第21話 祝福の残響~後編~
夕餉の席。
久しぶりにセレストが同席しているというのに、
イエレナの箸は、ほとんど動かなかった。
器の中身は、ほとんど減っていない。
それに気づいても、どうすることもできず、
ただ、視線だけが揺れる。
昼間の光景が、
胸の奥で、ずっとざわついていた。
(……さっきの、あれは……)
庭一面に咲き乱れた花々は、
ほんの一瞬で、光の粒となって消えた。
残ったのは、
夢のような美しさと――
自分でも理解の及ばない、“自分の力”への違和感だけ。
指先に、まだ残っている気がする。
あの時の、あたたかさと、ざわめきが。
「すごかったんだよ! ぶわぁーってね!!」
弾むようなリリュエルの声に、
イエレナの肩が、ぴくりと揺れた。
「ほんとにね!
光がひらひらしてきて、
つぼみが全部、一気に――ぱん!って咲いたんだよ!」
小さな手で身を乗り出し、
食卓の上にまで花が咲くかのように、
大げさな仕草で再現する。
「前よりも、精霊たちと仲良しって感じだった!
すごく綺麗で……
すごく、大きな力だったんだ~!」
その言葉は、無邪気で、まっすぐで。
だからこそ――
イエレナの胸の奥を、静かに締めつけた。
(……大きな、力)
その響きを、
まだ、どう受け止めていいのか分からないまま。
イエレナは、そっと箸を置き、
俯いたまま、小さく息をついた。
胸の奥に沈んでいくものから、
目を逸らすように。
リリュエルの黄金の瞳はきらきらと輝き、
まるで――
あの光景を、もう一度見たいと願っているかのようだった。
「セス、見れなくて残念だったね!」
無邪気な声。
悪意など、どこにもない。
イエレナは、曖昧に微笑んだ。
けれど――
その言葉が、胸の奥で小さく引っかかった。
自分にとって祝福は、
“生まれつき備わっていたもの”ではある。
息をするように精霊の気配を感じ、
声をかけられれば応え、
気まぐれに離れていくなら、それを追わない。
それは力というより、
関係だった。
特別な才能だと意識したことも、
誇るものだと思ったこともない。
だって――
祝福は、自分ひとりで完結するものではないから。
応えてくれるかどうかは、
いつだって精霊次第だ。
どれほど願っても、
どれほど想っても、
彼らが首を横に振れば、それで終わる。
けれど。
今日のあの光景は、
まるで“自分の内側から溢れ出た力”のように見えた。
誰かが望んだからでも、
精霊が遊び心で応えたからでもなく、
自分の存在そのものに、世界が反応したかのように。
その認識が、
胸の奥に、静かな違和感を落とす。
(……私の、力……?)
そう言われるほど、
自分には実感がなかった。
自分だけが、
その“答え”を持っていない。
周囲が見ているものと、
自分が感じているものの間に、
少しずつ、確かな溝が生まれていく。
「そうだね。僕も、観てみたかったな」
セレストは穏やかに微笑みながら、
何事もなかったかのように食事を続けている。
けれど――
その場の空気には、どこか張りつめたものが漂っていた。
アウルも、ギウンも、
皿に視線を落としたまま、珍しく言葉を挟まない。
誰も、話題を広げようとしない。
まるで、同じ“重さ”を、黙って共有しているかのように。
やがて、セレストが静かに箸を置いた。
「……ごちそうさま」
その柔らかな一言が、
広間に、かすかに響く。
椅子から立ち上がると、
彼は一瞬だけ、アウルへ視線を送った。
瑠璃色の瞳が、
ほんの一瞬――鋭く光る。
「……アウル。この後、報告を」
低く落とされた声に、
アウルの背筋が、すっと伸びた。
「承知しました」
短い返事。
けれど、その声音には、明らかな緊張が滲んでいる。
イエレナは、二人のやり取りを見つめながら、
意味を掴めずに、ただ瞬きをする。
――庭の花畑と、同じだ。
――自分だけが、分からない。
その事実が、
胸の奥で、ひどく冷たく響いていた。
◇ ◇ ◇
【セレストside】
食卓を離れ、
静かな廊下を抜けて私室へ戻ると、
セレストはそのまま、窓辺へ歩み寄った。
春の名残を抱えた風が、
薄い帳をやわらかに揺らす。
けれど――
その風には、ひどく微細な“異質”が混ざっていた。
セレストは指先を伸ばし、
空気に滲むわずかな揺らぎを、なぞるように確かめる。
目には見えない。
音も、もうない。
それでも――
「……まだ、残っている」
低く零れた声が、室内に溶けた。
庭に満ちていたのは、
昼間、溢れ出した祝福の光の――残響。
花の姿はすでに消え、
土も、葉も、元の静けさを取り戻している。
それなのに、
