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亡国の姫は、隣国の静謐王子に甘やかされる  作者: Tsuyuri -露-


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第54話 応えた言葉~後編~


春の光が、執務室へゆるやかに差し込んでいた。


窓辺のレースカーテンが風に揺れるたび、白い卓布の上へ淡い影が落ちる。

カップの中では琥珀色の紅茶が小さく波紋を広げ、甘い茶葉の香りが静かに空気へ溶けていった。


誰もすぐには口を開かなかった。


窓の外では、風が花の枝をそっと揺らしている。

その穏やかな音だけが、静まり返った室内にやけに鮮明に響いていた。


やがて――


ラファエルが喉の奥でくすりと笑い、指先で茶器を軽く回す。


向かい側では、イエレナがぱちぱちと瞬きを繰り返しながら、小さく首を傾げていた。


その反応が可笑しかったのか、ラファエルは目を細め、紅茶をひと口含む。

そして何でもない話をするような気安さで、さらりと言葉を落とした。


「まぁ、なにはともあれ――この話で一番大事なのは、イエレナ嬢がセスのことをどう思っているかだよ。もちろん、“恋愛的な意味で”、ね?」


その瞬間だった。


イエレナの瞳が、ぱちりと大きく瞬く。


胸の奥が、不意に跳ねた。


昨日の午後。

陽だまりの中で見た、セレストの穏やかな笑顔。


そっと肩を包み込んだ腕の温もり。

耳元で名前を呼ぶ、低く優しい声。


そして――


静かな夜の中で、触れた唇の感触。


記憶が一気に脳裏を駆け巡り、心臓が痛いほど強く脈打った。


「……っ」


息を呑む暇もないまま、頬へ熱が広がっていく。


自分でも驚くほど、身体の奥がじわじわと熱を帯びていた。


胸の奥がくすぐったくて、苦しくて、うまく息が吸えない。


(な、なにを考えてるの、私……っ)


膝の上で、指先がぎゅっと握り込まれる。


耳の先まで熱くなり、もう顔を上げることすらできなかった。


そして――ほとんど逃げるみたいに、声が零れる。


「っ……わ、わかりません……!」


盛大に裏返った声が、静かな執務室へ響いた。


俯いたまま、これ以上何かを言う余裕なんてない。

ただ、ばくばくと暴れる心臓の音だけが、やけに大きく聞こえていた。


その反応に、ラファエルがとうとう肩を揺らして笑い出す。


「……これは、心配なさそうだね。」


愉快そうに目を細める兄の隣で、レオニスが深々とため息を吐いた。


「ラファエル。いい加減にしないと、本気でセレストに怒られるぞ」


「???」


イエレナは両頬を押さえたまま、混乱したように瞬きを繰り返す。


胸の奥が熱い。

紅茶の香りも、窓から吹く風も、今はどこか遠かった。


頭の中では、さっきの言葉だけが何度も反響している。


――恋愛的にって……。


――私が、セスのことを……好きって……こと?


