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亡国の姫は、隣国の静謐王子に甘やかされる  作者: Tsuyuri -露-


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第17話 寄り添う手、揺れる心


明け方――。


寝室の扉が、きい、とわずかな音を立てて開いた。

入り込んだ朝の冷気をすくい上げるように、ギウンはそっと中を覗く。


思わず、その場で息を飲んだ。


窓辺から差し込む、淡い青白い光。

それに照らされて浮かび上がったのは――

ベッドサイドの椅子に腰掛けた、セレストの横顔だった。


長衣の裾が床に流れ、

片肘を肘掛けに預けたその姿は、静の彫像のようで。


そして、もう片方の手は――

眠るイエレナの細い手を、包むように握っている。


そこに込められているのは力ではなく、

“離れたくない”と語る、ごく静かな温度。


夜のあいだ一度も席を離れなかったことが、

その姿だけで伝わってきた。


「……セレスト様」


低く呼ぶと、セレストはゆっくりと顔を上げる。

朝の光に照らされた瞳には、

徹夜の疲れと――誰より深い優しさが沈んでいた。


ギウンは一歩近づき、静かに告げる。


「後は俺が見ています。……休まれてください」


促しの言葉に、セレストは小さく微笑む。

眠りを妨げぬよう、声を落として。


「……離すのが惜しくてね。

 イェナが目を覚ましたら、お願いするよ」


揺らぎのない優しさ。

その一言に、ギウンの胸の奥が静かに温かくなる。


けれど――

彼は、ふと神妙な表情で口を開いた。


「……もう少し、ご自身に正直でもよろしいのでは?」


小さく、けれど核心を突く言葉だった。


セレストはすぐには答えず、

ただ、ひとつだけ息を吐く。


冗談めいた笑みを浮かべながらも、

その奥に滲むものを、隠しきれずに。


「そうしたら……」


ほんのわずか、言葉を切ってから――


「歯止めが、効かなくなってしまうね」


冗談めいてはいるが、

そこに滲んだのは、笑いきれない本音だった。


ギウンはその横顔を見て、

何も言わずに小さく肩をすくめる。


「……せめてアウルの前では気を付けてください」


その言葉に、セレストは小さく笑った。


けれど、すぐに笑みは消え、

視線が、眠るイエレナへと落ちる。


しばしの沈黙。


やがて、囁くように――


「……イェナの嫌がることは、できないよ」


その声は、

夜明け前の空気に溶けるほど静かで。


差し込む朝の光が、

握られたままの手と、伏せた睫毛を淡く照らす。


深い誠実さと、抑え込まれた想いが、

言葉にならないまま、そこに在った。



 ◇ ◇ ◇



朝の光が差し込む頃――。


薄桃色の光がレース越しに差し込み、

静かな寝室をやわらかく照らし出す。


その光にまぶたを揺らし、

イエレナはゆっくりと目を開けた。


ぼんやりとした視界の中で、

無意識に探してしまうのは――

すぐ傍に感じていたはずの、あの気配。


――けれど。


「……セスが、いない……」


ぽつりと零れた声は、まだ眠気を含んでいるのに、

どこか震えていて。

胸の奥に沈んだ小さな不安が、そのまま音になったようだった。


その一言に、

部屋の隅で控えていたギウンとアウルは同時に肩を跳ねさせる。


一瞬だけ視線を交わす。

「どうします?」

「俺が言うか?」

無言のやり取りが、ほんの刹那、交錯した。


そして、慌てたように口を開く。


「き、騎士団の様子を見に行ってるだけですよ!」


「そ、そうです!すぐ戻られますから!」


声は妙に明るく、

揃って、どこか裏返っていた。


けれどイエレナは、

ふるりと睫毛を伏せ、胸元の布団をぎゅっと握りしめる。


白い指先が、かすかに震えていた。


「……アズみたいに、

 セスも……いなくなるのかな」


その呟きが落ちた瞬間――

部屋の空気が、ぴたりと止まる。


ギウンもアウルも、言葉を失った。


胸の奥を、鋭く刺されるような痛み。

軽い否定では、到底触れられない――

深く、長く、今も癒えきらない傷だった。


イエレナの瞳に宿るのは、

もう二度と、誰も失いたくないという怯え。


それはただの不安ではない。

あの日から、彼女の胸に刻み込まれた

消えることのない恐怖、そのものだった。


抱きしめて、

「大丈夫だ」と言ってやりたい。


だが――

下手な慰めは、

その傷に触れるどころか、

さらに深く刃を押し込んでしまう。


だから二人は、動けなかった。


胸の奥が軋むのを感じながら、

ただ唇を結び、

小さく震えるその肩を前に、立ち尽くすしかなかった。



◇ ◇ ◇



その夜。


深く沈んだ静けさの中、

寝室の扉が、わずかに軋んだ。


揺れる蝋燭の光に照らされながら、

セレストは足音ひとつ立てず、

眠るイエレナの枕元へと近づく。


そっと膝をつき、

彼女の手に、自分の手を重ねた。


淡い光が灯り、

乱れていた祝福の揺らぎが、ゆっくりと整っていく。

呼吸も、胸の上下も、次第に穏やかさを取り戻していった。


――そのとき。


かすかな布擦れとともに、

力のない指先が伸び、

彼の上衣の裾を、きゅっと掴む。


「……セス……

 ここにいて……

 どこにも……いかないで……」


いつから起きていたのか。

熱に潤んだ瞳が、泣き出しそうに揺れながら、彼を映している。


その瞬間、

祝福の揺らぎが再び大きく波打った。


「……どこにも行かないよ」


息を飲み、

苦しいほどの優しさで囁く。


掴まれた裾に手を添え、

その小さな手を包み込むように、静かに握り返した。


イエレナは、安心したように微笑む。

幼く、無防備で――

胸が軋むほど、愛おしい笑顔だった。


セレストの呼吸は、知らず浅くなる。

痛くて、温かくて、

どうしようもなく、心を掴まれていた。


やがて、彼女の瞼が落ち、

静かな寝息が戻ってくる。


手だけは、離さないまま。


セレストはしばらくその寝顔を見つめ、

吐息とも、諦めともつかない、微かな音を漏らした。


「……本当に、君は……」


距離を置こうと決めたはずだった。

けれど、その決意は、

こうして簡単に、崩れてしまう。


ふと、脳裏をよぎるギウンの声。


『セレスト様は、もう少しご自身に正直でもよろしいのでは?』


正直に――

なっても、いいのだろうか。


胸の奥で、

愛しさと切なさが溶け合い、

苦しいほどに満ちていく。


その夜もまた、

彼は誰より近くで、

イエレナに寄り添い続けていた。



物語の合間を綴った短編もございます。

よろしければ、そちらもお楽しみください。


▼短編集はこちら

『【短編集】亡国の姫は、隣国の静謐王子に甘やかされる』

https://ncode.syosetu.com/n4783lg/


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