第26話 王都への道標
翌日の昼――。
政務棟の最上階。
第一王子ラファエルの執務室は、柔らかな陽光に包まれていた。
高い窓から差し込む光が書類の山に反射し、白く淡い輝きを生む。
その中央。
整った姿勢で立つセレストの銀髪が、光を受けて静かに揺れた。
「……準備は、整ったって?」
ラファエルが椅子にもたれ、軽く目を瞬かせる。
その隣では、第二王子レオニスが手を止め、意外そうに視線を向けた。
迎えは二重経路。
偽装馬車。
移動中は〈静穏結界〉と〈遮符〉で痕跡を攪乱。
村へも負担をかけないよう、護衛隊の配置は三層の水網式。
――完全な手回しだった。
「はい。手続きはすべて完了しました。
迎えの使者は、指定の刻限に出発させます」
セレストの落ち着いた報告が、
それまで緩んでいた室内の空気を、わずかに引き締めた。
ラファエルは一瞬きょとんとしたあと、
思わず肩を揺らして笑う。
「……本当に、仕事が早いね。
普通なら一週間はかかるよ、あれ全部揃えるの」
「お前も、その勤勉さを少しは見習え」
淡々とした声で、レオニスが口を挟む。
視線は机上――無秩序に積み上げられた書類の塔へ。
「執務室が、どうして毎回こうなる」
「うっ……」
ラファエルは明後日の方向へ目を逸らし、
乾いた笑いを漏らした。
「あはは……。
でもさ、僕とセスの“有能さ”は畑が違うんだよ。
比べるのは、ちょっとお門違いじゃない?」
どこか得意げに笑うラファエルに、
レオニスは呆れたように息を吐く。
「開き直るな。
書類処理は基礎中の基礎だ。
畑やレベルの問題ではない」
そのやり取りを横目に、
セレストはわずかに首を傾げる。
「……不備はないかと、念のため何度も確認はしましたが」
真面目すぎるほど慎重なその一言に、
ラファエルは、思わず小さく息を漏らした。
「いや、そういう意味じゃないんだよ、セス」
ひとつ笑い、目元を柔らかく緩める。
「君が、どれだけ本気なのかと思ってね。
……彼女のことになると、君は不器用なうえに早いから」
その言葉に、
セレストは短く息を吸った。
表情は崩さぬまま、
足元へと、静かに魔力を流す。
「……彼女たちにも、報告をしなければなりませんので。
先に、失礼します」
制止も詠唱もない。
空気が、音もなく歪み、
青白い光が幾何学模様を描いて浮かび上がる。
――転移魔法。
セレストは一歩、迷いなく魔法陣の中心へ踏み入れた。
「謁見を、楽しみにしているよ」
ラファエルが片手を軽く挙げる。
その瞳には、兄としての温かさと、
王としての鋭さが、同時に宿っていた。
「……また、後ほど」
静かな応答。
次の瞬間、
セレストの姿は淡い光の粒子に包まれ――
ふっと、景色から消えた。
残された空気が揺らぎ、静寂が戻る。
しばらくしてラファエルは椅子にもたれ、ふうと息を吐いた。
「……本当に、やる時は容赦ないな。
弟ながら、感服するよ」
レオニスは何も言わず、一枚の書類に署名を入れ続けた。
ただ、その横顔には――わずかに、満足げな影が差していた。
◇ ◇ ◇
【イエレナside】
昼下がりの温室。
ガラス越しの陽光は柔らかく広がり、葉脈を透かして淡く輝いていた。
イエレナはじょうろを抱え、土の香りに包まれながら黙々と水を注ぐ。
(……数日で戻るって言ってたのに。もう、五日目……)
胸の奥に、不安が小石のように積もっていく。
王都で何が起きているのか。
セスは無事なのか。
考えてもわからないのに、考えることをやめられなかった。
「セス……」
思わず零れた声に、自分で驚いて唇を噛む。
そのとき――
「植物たちの育ちが早いね」
「——っ!」
背後から聞こえた、聞き慣れた低い声。
じょうろが手から滑りかけ、慌てて抱え直した。
くるりと振り返る。
淡い瑠璃の光を背に受けて立つ銀髪の青年。
その佇まいが視界に入った瞬間、胸が熱を帯び、涙が滲んだ。
「……セス?」
震えた声は、張りつめていた心がそのまま溢れたものだった。
振り返った先で、
セレストは光の中に佇み、静かに微笑んでいた。
「ただいま、イェナ」
たった五日。
それなのに――胸の奥はまるで、何ヶ月も待ち続けたように痛むほどの安堵で満ちる。
イエレナは一気に息を吸い込み、喉の奥がきゅっと熱くなる。
「……おかえり、なさい」
震える言葉を吐き出した瞬間、
自分でも驚くほど胸の奥が緩んだ。
セレストはゆっくり歩み寄り、
そっと彼女の頬に触れた。
その指先は温かくて、
触れられた場所から安心がじわりと染み込んでくる。
「心配をかけてしまったね。
……でも、君が待っていると思うと、不思議と力が湧いたよ」
その優しさに、胸の奥がぎゅうっ、と縮んだ。
「……セス……」
