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亡国の姫は、隣国の静謐王子に甘やかされる  作者: Tsuyuri -露-


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第23話 静謐を破る刻印


執務室――。


午後の陽光がゆるやかに窓辺を滑り、

白い帳のように、室内の静けさへ溶け込んでいく。


長机の上には、幾重にも積み上げられた報告書。

万年筆が走る細い音と、

紙をめくる、かすかな布擦れだけが空気を揺らしていた。


セレストは淡い影を瞳に帯びたまま、

途切れることなく文面へ視線を走らせている。


疲れを口にすることはない。

けれど、その横顔には、

連日の王都往復で積み重なったものが、

静かな陰りとなって滲んでいた。


隣ではアウルが無駄のない手つきで資料を整え、

要点にだけ、セレストが静かに言葉を添える。


「……この件は、後日軍務局に再確認を。

 数値に誤差が生じている」


「承知しました」


室内の空気は静謐そのもの。

外の風さえ届かないほど、張り詰めていた。


――その静謐を破るように。


机の端に置かれた黒曜石の台座が、ふいに淡い光を帯びる。


「……?」


光は水面のように揺らめき、

中心から、淡い炎の紋章を刻んだ羊皮紙が現れた。


第一王子――ラファエルの刻印。


「……兄上」


低く呟いた声には、わずかな警戒が滲む。


手に取った瞬間、

羊皮紙の縁が、かすかに熱を帯びた。


文面に目を通したのは、ほんの僅かな時間。

けれど読み終えた途端、

羊皮紙は炎の粉となって、静かに溶け落ちる。


室内に残ったのは、苦い沈黙だけ。


「……至急、王都へ」


その言葉は、誰に向けたものでもなく、

吐息とともに、静かに零れ落ちた。


アウルが、控えめに問いを挟む。


「……理由は」


「明記はされていなかった。

 けれど……察しはつくよ」


セレストの瞳に、鋭い光が宿る。


「帝国の動き……

 それか――イェナのことだろうね」


淡々とした声音の奥で、

張り詰めた緊張が、静かに脈打っていた。


近頃、王都からの呼び出しは明らかに増えている。

帝国の不穏な気配。

そして――


(イェナを匿ってから起きている、“変化”も)


