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亡国の姫は、隣国の静謐王子に甘やかされる  作者: Tsuyuri -露-


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第53話 問われた想い


王城の中庭を抜け、第二王子の執務棟へと続く長い回廊を、セレストとイエレナ、そして護衛として同行するレーネの三人が静かに歩いていた。


磨き上げられた白い石床には、朝の陽射しが淡く反射している。

高窓から差し込む光が細長い影を落とし、規則正しく並ぶ柱のあいだを、ひんやりとした風が音もなく通り抜けていった。


静かな場所だった。


けれどその静けさは、ただ穏やかなだけのものではない。

隙なく整えられた空間の奥に、王城特有の秩序と緊張が静かに息づいているものだった。


一歩進むたび、石床へ響く靴音がやけに大きく聞こえる。


ここは、“守られる場所”ではなく――

人に見られ、測られる場所なのだと否応なく思い知らされ、イエレナは無意識に指先を握りしめた。


わずかに震えたその手に、隣を歩くセレストが気づかないはずもない。

彼は歩幅をほんの少しだけ緩めると、周囲へ溶けるような小さな声で問いかけた。


「――緊張してる?」


イエレナは小さく息を吐き、少しだけ困ったように笑う。


「……うん。少し」


「すぐ慣れるよ。ラファエル兄上ならまだしも、レオニス兄上は誠実だからね」


冗談めかした響きに、イエレナの肩の力がほんの少しだけ抜けた。

そのすぐ後ろを歩くレーネは、相変わらず 無言のまま、ただ淡々と周囲を観察していた。


やがて三人は、第二王子執務室の扉の前で足を止める。


重厚な木扉。

中央に刻まれた金の紋章。


静かなのに、どこか圧を感じさせる佇まいだった。


「――ここだよ。」


セレストはそう告げると、扉を軽くノックする。


「セレストです」


「入れ」


間を置かず、内側から落ち着いた声が返った。

それだけで、この部屋の主がどんな人物かを物語っているよう。


重厚な扉が、音もなくゆっくりと開くと

室内には整然とした空気が満ちていた。


無駄なく並ぶ書棚。

几帳面に揃えられた書類。

窓から差し込む白い光が、机上を冷たく縁取っている。


静かで、研ぎ澄まされた秩序。


その中心にいたのは、第二王子――レオニスだった。


書類へ落としていた視線を持ち上げ、レオニスは静かに三人を見渡した。


その眼差しは冷静で、隙がない。

まるで一瞬で空気ごと測られているようだった。


やがて視線がセレストへ止まり、ほんのわずかに呆れた色が滲む。


「……君、本当にイエレナ嬢のことになると抜かりがないな。過保護にもほどがある」


「兄上だけなら特に心配はしていませんよ。ただ――」


そこで言葉を切り、セレストはわずかに視線を横へ流すと

その意図を察したように、レーネが音もなく一歩位置を変えた。


ほんの小さな動き。

けれど、それだけで室内の空気が微かに張り詰める。


レオニスの視線が、静かにレーネへ向けられた。


「念のため、です」


セレストは穏やかな口調のまま答える。

けれどその一言には、王城の内側で静かに動き始めている“何か”への警戒が滲んでいた。


レオニスはその意図を察したように、わずかに肩をすくめた。


それ以上は追及しない。

沈黙のまま受け流すその態度が、彼なりの了承だった。


セレストも小さく口元を緩めると、そっとイエレナの背へ手を添える。

指先が触れる温度は、安心させるみたいにやさしかった。


「イェナ、ここからは兄上に任せるよ。」


「……うん。」


イエレナはそのぬくもりに背中を押されるように、小さく頷いた。


その姿を見届けてから、セレストはゆっくりとレオニスへ向き直った。


先ほどまでの穏やかな弟の顔は、もうない。

そこにあるのは、王家の一員としての静かな威厳だった。


「時間を見て、また来ます。」


「好きにしろ」


短く返された言葉に、セレストはわずかに笑う。

それ以上は何も言わず、一礼して扉へ手をかけた。


重厚な木扉が、静かに閉まる。

その音が室内へ落ちた瞬間――張り詰めていた空気が、ほんのわずかに緩んだ。


レオニスは小さく息を吐き、珍しく口元を緩める。


