を吐き、淡々と告げた。


「……表向きは、貿易摩擦による関係悪化だ」


けれど感情を削ぎ落としたようなその口調が、かえって現実の重さを突きつけてくる。

胸の奥で膨らみ続けていた不安が、少しずつ輪郭を持ちはじめる。


指先から力が抜け、視線が足元へ落ちた。


「……私の、せい?」


掠れた声が零れる。

その瞬間、足元がぐらりと揺らいだ気がした。

胸の奥では早鐘のように鼓動が鳴り続け、その音に追い立てられるように指先から力が抜けていく。


――私がいるせいで。


そんな考えが頭をよぎった途端、冷たい水を流し込まれたように全身が冷えていった。


唇を噛みしめるイエレナを見て、テオドールは眉をひそめる。

そして呆れたように息を吐くと、


「は? なんでお前のせいになるんだよ」


と、低く言い捨てた。

ぶっきらぼうな声音だったが、そこに責める色は欠片もない。むしろ本気で意味が分からないと言いたげで、イエレナが目を瞬かせると、テオドールは小さく鼻を鳴らした。


イエレナが目を瞬くと、テオドールは小さく鼻を鳴らした。


「……自意識過剰」


軽く投げられた一言。けれど、それは胸の奥へまとわりついていた罪悪感を断ち切るように真っ直ぐだった。


テオドールは視線を空へ向ける。

春の陽光が深紅の髪を照らし、その横顔を淡く縁取っていた。


「国が滅ぶ理由なんて、一つじゃねぇよ」


ぽつりと落ちた声は苦く、それでいてどこか諦めにも似ている。

戦も、政治も、人の欲も――彼はきっと、その全部を見てきたのだろう。


だからこそ、


「そんなもん全部、お前一人で背負えるわけねぇだろ」


その言葉は慰めというより、長い時間をかけて辿り着いた結論のようだった。


イエレナは思わず息を止める。

胸の奥で張り詰めていた糸が、ほんの少しだけ緩んだ気がした。


春風が二人の間を吹き抜け、重く沈んでいた空気をさらっていく。その風を見送るように目を細めながら、テオドールはぽつりと呟いた。


「……まぁ、第五王子の傍にいるなら、俺が出る幕はねぇな。」


軽口のような言葉だった。けれど、その金の瞳の奥には冷えた諦めと、消しきれない情が静かに沈んでいる。


イエレナは胸元を押さえた。

何気ない一言のはずなのに、不思議なほど胸の奥の痛い場所へ触れてくる。

言葉を返せないまま立ち尽くしていると、テオドールがふいに一歩踏み出した。


靴音が大理石を叩き、静かなテラスに小さく響き、落ちてきた影にイエレナの呼吸がわずかに乱れた。


「……なんだよ、その顔。」


低く笑う声は、先ほどまでよりずっと柔らかい。

テオドールは鼻で小さく息を鳴らし、からかうように目を細めた。


「それとも――お前、アイツじゃなくて俺の嫁になるか?」


唐突すぎる言葉だった。


思考が止まる。


「っ……な、なんで……そんなこと……!」


頬が一気に熱くなる。

胸の鼓動が跳ね上がり、うまく言葉にならない。けれどテオドールは冗談を言った顔ではなかった。


鋭く、真っ直ぐでいて迷いのない金の瞳が、ただイエレナだけを見ている。


「俺なら、旧フェルディナをお前に返してやれる」


低く落ちたその言葉に、空気が軋んだ。

冗談では済まされない重さが、その一言に詰まっていた。


「……わ、私は……今、セスの――」


反射的に言葉を返そうとした瞬間だった。

テオドールの瞳が鋭く細められ、雷鳴が走ったような圧に、イエレナの声が喉で止まった。


「答えは今じゃなくていい。考えとけ。」


淡々とした声。けれど、その奥に宿る熱は隠しようもない。

そして彼は、逃げる間もなく自然に、さらに距離を詰めた。


「最後に――いい情報を一つやる」


その笑みは、不敵で――

冷たく、美しく、そして戸惑ったイエレナの顎を、彼の指先がくい、と持ち上げた。


「……え?」


金の瞳と、新緑の瞳が近くで重なる。

そのままテオドールは静かに告げた。


「アズベルト。……あいつの遺体も見つかってねぇ」


世界が止まった。

風が吹くけれど、何も聞こえない。


「お前と同じだ」


その言葉だけが鮮明だった。


「……アズが……?」


震える唇から声が零れ、希望とも絶望ともつかない祈りだった。

テオドールは小さく鼻を鳴らす。


「……あまり期待すんなよ。 “ゼロ”じゃねぇってだけの話だ。」


それだけだった。たったそれだけの言葉なのに、胸の奥で消えかけていた灯火がふっと息を吹き返す。

堪えていた涙が溢れ、イエレナは両手で顔を覆った。


――兄が生きているかもしれない。


その可能性だけで、張り詰めていたものが一気にほどけてしまう。

小さな嗚咽を漏らす彼女を見て、テオドールは困ったように息を吐いた。そして大きな手を伸ばし、ぽん、と幼い頃と変わらない調子で背中を叩く。


「……だから期待しすぎんなって」