干ばつ気味だった畑は潤い、

長く体調を崩していた者たちは回復し、

そして何より――

花畑を生んだ、祝福の波。


村にとっては疑いようのない恵みでも、

王都へ上がる報告としては、

それはただの「異変」でしかない。


ラファエルが、

この流れに気づかないはずがなかった。


「……悠長にはしていられないね」


静かな決意とともに、セレストは椅子を押して立ち上がる。

肩に外套をかけ――その影が、窓辺の光に長く伸びた。


「僕がいない間、イェナのことを頼む。

 何かあれば――迷わず知らせて」


「承知しました」


短い返答に込められた忠誠の色を背に受けながら、

セレストは机の上に視線を落とした。


帝国の報告書。

ラファエルからの呼び出し。

そして、庭に刻まれた祝福の変化。


三つの影が――同時に彼の肩へ重くのしかかる。


書簡を置いた指先に、じわりと重さが滲む。

まるで帝国と王都の影が、そのまま指に絡みつくようだった。


「……君の居場所を、なんとしても守らないとね」


親友・アズベルトとの約束として。

そして――自分の想いとして。


窓辺のカーテンが風に揺れ、

銀の髪がひと筋だけ光に透けて舞った。



◇ ◇ ◇



涼やかで、どこか慎重な声が届いた。


「イェナ? 少し、いいかな」


その呼びかけに、

イエレナは手を止め、ゆっくりと振り返る。


そこには――

朝とはまるで違う気配を纏った、セレストの姿があった。


王家の正式な礼装。

深い瑠璃の布地に銀の刺繍が淡く光り、

整えられた白銀の髪が、風に揺れて肩を流れている。


〈静謐の王子〉――

その名を、そのまま形にしたような佇まいだった。


思わず、息をのむ。


けれど。

彼女を見つめるその眼差しだけは、

いつものセスのまま――

柔らかく、優しく、揺れていた。


「……セス、どうしたの?」


緊張と戸惑いが滲んだ声で問いかけると、

セレストは歩み寄り、衣の襟を軽く整えながら、

小さく息をついた。


「……あまり時間がないんだ」


そう言いながら、

彼はイエレナの頬についた小さな土汚れに気づき、

指先でそっと拭い取る。


頬に触れた指が、そのまま滑るように動いて、

柔らかな髪を耳へとかけた。


急ぎのはずなのに、

その仕草だけは、驚くほど丁寧で――

胸の奥が、きゅっと温かくなる。


「急用で、これから王都へ行かなきゃいけない。

 僕がいない間……風邪、ひかないようにね?」


「……うん。……いつ、帰るの?」


ふと浮かんだ不安が、そのまま声になる。

言ってしまってから、

イエレナは自分の弱さに少しだけ驚いた。


セレストは、その問いにほんの短い沈黙を返した。


「……今回は、どうかな。

 数日で戻れればいいんだけど」


彼女の表情を確かめるように、少しだけ首を傾けて――


「寂しい?」


不意打ちのような問いに、

イエレナの頬が一気に熱を帯びる。


視線を落とし、

小さく息を吸ってから、正直に答えた。


「……少し」


その一言に、

セレストは小さく息を吐き、

困ったように、でもどこか嬉しそうに微笑む。


ミスティ・ブロンドの髪に触れていた手が、

ゆっくりと持ち上がり、

指先が、慈しむようにそれをすくい取る。


指の間をすべる柔らかな感触を、

確かめるように、名残を惜しむように。


そして――

そのまま、そっと髪へ口づけた。


柔らかくて、温かくて、

触れるだけの、静かなキス。


思わず、イエレナは息を止める。


顔を上げると、

瑠璃色の瞳と、すぐ近くで視線が重なった。


鼓動が、はっきりと速くなる。


「……必ず戻るよ」


低く、穏やかな声。


「だから、それまで――待ってて」


約束の言葉は、

午後の風に溶けるように、静かに胸へ染み込んだ。


「……うん」


小さく頷くと、

セレストは外套を翻し、

背後に控える二人――ギウンとアウルへ視線を向ける。


「……後は頼んだよ」


「「承知しました」」


同時に背筋を正す二人の前で、

セレストはそっと、王族指輪へ指先を添えた。


その、ほんの一拍後――


瑠璃色の光が、静かに空気を震わせた。


淡い輝きが風に溶けながら、

セレストの足元をなぞる。

それは儚さではなく、

重みを宿した――

確かに“世界を動かす力”の光。


足元から、波紋がゆっくりと広がっていく。

落ちる影でさえ青く染め、

空間そのものの輪郭を、静かに揺らしていく。


――転移術式。


大地に刻まれた文様が、

ひとつ、またひとつと脈動する。


幾何学の線は重なり合い、

花弁のような軌跡を描きながら――

やがて、瑠璃色の魔法の花が

ゆっくりと咲き誇った。


その光は、地面にも、風にも、空気にも絡みつき、

菜園全体を、

“静謐”という名の緊張で

静かに包み込んでいく。


ひらり、と風が巻き上がる。


銀髪が光を受けてふわりと浮き、

外套は、風で織られた羽衣のように広がった。


その姿は――

もう、彼女の知る「セス」ではなかった。


王家に連なる者だけが持つ、

〈静謐の王子〉としての威厳。

そして、背負わされた覚悟そのもの。


けれど。


イエレナへ向けて残した微笑みだけは、変わらなかった。

ほんの一瞬。

誰よりも優しく、確かな温度を宿したもの。


瑠璃の光が、ひときわ強く閃き――

風が、吹き抜ける。


その瞬間。


セレストの姿は、

淡い残光だけを残して掻き消えた。


彼が消えたあとも、

瑠璃の光はしばらく風の中に漂い、

静謐な香りだけを残していく。


「……いってらっしゃい、セス」



【 次回予告 】


残されたのは、

瑠璃の残光と「行ってらっしゃい」。


王都で待つのは、

〈陽の王子〉と――避けられない選択。


次話、第24話「陽の王子」



 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


物語の合間を綴った短編も、あわせて公開しています。

本編では語りきれなかった、ささやかな時間や想いを収めたものです。

よろしければ、そちらもお楽しみください。


▼短編集はこちら

『【短編集】亡国の姫は、隣国の静謐王子に甘やかされる』

https://ncode.syosetu.com/n4783lg/


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

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