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亡国の姫は、隣国の静謐王子に甘やかされる  作者: Tsuyuri -露-


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第35話 こぼれた想い


客間へと通された瞬間、空気がやわらいだ。


大きな窓から差し込む陽光が、磨き上げられた床と白磁のティーセットに映え、淡く光を散らす。

金の縁取りが施されたカップに、琥珀色の紅茶が静かに揺れていた。


先ほどまで謁見の間に満ちていた緊張は、ここにはない。


上質な茶葉の香りが湯気とともに立ちのぼり、甘い焼き菓子の匂いがやわらかく重なる。

その温もりに触れるように、胸に残っていたわずかな強張りが、ゆるやかにほどけていった。


従者は無駄のない所作で茶器を整え、音もなく一礼して下がる。


――その瞬間。

扉が、静かに再び開いた。


室内の空気が、わずかに引き締まる。


深い青紫の艶やかな髪を後ろでひとつに束ねた男が、音もなく足を踏み入れた。

澄みきった氷のような瞳が、まっすぐにイエレナを捉える。


「イエレナ嬢。お初にお目にかかります」


低く落ち着いた声は、感情を削ぎ落としたように静かで、無駄がない。

そして、その一礼は正確無比――寸分の狂いもない角度。

計算し尽くされた所作の美しさが、その知性を雄弁に物語っていた。


第二王子――レオニス。


王家の参謀。

理と秩序を体現する男。


ゆるやかに顔を上げ、薄く、しかし確かな微笑を浮かべる。


「レオニスです。今は兄上――ラファエルの参謀として仕えています」


理路整然とした言葉遣いに、隙のない思考が滲む。

イエレナも静かに立ち上がり、柔らかな笑みを返して一礼した。


「お目にかかれて光栄です。……どうぞよろしくお願いいたします」


まだわずかな緊張は残っている。

けれど、その奥には揺るがぬ芯があった。


亡国の姫。

その名に恥じぬ誇りが、静かに息づいている。


レオニスは彼女を一瞥する。


先に動くのは感情ではなく、判断。

冷静な視線が、曇りなく彼女を測った。


そして、わずかに微笑を深める。


「噂に違わず、穏やかで聡明な方のようだ――座ってくれ」


レオニスはそう告げると、自らも向かいの席へ腰を下ろした。


「兄弟揃って気に入るのも納得だな」


その一言に、ほんのわずかな温度が混じる。


イエレナの隣に腰を下ろしたセレストの眉が、かすかに寄った。

“兄弟揃って”――その響きが、どうやら気に入らないらしい。


ラファエルはそれを見逃さず、愉しげに目を細める。


「イエレナ嬢の纏う空気は、他の令嬢とは違うからね。公の場に出れば、亡国の姫でなくとも注目の的だよ」


カップを傾けながら、穏やかな声音で続ける。

褒められているのか、それとも試されているのか――判別がつかない。

それでもイエレナは、柔らかな笑みを崩さなかった。


「……そのようなことは。アストレア王国の方々は皆さまお美しくて」


レーネやアンネはもちろん、街で見かける女性たちも、どこか洗練された気品を纏っている。

フェルディナとはまた異なる、美しさだった。


「謙遜しなくてもいいのに」


ラファエルがにこりと笑う。

それを横目に、レオニスが小さく息をついた。


「はぁ...毎回この調子だ。セスからも言ってやれ」


声色は変わらない。だが、その奥にはわずかな本気が滲んでいる。


「本来なら、お前より先にこの飄々とした男の身を固めたいんだ」


視線はラファエルへ。


「王位を継ぐ立場なのだから。早急にな」


「そんなこと言われてもねぇ」


ラファエルは涼しい顔のまま、皿の焼き菓子をつまんだ。

どこまでも優雅な所作。指先ひとつまで隙がない。


「勝手に取り付けられたお見合いには、ちゃんと顔を出してるじゃないか」


「顔がいいくせに、なぜ次に繋がらない?」


レオニスの声音がわずかに低くなる。額に手を添える仕草は、呆れ半分、本気半分。

王位継承者の婚姻は、国家の問題だ。


だがラファエルは動じない。

ゆるやかにカップを持ち上げる。


琥珀色が、静かに揺れた。


一口含み、わずかに唇の端を上げる。


「さぁ? なんでだろうね」


からかうような微笑に、空気がかすかに波打つ。


イエレナは思わずセレストを見やった。

だが彼もまた、兄たちからさりげなく視線を逸らしている。


――巻き込まないでほしい。


無言の抗議は、あまりにも分かりやすい。


そしてラファエルは、ふと思いついたように言った。


「……なんなら、イエレナ嬢を私の婚約者にしてもいいんだけど」


紅茶を揺らしながら、まるで独り言のように言う。

その微笑みは、冗談とも本気とも取れない――。


一瞬、空気が止まった。


イエレナは目を見開き、カップを持つ手をぎこちなく揺らしてしまう。

けれど、すぐに胸の奥の鼓動を押さえ込むように、静かに息を吐いた。


そして、ふっと穏やかな笑みを浮かべる。

その瞳には、怯えではなく確かな意志が宿っていた。


「……光栄なお言葉です、殿下。けれど――」


静かに顔を上げ、まっすぐラファエルを見据える。


「私は、セレストという人の隣にいたいです。」


凛とした声が、やわらかな客間に落ちた。


ぴたり、と空気が張りつめる。


ラファエルの手が、わずかに止まる。

レオニスが一瞬だけ目を瞬かせ、

セレストの瞳がはっきりと揺れた。


ほんの数拍の沈黙。


(あれ……?)