ぶっきらぼうな声とは裏腹に、その手つきは驚くほど優しかった。

ゆっくり背を撫でられるたび、胸の奥に溜め込んでいた感情が少しずつ解けていく。


「……ほんと、昔から泣き虫なままだな」


呆れたように笑いながら、テオドールはもう一度ゆっくりとイエレナの背を撫でた。

春風が二人の間を吹き抜け、揺れた金髪が頬を掠めた瞬間、不意に腕を引かれた。


「っ……」


気づけば身体は大きな胸板へ引き寄せられ、驚いて顔を上げると、すぐ目の前に金の瞳があった。

あまりにも近い距離に息を呑む間もなく、顎へ添えられた指先がそっと持ち上げる。


「…ほら、泣くなよ」


低く落ちた声は優しいのに、その眼差しは逃がす気などないと言うように真っ直ぐだった。


視線が絡み、呼吸が触れそうなほど近い。

ゆっくりと縮まっていく距離に、イエレナの心臓が大きく跳ねた。


まるで――このまま唇が重なってしまうかのように。


その瞬間だった。


強い力で身体を引き寄せられ、イエレナは小さく息を呑む。


乱暴ではないけれど、決して譲らない力だった。

肩を抱く腕から伝わる静かな魔力の気配に、はっと顔を上げる。そこにいたのはセレストだった。


瑠璃の瞳は凍てつくほど冷たく、いつもの穏やかな微笑みはどこにもない。

焦りと怒りを押し殺したその表情に、イエレナは思わず息を呑む。


そんな二人を見比べながら、テオドールはまるで予想していたかのように鼻で笑った。


「……邪魔すんなよ。いいとこだったのに。」


軽い口調だった。けれど、その一言に滲む挑発は隠そうともしない。

張り詰めた空気の中、セレストはイエレナを庇うように抱き寄せたまま静かに口を開く。


「帝国は――人のものに手を出す習性があるのか?」


声音は穏やかだったが、その奥にある感情は隠しきれていない。

薄氷の刃のような言葉に、テオドールは怯むどころか口角を上げる。


「好きな奴に手を出すのは当たり前だろ。 そこに“帝国”なんざ挟むな。胸糞わりぃ。」


駆け引きでも脅しでもない。ただ真っ直ぐな本音だった。


だからこそ厄介だった。


セレストの腕にわずかに力がこもり、イエレナを自分の方へ引き寄せると、その前へ立つように身を寄せながら、静かに、けれど絶対に譲らない声音で告げた。


「――今は、私の婚約者だ。」


その言葉は静かだった。

けれど、一歩たりとも譲らないという意思だけは、はっきりと伝わってくる。


テオドールはしばらくセレストを見つめ、それから肩を竦めて短く笑った。


「カリカリすんなよ。 ……別にお前と敵対したいわけじゃねぇ。」


軽い口調でいて、その金の瞳は笑っていない。

セレストを見据える眼差しの奥で、さまざまな感情が交錯しているように見えた。


ただ一度だけ目を細めると、テオドールは視線をイエレナへ向けた。その瞬間だけ、鋭かった眼差しがわずかに和らぐ。


「――イエレナ、またな。」


不遜な笑みだった。

けれど、その奥にある温度だけは昔と変わらない。


幼い日のままの懐かしさを残して、テオドールは踵を返した。

翻った赤い外套を春風が攫い、その背中は人波の向こうへゆっくりと消えていく。


残されたテラスに静寂が落ち、イエレナは胸元へ手を当て小さく息を吐く。

背を支えるように回されたセレストの腕は温かく、その力強さが今も彼女を守るように寄り添っていた。


それなのに胸の奥は少しも落ち着かない。


過去の痛み。


兄へ繋がる希望。


消えない罪悪感。


そして――名前を呼ばれた瞬間に蘇った、遠い春の日の記憶。


様々な感情が胸の内で渦を巻き、息をすることさえ苦しくなる。

セレストの胸元へ身を預けるようにしながら、イエレナはそっと目を閉じた。


春風だけが静かに吹き抜けていく。


【 次回予告 】


ぶつかった想いの先に、残ったのは――

離したくない、ただそれだけの願い。


「……もう、いいよ」


抱きしめる腕は、

優しさと、抑えきれない想いを宿して。


凍てついた距離が、

春の光の中でゆっくりとほどけていく。


――けれど、その温もりは誰かに見られていた。


次話、第62話「氷解の抱擁」



 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


物語の合間を綴った短編も、あわせて公開しています。

本編では語りきれなかった、ささやかな時間や想いを収めたものです。

よろしければ、そちらもお楽しみください。


▼短編集はこちら

『【短編集】亡国の姫は、隣国の静謐王子に甘やかされる』

https://ncode.syosetu.com/n4783lg/


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

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