第25話 氷晶の参謀
重たい扉が閉まり、王城の長い回廊がしんと静まった。
夕陽の朱が石畳を斜めに切り取り、冷えた空気の中でセレストの足音だけが響く。
——その角を曲がった瞬間。
セレストの足が止まった。
回廊の影の中、壁にもたれるように立つひとりの男。
長い 青紫色の髪 を低く束ね、
端正な横顔には 氷のように澄んだ紫紺の瞳。
銀縁の眼鏡越しに覗くその眼差しは、
感情を示さないのに“全てを見通している”印象を与える。
アストレア王国 第二王子――
〈氷晶の参謀〉レオニス。
まとう空気が冷ややかで、まるで回廊そのものが沈黙するようだった。
「……叱咤されたか?」
低く静かな声が、夕闇の中で淡く響く。
セレストは苦笑を浮かべた。
「兄上の“叱咤”は……言葉にすると妙に優しいんですけどね」
「それがラファエルの芸風だ」
レオニスは手にした書簡をパタンと閉じる。
その仕草ひとつさえ整然としていて、感情の影はほとんど読めない。
二人は並んで立ち、
回廊の長い影の中でしばし沈黙が落ちた。
やがて、レオニスが淡々と切り込む。
「君のところにいる“彼女”は、王都に迎えることになるらしいな」
セレストの睫毛が小さく揺れた。
「……レオ兄上にも話が回っていたんですね」
「これでもラファエルの参謀だからな」
淡々とした響きの中に、わずかな温かさがあった。
レオニスは続ける。
「まぁ、君がそういうことをすぐに話す人間なら、
兄上もわざわざ呼び出しはしないさ」
くすっと、セレストが肩を揺らして笑う。
その穏やかな笑みを見て、レオニスの瞳がほんの少しだけ和らいだ。
「兄上は……“先に進んでほしい”と願っているように見えました」
「君は、まだ進んでいないのか?」
問いはまっすぐだった。
追い詰めるでもなく、試すでもない。
ただ、事実を確かめるためだけの声音。
セレストは静かに視線を落とす。
「……分かりません。
ただ……彼女の心を、置き去りにはしたくない。
それだけです」
短い沈黙が落ちた。
夕陽の朱が、二人の足元に影を引き伸ばしていく。
レオニスは小さく息を吐き、肩をすくめる。
「君は、妙なところで気を遣うからな」
「……え。そんなつもりは、ないのですが」
困ったように笑みを浮かべるセレストに、
レオニスはわずかに目を細めた。
「兄として忠告しておこう。
せっかく君が珍しく“囲っている”んだ。
欲しいと思ったものを大事にするのは結構だが――」
一拍。
「いつまでも眺めているだけだと、横取りされるぞ」
不敵な笑み。
すべてを見透かされているようで、思わず息を呑む。
「……っ」
「まぁ、いずれ進むさ。
君は、そういう男だ」
淡々とした言葉だったが、
そこには確かな温度があった。
レオニスはそれ以上言葉を足さず、
そのまま踵を返す。
歩き出しながら、
ほんの軽い仕草で片手を挙げ――
まるで独り言のように、去り際に言葉を落とした。
「……“お前の兄上”は、君を試してなどいない。
ただ、信じているだけだ」
振り向くことはない。
足音だけが、冷たい廊下へと遠ざかっていく。
やがて、
風がひと筋、回廊を抜けた。
残されたセレストは、目を伏せたまま静かに息を吐く。
胸に残るのは、
重さと――それでも確かな温度。
「……まいったな」
ぽつりと零し、
ふと天井を仰ぐ。
王城の静けさが、
いつもより少しだけ広く感じられた。
小さく笑みを浮かべ、顔を上げる。
その足取りには、
もはや迷いは、ひとつもなかった。
◇ ◇ ◇
王都に来てから数日が経った。
第一王子ラファエルの指示のもと
政務棟では矢のような速度で手続きが進められていた。
昼下がりの一室——
厚い石壁に囲まれた静謐な部屋には、羽ペンの走る音だけが規則正しく響く。
机上には広げられた地図と、駒。
戦場の配置のようにも見えるが——
その実、ひとりの少女を王都へ迎えるための“護送図”だった。
「……移動経路は二重に。護衛は三層で……村の負担は極力避けたい」
セレストの落ち着いた声に、側で控える補佐官たちが沈黙で頷く。
王都全体が、
“たった一人の少女”を迎えるために動く——
その異例さに、室内には緊張と敬意が混じる空気が流れていた。
セレストはふっと視線を落とす。
そこには、銀鎖に繋がれた一つのペンダント。
柔らかな意匠は、イエレナが身につけているものと対になっている。
指先でそっと縁をなぞる。
ひやりとした金属の温度とともに、彼女の柔らかな笑みが浮かぶ。
(……君を迎える。必ず、安全に)
その胸奥で、静かで強い覚悟がひっそりと形を成した。
――その夜。
王都の灯火が宝石のようにまたたく頃、
セレストは政務を終えた執務机の前で一枚の書状に筆を走らせていた。
「——私邸の準備を」
宛て先は王都管理局。
王城の客室ではなく、自らの私邸へ。
そこが彼女にとって
“隠れ家”でも“檻”でもなく、
——本当に帰れる場所となるように。
使用人の人選、護衛の配置、
迎え入れる寝具や衣類の質に至るまで、
セレストは細やかに指示を記してゆく。
「……彼女が、心から休めるように」
思わず零れた言葉だった。
けれどその声は、低く静かで
迷いの影は一片もなかった。
書状に署名を終え、封蝋を押す。
蝋燭の炎が揺らぎ、灯火は彼の横顔を淡い金に染めた。
窓の外には、王都の灯が静かに連なっている。
その光を前にしてなお、
彼の胸に浮かんだのは――
イエレナと過ごした、穏やかな辺境の日々だった。
――やっと笑顔が出てきたんだ。
(……王都に迎えることは
最も安全で、最も現実的な選択だ。
けれど、それは彼女を縛る場所であってはいけない。)
あの笑顔を曇らせたくない。
――イェナ自身が、選べる場所として。
ラファエルの言葉が脳裏に蘇る。
『名を与え、居場所を作れ。
守る覚悟があるなら、なおさらだよ』
セレストは目を細め、深く息を吐く。
「……君にとっての“居場所”を、必ず」
夜風がカーテンを揺らし、
灯火の中で彼の瑠璃の瞳が静かに光を帯びた。
その眼差しには――
〈静謐の王子〉としての責務と、
ひとりの青年としての揺るぎない想いが重なっていた。
【 次回予告 】
再会の温もりの、その先へ。
選ばれた道は――
王都へ続く、ただひとつの“道標”。
迎えの準備が整い、
運命は静かに動き出す。
次話、第26話「王都への道標」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
物語の合間を綴った短編も、あわせて公開しています。
本編では語りきれなかった、ささやかな時間や想いを収めたものです。
よろしければ、そちらもお楽しみください。
▼短編集はこちら
『【短編集】亡国の姫は、隣国の静謐王子に甘やかされる』
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