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亡国の姫は、隣国の静謐王子に甘やかされる  作者: Tsuyuri -露-


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第37話 光を奪わぬために


【セレストside】


馬車の扉が閉じた瞬間、外の喧騒がふっと遠のいた。


石畳を叩く車輪の音だけが、規則正しく車内に響く。

それまで張りつめていた空気がほどけるように緩み、イエレナは胸に手を当てながら小さく息を吐いた。


「……ふぅ……」


その声は、ようやく解放された人のものだった。


ずっと気を張っていたのだろう。

足元から力が抜けたように、彼女は座席へそっと体を預ける。


その様子に、思わず目を細めた。


「な、なんとか無事に終わった……のかな……」


弱々しくこぼれた呟きに、笑みがこぼれそうになる。


王族二人に囲まれていたのだから無理もない。

むしろ、あの場であれだけ言葉を返したことの方が驚きだ。


ふと、兄の言葉が脳裏をよぎる。


――『君の“それ”が周囲に与えている影響、祝福なんて言葉じゃ足りないな』


あの瞬間、ラファエルの瑠璃の瞳が一瞬だけ鋭く光った。


イエレナも、きっと感じ取っていたはずだ。

“祝福以上の何か”と評された、その言葉の重みを。


他人の口から語られるには、あまりにも大きすぎる。


(……兄上は、相変わらず見抜くのが早い)


だが、それ以上に胸に残っているのは――


その言葉を思い出した瞬間、胸の奥に小さな火が灯ったように熱が広がる。


あの場での彼女の声。

ほんの少し震えていたのに、それでも目を逸らさず、逃げなかった。


“婚約者”という立場を越えた響き。


きっと深い意味などないのだろう。

イェナはただ、思ったことをそのまま口にしただけだ。


それでも――嬉しかった。

どうしようもないほどに。


同時に、胸の奥で別の感情が静かに顔を出す。


怖い。


彼女が光に近づけば近づくほど、世界はその光を放ってはおかない。


祝福は、ただの祝福では終わらない。

やがて政治になり、戦略になり、ときには人を動かす武器にさえなる。

そして、この関係が公になればなるほど――イェナの未来は、少しずつ形を変えていく。


本来なら選べたはずの道が、ひとつ、またひとつと狭まっていく。

自分の隣に立つということは、王家の渦の中心に立つということだ。


(……僕は、守りたい)


そう思う。


けれど――守ろうとすればするほど、彼女の自由を奪ってしまうかもしれない。

その可能性を、誰よりもよく知っているのは自分だった。


イェナには、これ以上苦しんでほしくない。


それなのに彼女は迷いなく、自分の隣を選んだ。


胸の奥がきゅっと締めつけられる。

嬉しくて、苦しくて――それでもどうしようもなく、愛おしい。


そのとき。


「……セス、私、変じゃなかった……?」


不意にかけられた声に、思考がふっと途切れた。


セレストは一瞬だけ目を瞬かせ、それから視線を彼女へ向ける。


向かいの座席で、イェナは不安そうにこちらを見ていた。

指先をそわそわと絡め、どこか落ち着かない様子だ。その姿に、思わず口元が緩む。


「変なところなんて、ひとつもなかったよ。君は堂々としてた」


「……でも、足がちょっと震えてたかも……」


小さくこぼれたその言葉に、セレストはくすりと笑う。


「それくらい可愛いものだよ」


さらりと言ってしまった瞬間、イエレナの頬がふっと赤く染まり、彼女は気まずそうに視線を逸らした。

その何気ない仕草に、胸の奥が強く鳴る。


(……本当に、どうしてこんなに)