「……過保護も、あそこまでいくと芸術だな。」


ぽつりと零れた言葉に、氷のように冷静な第二王子の顔へ、ほんの一瞬だけ兄としての苦笑が浮かぶ。


その意外な表情に、イエレナは思わず目を丸くした。

けれど次の瞬間には、つられるようにふわりと頬が緩む。


その小さな変化を見たレオニスは、わずかに目を細めた。

そして何も言わないまま従者へ視線を送り、静かに茶の準備を指示する。


「座ってくれ」


自然な所作で客用のソファを示し、自身も向かい側へ歩み寄った。


イエレナが静かに腰を下ろす頃には、給仕が手際よく紅茶と焼き菓子をテーブルへ並べ始めている。


白磁のカップから、やわらかな湯気が立ちのぼった。

ふわりと広がる茶葉の香りが、張り詰めていた空気を少しずつほどいていく。


レオニスはソファへ腰を下ろすと、静かにカップを手に取り、紅茶へ口をつける。

その仕草ひとつ取っても、無駄がなく美しかった。


そのとき――

奥の扉が、こんこん、と軽く叩かれる。


「――入るよ。」


柔らかな声とともに現れたのは、第一王子ラファエルだった。

春光を背に受けながら、いつもの穏やかな笑みを浮かべている。


「今日は精霊じゃなくて、待女付きなんだね。」


冗談めいた第一声。

不意の登場に、イエレナの肩がぴくりと小さく跳ねた。


慌てて立ち上がろうとし、裾を整えながら頭を下げかける。

けれど――


「いいよ、座ってて。」


やわらかな声音が、そっとその動きを止めた。


ラファエルは白い光を背負ったまま、穏やかに微笑んでいる。

片手を軽く上げるその仕草は、命じるというより、場の空気をなだめるような優しい仕草だった。


「ここは謁見の場じゃない。今日は少し、話をしたいだけだからね。堅苦しいのはなしだよ。」


明るく告げられたが、イエレナは一瞬ためらう。


第一王子の前で座ったままでいいのか――

その逡巡が胸をよぎったが、彼の視線は優しく頷きを促していた。


「......失礼いたします」


小さく息を整えながら、イエレナは再び静かにソファへ腰を下ろした。


その隣では、レーネが半歩だけ前へ出て一礼する。


無駄のない所作。

音ひとつ立てないのに、不思議とその場の空気が引き締まる。

静かな存在感だった。


ラファエルの視線が、ゆるやかにレーネへ向けられる。


「――けれど、戦闘が得意な方を付けるとは、なかなか過保護だね。

 君はセレスト付きか? それともイエレナ嬢付きか?」


冗談めいた口調だった。

けれどその問いの奥には、“今どちらを優先して守るのか”を測るような静かな確認がある。


レーネは一瞬だけラファエルと視線を交わすと、感情を揺らすことなく、淡々と答えた。


「主はセレスト様ですが、御心はイエレナ様にあります。」


「そう......なら問題ないね。」


ラファエルはその言葉を聞くと、満足そうにふっと口元を緩めた。


彼はゆったりとソファへ腰を下ろす。

長い脚を組み、背もたれへ軽く身を預けた姿は余裕そのものだった。


「さて――本題に入ろうか」


穏やかな笑みは崩さない。

けれどその瞬間、瞳の奥に宿る光だけが、静かに変わった。

まるで“第一王子”としての顔が、ゆっくりと浮かび上がるみたいに。


室内の空気がほんのわずかに張り詰め、イエレナは自然と背筋を伸ばしていた。

向かい側から向けられる、瑠璃と氷――二人の王子の視線を感じながら。



◇ ◇ ◇



テーブルには三つの紅茶のカップが並び、窓辺から流れ込むやわらかな風が、積み重ねられた書類の端をかすかに揺らしていた。


ラファエルは静かにカップを手に取り、ひと口だけ紅茶を含む。

琥珀色の液面に差し込む光がゆらりと揺れ、執務室へ一瞬の静寂が満ちた。


そして――彼はゆっくりと目を細める。


「単刀直入に言うよ。

 君には、“セレストの婚約者”として叙任式に出席してほしいと考えている。」


その言葉に、イエレナの瞳がわずかに見開かれる。

ラファエルはその反応を急かすことなく、変わらぬ穏やかな微笑のまま続けた。


「ただ、その前に確認しておきたいことがいくつかあってね」


カップをソーサーへ戻す、小さな音。

ラファエルは組んだ指先をゆっくりと口元へ寄せ、それから改めてイエレナをまっすぐ見据えた。