香りの名残と、精霊たちのかすかなさざめきだけが、
空気の奥をゆっくりと流れていた。
優しい。
穏やかで、害意など微塵もない。
けれど――
その奥底に広がる力は、あまりにも大きい。
柔らかな光の皮に包まれているが、
その下で脈打つ“制御されていない鼓動”は、
隠しきれるものではなかった。
(……思っていたより、ずっと早い)
胸の奥に、ひやりとした緊張が走る。
まだ、準備は整っていない。
少なくとも、彼女自身が向き合う覚悟を持つまでは。
イェナ自身は、まだ――
その力を、理解しきれていないはずだ。
そのとき。
扉の外から、控えめな気配が近づいた。
「……どうぞ」
静かに促すと、
アウルが入室する。
一礼を済ませると、
余分な言葉を挟まず、淡々と報告を始めた。
「本日、姫様の祝福が顕れました。
……庭一面に花が咲くほどに」
事実だけを選び取った声音。
「精霊の暴走とは異なりますが、
制御されている状態とは言い難いかと」
その報告に、
セレストのまつげが、ほんのわずかに伏せられる。
――やはり。
確信よりも先に浮かんだのは、
食卓でのイエレナの表情だった。
戸惑いを隠そうとして、
それでも隠しきれなかった、あの不安げな視線。
「……イェナ自身は?」
声は低く、静かだった。
問いかけは短いのに、
その響きには、叱責でも警戒でもない――
ただ、彼女を気遣う温度だけが滲んでいる。
力そのものよりも、
その力に戸惑う彼女を、
何より案じているような声音だった。
「……困惑しておりました。
あれが“自身の力”であるという自覚は、まだほとんどないかと」
短い沈黙が落ちた。
セレストは息を吸うことも、吐くこともせず、
ただ一瞬――時を止めたように静止する。
そのわずかな間に、
思考だけが、深く沈んでいった。
(……このまま強まれば、危険なのは外敵だけじゃない)
祝福は、守るための力だ。
だが、未熟なまま膨らめば――
彼女自身を傷つける刃にもなり得る。
その可能性が、
静かな影となって胸の奥に広がる。
やがて、意識を現実へ引き戻し、
セレストは低く問いかけた。
「……誰かの視線に、触れた?」
声には焦りはない。
けれど、守るべき境界線を確かめるような慎重さがあった。
「いいえ。私とギウンのみです」
「そう……」
わずかな安堵が、
言葉にならないまま息の端に滲む。
「なら、他言は無用に」
声は柔らかい。
だがその奥には、王子としての冷静な判断と、
彼女を晒さないという揺るぎない意志が確かに宿っていた。
「承知しました」
アウルの短い返答に、
室内に張り詰めていた緊張が、わずかに形を変える。
やがて扉が閉まり、
部屋には再び、深い静けさが落ちた。
セレストは窓辺へと視線を戻す。
夜気の中には、ほんの微量の祝福の粒子が、まだ名残のように漂っていた。
――あれを、どう導くか。
――王家にも、帝国にも、決して利用させない。
胸の奥に、静かで硬い決意が灯る。
机へ歩み、残されていた書類に目を落とす。
帝国の動向を記した報告書の束。
その中に混じる――第一王子ラファエルからの封書。
封蝋に指先が触れた瞬間、
瑠璃色の瞳に、わずかな鋭さが宿った。
「……タイミングが悪いね」
イエレナの祝福が揺れ始めた、この瞬間に。
帝国の影と、兄からの呼び出し。
どれも、後回しにはできない。
どれも、避けて通れるものではない。
深く息を吐く。
その呼吸音だけが、静寂の中に溶けていった。
ふたたび窓へ視線をやると、
夜の空気に残る淡い光の痕跡が、まだかすかに揺れている。
冷たい文字で埋め尽くされた報告書とは、あまりにも対照的な――
けれど、彼にとっては何より重い光。
セレストは椅子に腰を下ろし、静かに呟いた。
「……守るよ。
だから――全部に、向き合わないとね」
ランプの灯りが、その横顔を照らす。
揺れる光と影の狭間で、
決意だけが、揺らぐことなく静かに燃えていた。
【 次回予告 】
重い決意を胸に抱いたまま、
すれ違う時間の中で――
それでも、安らぎはそっと隣にあった。
次話、第22話「午後の微睡み」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
物語の合間を綴った短編も、あわせて公開しています。
本編では語りきれなかった、ささやかな時間や想いを収めたものです。
よろしければ、そちらもお楽しみください。
▼短編集はこちら
『【短編集】亡国の姫は、隣国の静謐王子に甘やかされる』
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