思わず窓の外へ視線を逃がし、静かに息を整える。

この気持ちを、そのまま言葉にしてしまうわけにはいかなかった。


守るべき立場のはずなのに、惹かれてしまう。

それは責任の名を借りた、ただの“わがまま”なのかもしれない。


――けれど。


それでも、選んだのは自分だ。


彼女の隣に立つと決めたのも、

彼女の未来を狭めないと誓ったのも。


自分の想いだけで、イェナの道を縛ってはいけない。


もし彼女が、いつかもっと遠くへ羽ばたきたいと願ったなら。


王都ではない場所を選んだとしても。

自分の隣ではない未来を望んだとしても。


そのとき、笑って送り出せる自分でいよう。


今はただ、その光が曇らないように。

彼女が自由に選べるだけの世界を整えること。


それが、今の自分にできる役目だった。


ふっと、柔らかな風が馬車の中を撫でた。


その静かな空気を破るように、明るい声が弾ける。


「お疲れさま、イェナ~!」


小さな羽音とともに、リリュエルが宙をくるくると回りながら姿を現した。

淡い光が舞い、馬車の中でやわらかく瞬く。


「リリュエル、どこにいたの?」


イエレナが驚いたように目を瞬かせる。


「ずっと隠れてたの。怖い人がいたからね~! 見つかったら食べられちゃいそうだったし!」


「怖い人……兄上のことかな」


思わず苦笑がこぼれる。


その言葉に、イエレナはくすっと笑った。

肩の力が抜けたような、柔らかな笑顔だった。


それを見た瞬間、胸の奥で張り詰めていたものが、静かにほどけていく。


(……怖がる顔より、その笑顔を見ていたい)


そう思う。


だからこそ――

君が笑っていられる場所を、僕が守らないといけない。


「イエナ、今日はお疲れさま」


「……ありがとう、セス」


短い言葉。


だがその響きは、

今日のすべてを肯定するように胸へ落ちた。


(君があの時、ああ言ってくれたから――僕はもう迷わない)


あの声が、まだ耳の奥に残っている。


君が歩む未来を、恐れず見届ける。

たとえ君がどこへ向かおうと、その選択が君自身のものなら。


やがて馬車がゆるやかに速度を落とし、静かに止まった。


「ご到着です。セレスト殿下の邸宅でございます」


御者の声が外から届く。


窓の向こうには、夕陽に染まる王都の街並み。

金色の光が石畳をやわらかく包んでいる。


イエレナは目を細め、その景色を静かに見つめていた。


セレストは、その横顔をそっと見つめる。


(――君の隣に立てる日が来るなら、その時こそ、すべてを賭けよう)


王子として。

そして――一人の男として。


それまでは、ただ願おう。


この手が、君の自由を縛るものにならないように。

君が選べる未来を守れるように。


それが今の、自分にできるすべてだった。



 ◇ ◇ ◇


【イエレナside】


夕暮れの光が、室内をやわらかく染めていた。

湯あみを終えたイエレナは、ひとり窓辺に立ち、静かに外へ目を向ける。


「……なにを、すればいいんだろ……」


ラファエルの低く静かな声が、まだ頭の奥に残っていた。


『君の“それ”が周囲に与えている影響、祝福なんて言葉じゃ足りないな』


――祝福なんて言葉じゃ、足りない。


その一言が、心に影のように残っている。

どういう意味なのかは分からない。けれど、確かに――胸を揺らした。


“知らないままではいけない”

“自分の力を、ちゃんと知るべきだ”


そんな想いが、焦りにも似た熱を生み、

静かな夜の空気の中で、それだけがひとり歩きしている気がした。


ふと、自分の考えすぎに気づいて、苦笑がこぼれる。

窓辺の影がゆらめく。

そして視線を落とすと――


「……あれ?」


白と水色のクッションの上で、小さな影がすやすやと眠っていた。


「リリュエル……?」


そっとしゃがみ込むと、レースの上で身体を丸めた妖精が、穏やかな寝息を立てていた。

透きとおる羽根が光を受けてきらきらと揺れ、頬をほんのり染めながら、小さな胸を上下させている。


イエレナは小さく笑い、指先を伸ばしかけて――けれど、触れるのをやめた。

その静かな寝顔を見ているだけで、心の波が少しずつ落ち着いていく。


(……こうしてリリュエルを“視る”ことができるのも、きっと特別なことなんだろうな)