「君に確認したいのは、四つだ。まず一つ目――叙任式は“公の場”だ。君が旧フェルディナ国の姫であることを、この国の民の前へ晒すことになる」


イエレナの睫毛が、かすかに震える。それでも彼女は俯かなかった。

静かに、真正面からその言葉を受け止めている。


ラファエルはその様子を見守るようにわずかな間を置き、続けた。


「二つ目。これまで“書類上の婚約者”に過ぎなかった君が、正式に“王家公認の婚約者”となる。――つまり、君とセレストの関係は、もう後戻りできなくなるということだ」


膝の上で、イエレナの指先がそっと重なる。

静かに息を整えながらも、鼓動だけが少しずつ速くなっていくのを、自分でも感じていた。


やがて再び、ラファエルの低い声が静かな室内へ落ちる。


「そして三つ目。この二つが揃えば、帝国にも君の存在は知られることになる。“フェルディナの姫”が生きていると知れれば――向こうが動かないはずがない」


淡々とした言葉だった。

けれどその一言一言が、静かな空気を確かに切り裂いていく。


イエレナは小さく息を呑んだ。

胸の奥にざわりと波紋が広がり、重ねた指先へ無意識に力がこもる。


ラファエルはその反応を逃さず、静かに目を細めた。


「……理解は、出来ているね?」


低く、落ち着いた声だった。

決して冷たくはない。けれどその奥には――それでもなお前に立つ覚悟があるのかと問いかける、静かな重みが潜んでいた。


イエレナは小さく頷く。

震える睫毛の奥で、迷いと決意が静かにせめぎ合っている。


それでも、その瞳だけは逸れなかった。


ラファエルはそんな彼女を見つめ、わずかに表情を和らげる。


「……最後に」


ひとつ息を整え、今度はほんの少しだけ声音の温度を落とした。


「ここまでの三つを踏まえた上で ――君がこの先も王家と関わるなら、避けては通れない話だ」


静かな声だった。

けれどその一言で、空気の質がわずかに変わる。


ラファエルはゆっくりと目を細めた。


「これは提案というより……君自身の意思を聞いておきたい」


紅茶の香りが、静まり返った室内へ淡く広がる。

窓から差し込む陽射しが白い卓布へやわらかな影を落とす中、ラファエルはゆっくりと目を細めた。


「……もし私が君に、“セスの伴侶になってほしい”と言ったら――君は、どうする?」


「……え?」


イエレナの手が、膝の上でぴたりと止まる。

あまりにも予想外の問いに、思考が追いつかないまま瞳だけがわずかに揺れた。


ラファエルはその反応を静かに受け止めながら、ゆっくりと椅子の背へ身を預ける。


「焦らなくていい。答えを聞きたいのは“今”じゃない。ただ――君自身が、どう在りたいのかを知っておきたかっただけだよ」


やさしい響きだった。

けれどその言葉は深く、静かに胸の奥へと沈んでいく。


短い沈黙が落ちる。

その間にも、彼女の鼓動はほんの少しずつ速くなっていた。


ラファエルはそんな彼女を静かに見つめながら、ゆるやかな微笑を浮かべている。


それは王太子として相手を見極める眼差しであり――同時に、弟の未来を案じる兄の眼差しでもあった。


――問われているのは、立場ではない。


彼女自身の想いだった。


【 次回予告 】


明かされる、彼の本当の想い。

守るために――あえて距離を置いていた理由。


それを知ったとき、

彼女の胸に生まれたのは、ひとつの答え。


「……隣に立って、力になりたい」


亡国の姫は、自らの言葉で未来を選ぶ。


けれどその先に待つのは――

甘くも、少しだけ踏み込みすぎた問い。


次話、第54話「応えた言葉~前編~」



 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


物語の合間を綴った短編も、あわせて公開しています。

本編では語りきれなかった、ささやかな時間や想いを収めたものです。

よろしければ、そちらもお楽しみください。


▼短編集はこちら

『【短編集】亡国の姫は、隣国の静謐王子に甘やかされる』

https://ncode.syosetu.com/n4783lg/


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

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