甘い菓子の香りさえ遠のく。


(な、なんか……告白みたいになっちゃった……っ!)


遅れて気づいた瞬間、みるみる頬が紅に染まる。

耳の先まで真っ赤になりながら、必死に平静を装う。


紅茶を持ち上げ、そっと口をつける。


だが――


震える指先。

泳ぐ視線。


そのすべてが、あまりにも正直だった。


ラファエルとレオニスが一瞬視線を交わす。

理解と納得、そしてわずかな愉しさを滲ませながら、同時に小さく笑った。


セレストはしばらく言葉を失ったまま、

やがて、ほんのわずかに視線を伏せる。


その横顔には――

静謐の王子らしからぬ、柔らかな動揺が滲んでいた。


抑えきれない歓びが、静かに透ける。


それを見て、ラファエルがぽつりと呟く。


「……なるほど。これは手放せないね」


柔らかな声音。

だがその奥には、確かな評価と、少しの企みが宿っている。


「……っ」


セレストが一瞬、目を見開く。

驚きか、照れか。

あるいは核心を突かれたことへの反応か。


すぐに、じとりとした視線を兄へ向ける。


「……からかわないでください」


声は落ち着いている。

だが、ほんのわずかに低い。


そんなセレストの様子を見て、ラファエルは楽しげに目を細めた。


「からかったつもりはないけどね」


紅茶をひと口。


「いい婚約者に恵まれたようで、兄として嬉しく思うよ」


その言葉は軽やかでありながら、どこか本音を含んでいる。

王としてではなく、兄として、

ほんの一瞬だけ、柔らかな温度が漂う。


――だが。


その余韻を断ち切るように、レオニスが静かに口を開いた。


「セスは心配ない。ラファエル、問題はお前だ。そろそろ身を固めていただきたい」


空気が、すっと冷える。


氷晶の参謀は、感情を挟まない。

王位継承者の婚姻は、国政そのもの。


「……あぁ、頼むから話を戻さないでくれよ」


「なら、えり好みなどせず、誠心誠意向き合え」


「人聞きが悪いなぁ。僕はえり好みなんてしていないよ? 彼女たちから断ってくるんだ」


ラファエルが大げさに息をつく。

カップを置く仕草はどこか芝居がかっていて、わざとらしいほど優雅だ。


その軽妙さに、セレストがわずかに苦笑する。

兄たちのこのやり取りは、きっと幼い頃から変わらないのだろう。

軽口の応酬に見えて、どこか深い信頼が滲んでいる。


一方で――

イエレナはというと。


(う、うわぁ……! 変なこと口走っちゃったかも……っ)


紅茶を飲み干す勢いで顔を伏せる。

耳まで真っ赤に染まり、兄弟のやり取りなどまるで耳に入っていない。


その様子を横目に、セレストが困ったように微笑む。

そっとイエレナの背に手を添えた。


「....っ!」


懐中時計をちらりと確認し、小声で耳元へ顔を寄せる。


「そろそろ帰ろう。このままでは、いつまでも解放してもらえない」


穏やかな声がすぐ傍で静かに響き、その近さに余計に頬が熱を帯びる。イエレナは小さく何度も頷きながら、どうにか落ち着こうと息を整えた。

セレストはその様子を横目にとらえ、わずかに口元を緩めると、何事もなかったかのように兄たちへと視線を向けた。


「……そろそろ、帰ります」


静かな宣言だった。

イエレナの頬の紅潮はまだ消えない。それでもきちんと会釈をするあたりが、いかにも彼女らしい。


ラファエルは肩をすくめ、わずかに目を細めた。


「相変わらずだね、セスは」


そう言ってから、ゆっくりとイエレナへ視線を向ける。

先ほどまでの探る光はすでに消え、そこには穏やかな兄の色だけが宿っていた。


「イエレナ嬢。また遊びにおいで。改めて歓迎するよ」


それは王族としての言葉であり、同時にひとりの兄としての誘いでもある。


「っ……ありがとうございます」


頬を染めたまま、イエレナは深く一礼した。

その素直で真っ直ぐな所作に、ラファエルとレオニスの表情がほんの一瞬、やわらぐ。


その光景を、セレストは静かに胸に刻み込んでいた。


【 次回予告 】


王宮を後にし、

夕陽に染まる回廊で、想いは静かに重なった。


嬉しかった。

その一言が、確かに距離を変えた。


けれど――王家の光は、ただ温かいだけではない。


閉ざされた客間で交わされるのは、

祝福の名を持つ力の話。


守ると誓った者。

見極めようとする者。


そして、まだ知らない。

自分がどれほどの“光”を宿しているのかを。


次話、第36話「光を知らぬ器」



 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


物語の合間を綴った短編も、あわせて公開しています。

本編では語りきれなかった、ささやかな時間や想いを収めたものです。

よろしければ、そちらもお楽しみください。


▼短編集はこちら

『【短編集】亡国の姫は、隣国の静謐王子に甘やかされる』

https://ncode.syosetu.com/n4783lg/


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

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