フェルディナでは“祝福者”は敬われる存在だった。

けれど、他国では異質と見なされる。

“普通ではない”ことを、ようやく理解し始めていた。


それを当たり前のように受け入れ、

屋敷の人々にまでリリュエルの姿が見えるようにしてくれたのは――セレストだった。


(……セスは、最初から全部わかっていたのかもしれない)


きっとアズから聞いていたのだろう。

それでも、彼は驚くことも、恐れることもなく、まるでそれが自然であるかのようにただ傍にいてくれた。

胸の奥が温かくなる。けれど、同時に、その温もりが焦燥を呼んだ。


(セスに守られてばかりじゃ、だめだ……

 私も、自分の力を知って、誰かを守れるようにならなきゃ)


夜風が頬を撫で、髪を揺らす。

街の灯が、まるで彼女の迷いと決意を映すように瞬いていた。


(……怖いのは、“知らない”からだ)


小さく息を吐いたその瞬間――

背後から、静かな気配が近づいた。


「……イェナ」


やわらかな声がすぐ背後から落ちてきて、同時に背中へふっと温もりが触れた。


振り返るよりも先に、腰へそっと回された腕の重みで、それが誰なのか分かる。

そこにいるのはセレストだった。

瑠璃の瞳が夕陽の残光を受け、やわらかく光っている。


「……ごめん、驚かせたね」


小さく笑いながら、彼は腕を解かないまま、ほんの少しだけ顔を近づけた。


「何度かノックしたんだけど、聞こえてないようだったから……どうかした?」


覗き込むような視線には、ただ静かな心配だけがある。


その温もりに触れた途端、胸の奥がじんわりと熱を帯びた。

さっきまで胸を締めつけていた焦りが、溶けるようにほどけていく。


泣きそうで、うまく言葉にできない。


イエレナはただ、小さく首を横に振った。


それだけで十分だと分かっているように、セレストはそれ以上詮索することなく、腕の力をほんの少しだけ強める。


「イェナ、まずはここでの生活に慣れることが第一だよ。」


耳元に落ちる声は、穏やかで揺るぎない。


「夕飯を食べて、ゆっくり休もう」


その言葉が、ざわめいていた心をそっと撫でていく。


いつもの落ち着いた調子。

けれど今日は、どこか包み込むような温度があった。


急がなくていい、と。

いま答えを出さなくてもいい、と。


そう言われているようで、胸の奥が少しずつほどけていく。


イエレナはそっと、その腕に指先を重ねた。


「……うん」


小さく頷く。


その返事を聞いたセレストは何も言わず、ただ柔らかく微笑んだ。


絡めるようでもなく、引き寄せるでもなく。

自然に手を取り、静かに扉へと歩き出す。


扉を出る直前、イエレナはふと振り返る。


夜の光が差し込む室内。

白と水色のクッションの上で、リリュエルが幸せそうに眠っていた。


小さな胸が、規則正しく上下している。


その光景を見つめながら、胸の奥でそっと呟く。


(……きっと、少しずつでいい)


一度に強くならなくてもいい。

一度にすべてを理解できなくてもいい。


(私も、変わっていける)


守られるだけじゃなく隣に立てるように。


夜の光が、静かに二人の背を包んでいた。


【 次回予告 】


灯りの下、並ぶ食卓。


何気ない会話と、甘いひととき。

静謐の邸に、やわらかな温もりが満ちていく。


――まるで、家族のように。


けれど。

ひとつの報せが、夜の空気をわずかに変えた。


微笑みの奥に宿る、王子の光。

その背にある世界を、少女はまだ知らない。


次話、第38話「静謐の邸」



 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


物語の合間を綴った短編も、あわせて公開しています。

本編では語りきれなかった、ささやかな時間や想いを収めたものです。

よろしければ、そちらもお楽しみください。


▼短編集はこちら

『【短編集】亡国の姫は、隣国の静謐王子に甘やかされる』

https://ncode.syosetu.com/n4783lg/


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

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