その名を呼んだだけで涙が滲む。
言葉も、表情も、抑えが効かない。
セレストはふっと目を細めると――
「少しだけ、いいかな」
軽く引かれた腕に、身体が自然と傾く。
気づいたときには、
セレストの胸の中にすっぽり抱き寄せられていた。
服の端を掴む指がかすかに震える。
羞恥も、安堵も、会えなかった五日分の寂しさも、全部が胸の奥で絡まって溢れる。
ーー泣きそう。
こんなにも温かかったんだ。
この人の腕の中にいるだけで、呼吸が楽になるなんて。
しばらくして、セレストが息を整えるようにそっと腕をゆるめた。
柔らかな瑠璃色の瞳が、まっすぐにイエレナを映し込む。
「……さて。僕だけで抱えていても仕方がないし、
みんなに伝えたいことがあるんだ」
胸元で鼓動がひとつ跳ね、イエレナは目を瞬かせた。
「……伝えたいこと?」
「うん。大切なことだから」
そう言って差し出されたセレストの手は、
いつもよりわずかに強張っていて、ひんやりとしていた。
イエレナがそっとその手に触れると、
一瞬、指先がかすかに揺れる。
けれど、次の瞬間。
握り返される力は、静かで確かだった。
その温度が伝わるにつれて、
イエレナの胸に溜まっていた緊張が、ふわりとほどけていく。
「……行こうか」
声は落ち着いている。
けれど、ほんのわずかな息の間が、
その言葉に込められた覚悟を物語っていた。
二人は並んで歩き出し、温室を後にする。
扉が閉まる瞬間、
温かな湿気と、植物のやさしい香りが、背にふわりと残った。
◇ ◇ ◇
ダイニングルーム。
扉を押し開けた瞬間、
アウルとギウンがぱっと立ち上がり、深く頭を下げた。
「……お帰りなさいませ、セレスト様」
「無事でよかったっす。」
「ただいま。留守を任せっきりで悪かったね。
二人とも……ありがとう」
柔らかな笑みに、室内の空気がわずかにゆるむ。
その時――
「セスーっ!! やっと帰ってきたんだね!!」
宙から勢いよく飛び込んでくる小さな影。
光の粒を散らしながらリリュエルが胸のあたりへ飛びついた。
イエレナは頬をほんのり染めて小声でたしなめる。
「リリュエル……」
その横で、アウルとギウンが呆れたように息をつく。
けれどそれも――温かな再会の空気の一部だった。
やがて席につき、全員が揃ったとき。
セレストの瞳に、自然と空気が引き締められた。
柔らかい表情の裏に、揺るぎない意志が宿る。
「みんなに伝えておきたいことがある」
落ち着いた声――なのに、胸の奥に重みが含まれていた。
セレストの視線がひとりひとりをゆっくりと巡り、
静寂を見届けたのちに口を開く。
「……間もなく、王都の私邸へ移ることになる」
一瞬で場が静まり返った。
アウルの瞳がわずかに揺れ、ギウンは腕を組んでうなる。
リリュエルだけが「おーっ!」と無邪気に宙で回った。
イエレナの胸に、そっと波立つものが生まれる。
(……王都へ……)
避けていた現実が、静かに目の前へ歩み寄ってくる。
ギウンが重く口を開く。
「王都……ってことは、お披露目ですか?」
「そこまで大げさにはしないよ。
詳細は後で話すけれど……ひとつだけ」
セレストは、ほんの一瞬だけイエレナを見る。
その視線は柔らかくも、真剣だった。
「君たちに、余計な負担はかけない」
イエレナの胸がひとつ震えた。
その言葉ひとつで、彼の気遣いや覚悟が痛いほど伝わった。
彼女は静かに、しかし確かに頷いた。
その小さな仕草で、ダイニングに漂っていた緊張がほぐれていく。
リリュエルがぱっと手を挙げて叫んだ。
「王都ってキラキラしてるんでしょ!?美味しいものもある?!」
「おい、食い気かよ……」
ギウンに突っ込まれ、アウルは小さく肩を揺らす。
その様子に、イエレナも思わず唇を緩めた。
――不安が少しずつ積もっていく。
それでも、温もりだけは確かにそこにあった。
揺れる想いを包み込むように、午後の空気が、静かに部屋を満たしていった。
【 次回予告 】
守られるだけでは、終われない。
それでも――寄りかかりたい想いが、胸に残る。
夜に揺れた決意と、
朝に始まる旅支度。
王都へ向かうその一歩は、
彼女自身が選ぶ“道標”。
次話、第27話「出立の支度」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
物語の合間を綴った短編も、あわせて公開しています。
本編では語りきれなかった、ささやかな時間や想いを収めたものです。
よろしければ、そちらもお楽しみください。
▼短編集はこちら
『【短編集】亡国の姫は、隣国の静謐王子に甘やかされる』
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