その瞬間、また心臓が跳ねた。


視線が落ち着かない。

止めようとしても鼓動は収まらず、胸の奥で熱が波紋みたいに広がっていく。


まるで、自分でも気づいていなかった想いを、誰かにそっと掬い上げられてしまったみたいだった。


――それでも。


浮かんでくるのは、セレストの笑顔ばかりだ。


優しく名前を呼ぶ声。

寄り添う温もり。

陽だまりみたいに穏やかな眼差し。


まぶたの裏に残るその微笑みが、胸の奥でやわらかく揺れている。


消えない熱に、イエレナは小さく息を呑んだ。


まるで“恋”という言葉が、静かに心へ落ちて――

その余韻だけが、やわらかな波紋みたいに胸の奥へ広がっていく。


そのときだった。


「……そろそろ、イェナを返してもらえますか?」


背後から落ちてきた穏やかな声に、イエレナの肩がぴくりと揺れる。


振り返ると、いつの間に来ていたのか。

扉のそばにはセレストが静かに立っていた。


柔らかな微笑。

けれど、その背後に漂う空気はほんの少しだけ冷えている。


ラファエルがそれに気づいたように肩をすくめ、レオニスは呆れ半分に小さく息を吐いた。


「……セス。相変わらず、来るタイミングが絶妙だね」


「兄上たちが相手だと、嫌な予感がするので」


さらりと言いながら、セレストはイエレナの傍まで歩み寄る。

そして、まだ熱を持ったままの彼女の肩へそっと手を添え、覗き込むように目を細めた。


「兄上たちと長話はしない方がいいよ。だいたい、ろくな話にならないからね」


「……まぁ、否定はしないよ」


ラファエルが苦笑混じりに立ち上がる。


そのやり取りを聞きながらも、イエレナはまだ胸の鼓動を落ち着かせられずにいた。


恋愛的な意味――。


さっきの言葉が、まだ頭の中で何度も反響している。

そんな彼女へ、セレストがふっと視線を落とした。


「イェナ、帰ろう」


耳元へ落とされた低い声に、肩がまた小さく跳ねる。

穏やかな声音なのに、どこか囲い込むような熱を帯びていて、イエレナはうまく顔を上げられないまま小さく頷いた。


セレストはそのまま彼女の手を取り、自然に立ち上がらせる。


指先が触れた瞬間、胸の奥が熱を持ったまま

扉へ向かいかけたところで、セレストがふと振り返る。


「……あまり、イェナをからかわないでくださいね。兄上」


にこやかな微笑は崩れていない。

それでも、その声音にはやわらかな圧が滲んでいた。


ラファエルが片眉を上げ、レオニスは堪えきれなかったように小さく吹き出す。


セレストは何事もなかったかのように扉へ手をかけ、まずイエレナとレーネへ視線を向けた。


「先にどうぞ」


その声にイエレナが小さく頷き、レーネが静かに一礼して外へ出る。

ふたりを見送ってから、最後にセレストが部屋をあとにしようとした、その瞬間――


「また近いうちに、叙任式の打ち合わせで呼ぶよ。今度はセスも一緒にね」


扉へ手をかけていたセレストの動きが、ラファエルが楽しげに声でぴたりと止まる。

ゆっくり振り返った瑠璃の瞳が、わずかに細められ、柔らかな微笑の奥にひやりとした光が宿った。


「……当たり前です。今日のは、どう考えても職権乱用でしょう。兄上」


その瞬間だけ、室内の空気が薄く凍りつく。

ラファエルは肩をすくめながら笑い、レオニスは呆れたように書類を整えた。


「はは……やっぱり気づいてたか。怖いね」


「お前が軽率なんだ」


淡々とした弟の一言に、ラファエルが「ひどいなぁ」と笑う。


セレストは小さく息を吐くと、それ以上は何も言わず、静かに扉を閉じた。


重厚な木扉が音もなく閉まり――


残された執務室には、春の光だけが静かに揺れていた。


重厚な扉が音もなく閉まる。


外の光がわずかに差し込み、春の風がふわりと流れ込んだ。

イエレナとレーネが待つ廊下へ向かうその背は、静かで――けれど確かな決意を感じさせるものだった。

やがて足音が遠ざかり、室内には再び柔らかな紅茶の香りと沈黙だけが残った。


ラファエルはカップを手に取り、底に残った琥珀色の液面をぼんやりと見つめる。


脳裏に浮かぶのは、先ほどのイエレナの表情だった。


真っ赤に染まった頬。

戸惑いながらも、どこか嬉しそうに揺れていた瞳。


そして、不器用なくらいまっすぐな言葉。


「……まっすぐな子だったね」


ぽつりと零された声に、レオニスが短く応じる。


「そうだな」


簡潔な返答。

けれどその声音は、いつもよりわずかに柔らかかった。


ラファエルは小さく目を細める。


「弟が惹かれる理由が、少し分かった気がするよ。あの眼差しは――“誰かを信じる覚悟”を持っている」


「それを見抜くのが、お前の悪い癖でもある」


淡々と返され、ラファエルはくすりと笑った。


窓の外へ視線を向ければ、白い雲の隙間から春の陽光が王都へ降り注いでいる。

屋根を照らす光は穏やかで、風はどこまでも柔らかい。


しばらく沈黙が落ちたあと、ラファエルは静かに口を開いた。


「……レオ。叙任式に、イエレナ嬢を招こう」


「……公に、“婚約者”としてか?」


「ああ。」


短い返答だった。

ラファエルはカップをソーサーへ戻し、ゆっくりと指を組む。


「彼女はもう、“第五王子の影”のままではいられない。祝福を持ち、この国の未来に関わる存在だ。なら――王家の“光”のもとへ立たせるべきだろう」


静かな声音だった。

けれど、その言葉には王太子としての確かな意思が宿っている。


レオニスは小さく息を吐き、椅子へ背を預けた。


「……そう判断するなら、止めはしない。」


ラファエルは静かに頷くと、机の上に置かれていた一枚の書簡へ手を伸ばした。

厚手の紙には、すでに王家の封印が押されている。


窓から差し込む春光を受け、印章がきらりと淡く輝いた。


「式典は三週間後。春季叙任式――五人の王子が揃うのも、随分久しぶりだね」


そこでラファエルは小さく笑う。


「さて……弟たちがどんな顔をするか」


その微笑みには、王としての思惑だけではない

弟たちを見守る兄としての、どこか誇らしげな色が滲んでいた。


「セスには、ちゃんと“見せておく”必要がある――君が選んだ人が、どれほど強くて、優しい光を持っているのかをね」


レオニスは何も答えなかった。

けれど、その沈黙は否定ではない。


静かな眼差しの奥には、同じ認識が確かに宿っていた。


窓の外では、春風が花枝を揺らしている。

舞い上がった白と薄桃の花びらが、陽光を受けながら空へ舞っていく。


それはまるで――

王家へ訪れようとしている、新しい季節の始まりを告げる光景のようだった。


【 次回予告 】


恋を知った朝。

ただの「おはよう」さえ、胸を揺らす。


触れられるたびに乱れる心と、

止まらない鼓動。


けれど――差し出されたのは、まさかの一冊。


甘さと羞恥が交錯する中、

亡国の姫は少しずつ“その先”へ――


次話、第55話「婚約者の学問書」



 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


物語の合間を綴った短編も、あわせて公開しています。

本編では語りきれなかった、ささやかな時間や想いを収めたものです。

よろしければ、そちらもお楽しみください。


▼短編集はこちら

『【短編集】亡国の姫は、隣国の静謐王子に甘やかされる』

https://ncode.syosetu.com/n4783lg/


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

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