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亡国の姫は、隣国の静謐王子に甘やかされる  作者: Tsuyuri -露-


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第24話 陽の王子


【セレストside】



白金の塔が長い影を落としはじめた頃、

王城にはゆるやかに夕闇が満ちていた。


空の朱はゆるく溶け、

石造りの回廊は金と赤の境界色に染まる。


規則正しく響く靴音だけが、

広い回廊に静かに刻まれていく。


セレストは無言で歩いていた。


纏うのは深い瑠璃の布地に銀の刺繍が淡く光る王家正装。

胸の銀紋章は第5王子の証。

肩を流れるローブには王族だけが許される織紋が淡く光を返していた。


腰まで届く銀白の髪は、丁寧に整えられ、

柔らかな波を描きながら肩口に落ちている。


その佇まいは、

威厳と静けさを同時に纏いながらも、どこか柔らかい。


――〈静謐の王子〉

夕闇に溶けるには、あまりにも美しく、

けれど目を逸らせば消えてしまいそうな、儚さをも帯びていた。


「第五王子、セレスト殿下。お入りください」


近衛兵の声に、

セレストは一度だけ静かに息を吸い、扉へ手を添える。


——軋む音とともに、視界が開けた。


謁見の間。


高い天井、荘厳な柱、深紅の絨毯。

夕陽は巨大なステンドグラスを透過して

瑠璃・金・緋の光を床へ投げかけていた。


玉座ではなく、

その脇に設えられた談話席に、彼は腰掛けていた。


それだけで、この場の主が誰かは明白だった。

視線も、空気も、知らぬ間に彼のもとへ集まっている。


「よく来たね」


柔らかな声が、

夕闇に混じる光の粒を、そっと揺らすように響いた。


アッシュブロンドの髪は落陽を受けて淡く染まり、

その輪郭は、まるで後光のように静かに輝いている。


穏やかな微笑の奥に潜む、深い理性。

そして瑠璃色の瞳の底には、

誰にも掬い取らせない“深淵”が、ひっそりと沈んでいた。


アストレア王国第一王子――ラファエル。


〈陽の王子〉

〈王都の陽だまり〉

臣下からは敬愛を、

王族内では“微笑む狐”と畏怖される男。


ただ座っているだけで、

空気の密度がひとつ変わるような存在感を纏っていた。


セレストは歩み寄り、形式的に頭を下げる。


だがその僅かな動作のあいだにも、

ラファエルは何も言わず、

弟の表情・歩幅・纏う気配……そのすべてを観察していた。


その視線は、

優しさの仮面をかぶったまま、冷徹に、鋭く。


「久しぶりだね、セス。

 ずいぶん……静かに動いていたみたいじゃないか」


落とされた一言は、

夕陽の揺らぎさえ飲み込むほどの静かな圧を孕んでいた。


謁見の間の空気が、

ほんのわずかに震えたように感じられる。


まるでこの城そのものが、

“陽の王子”のひと言に呼吸を合わせているかのようだった。


セレストは形式的に頭を下げる。


「……できれば、もっと穏やかな方法で呼び出していただきたいものです、兄上」


低く整った声。

だが温度はなく、どこか硬い。


対するラファエルは、いつもの穏やかな笑みを崩さず、肩を小さく竦めた。


「ふふ、だって君……最近、何か隠してるように見えたからね」


柔らかな笑み。

だが視線は鋭い刃のように弟を見透かしている。


「隠しているつもりはありません」


「なら、いいんだけど。

 僕の呼び出しにも応じないなんて……

 弟を大切に思う兄としては、気になってしまってね」


そう言って、ラファエルは立ち上がり、セレストへと歩み寄る。

血を分けた兄弟——体格は似ているけれど、放つ存在感はまるで違う。

王となる者にしか纏えぬ空気を、彼は確かにまとっていた。


「村に滞在しているらしいね。

 別荘とはいえ、王族が何ヶ月も辺境に。──さすがに目立つよ」


セレストは伏し目がちに息を整える。

その沈黙の仕方に、ラファエルの眉が愉しげに揺れた。


「君が守ろうとしている“彼女”……いや、“婚約者さま”、かな?」


やわらかく落とされる声。

しかし核心へと一直線に刺さる。


セレストのまつげがかすかに震えた。

眉がわずかに動いた。


――その沈黙こそが答え。


ラファエルは薄く笑い、弟の表情を逃さず見つめる。


「……図星、か」


風のない部屋で、衣の裾が小さく揺れた気がした。


「そうやって黙ってると、君の中で“感情”が動いてるのがわかるよ。

 ――口にするより、よほど雄弁だ」


ラファエルはふと窓辺へと視線をやる。

金糸の刺繍が施された衣が陽光を受けてきらりと光った。


「……グランツェル帝国が、また“旧フェルディナ国”で動いている」


緩やかに落とされた言葉の温度が、一気に冷たくなる。


「小規模な偵察部隊が確認された。

 ……何かを、いや “誰か”を探している」


だがセレストは表情ひとつ崩さず、その場に立つ。


ラファエルはゆっくりと続けた。


「君の“保護”が個人の意思であれ、国家の判断であれ……

 それは、もう君ひとりで抱え込める範囲じゃない」


それは兄としての忠告であり、

そして王族としての冷静な判断だった。


「だから提案する。

 “イエレナ嬢”を正式に迎えよう。

 君の婚約者として、王家の保護下に」


セレストは眉をひそめる。


「それは……彼女の身元を明かす危険が」


「“亡国の姫”とは言わない。

 ただの婚約者として迎える。——政治的にはそれだけで十分なんだ。

 帝国も、他国も、表向きには口を挟めない」


ラファエルの声音は穏やかだが、

その裏にある政治の現実は、退路を許さなかった。


「守りたいなら——居場所を与えなさい。

 守る覚悟があるなら、なおさらだよ」


その一言は、重く深く胸に落ちる。


続いたのは、微笑の奥に揺れる寂しげな影。


「……君は昔から、必要なことを独りで抱え込む。

 誰にも言わず動いて……気づいた頃には結論だけが残っている」


兄としての静かな嘆きでもあった。


セレストは小さく息をつく。


ラファエルの提示は、論理としては整っている。

いずれ王都の私邸で彼女と暮らすことも考えていた。


けれど——


(守るための選択が、彼女を縛るものになってはいけない)


胸奥に渦巻く迷いが、夕陽に照らされてかすかに揺れた。


ラファエルは締めくくるように言う。


「王都から正式な使者を送る。

 護衛も厚くして、村の負担にもならないよう整えよう。

 あとは……君が決めるだけだよ」


窓の外では朱い陽がゆっくりと沈んでいく。

遠くで鐘の音が鳴り、回廊に長い影が満ちていく。


セレストはその光を受けながら、静かに思う。


──彼女を、どう守るか。

──そして、どこへ連れていくべきか。


沈黙が一拍、二拍。


やがて——


迷いの奥に、ひとつだけ確かな想いが残った。


「……感謝いたします、兄上」


深く頭を下げ、静かに扉へ向かう。

扉が閉まり、足音が夕闇へ消えていった。



 ◇ ◇ ◇



残されたのは、夕陽の朱と王城特有の静謐だけだった。


ラファエルはふう、と短く息を吐き、窓辺へと視線を移す。

西の空は赤に溶け、尖塔の影が石畳へ伸びる。


(……セス。君は昔から、何も言わずに動くなぁ)


柔らかな笑みの奥に、伏せきれない感情が揺れた。


――幼い頃の弟の姿が、胸奥に静かに蘇る。


生まれつき“膨大すぎる魔力量”を持った少年。

最初は奇跡として讃えられたが、

幼い事故のただ一度で評価は一変した。


「危険だ」

「制御不能だ」

「王家の負の遺産だ」


その囁きは、幼い子どもにはあまりに残酷だった。


人の目を避け、影に隠れるように息を潜めていた小さな背中。

それでも――いつだって優しかった。


泣き言ひとつ漏らさず、

自分を怖がる者たちにも決して怒らず、

ただ周囲を気遣うばかりの少年。


(……どうして君は、そんなにも優しいんだろうね)


ラファエルは理解していた。


脅威なのは、力そのものではなく、

その“優しさ”を利用しようとする者たちだと。


だから守ろうと思った。

弟として、王族として。


そして今。


国一番の魔力量を持つ魔導士。

立場や称号にも興味がなく、

どんな任務も文句ひとつ言わず遂行してきた男。


望ましい栄光さえ、いつも一歩引いてしまう弟。


そんな彼が――


ただ一人の少女を守るために、初めて動き始めている。


(……君が“欲しいもの”を、初めて手にしようとしている)


胸奥が静かに熱を帯びる。


たとえ世界が彼を脅威と呼ぼうとも。

たとえ国が騒ごうとも。


弟が誰かを守ろうとしているのなら――


(……僕は、迷わず味方になるよ。セス)


瑠璃の瞳に宿った決意は、

夕闇に沈みゆく王城の光と交差し、静かに深まっていった。




【 次回予告 】


夕陽に沈む王城で、

兄はすべてを悟っていた。


弟が初めて手にしようとするもの。

そして――それを守る覚悟を。


静謐王子の背後で動き出す、

もうひとつの知性。


次話、第25話「氷晶の参謀」



 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


物語の合間を綴った短編も、あわせて公開しています。

本編では語りきれなかった、ささやかな時間や想いを収めたものです。

よろしければ、そちらもお楽しみください。


▼短編集はこちら

『【短編集】亡国の姫は、隣国の静謐王子に甘やかされる』

https://ncode.syosetu.com/n4783lg/


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


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