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亡国の姫は、隣国の静謐王子に甘やかされる  作者: Tsuyuri -露-


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第16話 眠れぬ守り手


宮廷医の診察が終わると、

張り詰めていた部屋の空気が、ようやくゆるやかにほどけた。


「疲労による免疫低下ですね。精神的な負担も大きいのでしょう」


穏やかな声でそう告げながら、

医師は一瞬、セレストへと視線を向ける。


セレストはわずかに表情を揺らし、

何も言えないまま、静かに目を伏せた。


「……心身ともに休めば、回復するでしょう」


その言葉に、

小さく、けれど確かな安堵が落ちる。


机の上に置かれたのは、

簡素な紙包みだった。


開かれた中から現れたのは、

きな粉のようにさらさらとした、淡い色の粉薬。


「……粉薬か」


思わず、ギウンが眉をひそめる。


アウルと視線を交わし、

二人同時に、静かに息を吐いた。


「姫さん、子どもの頃から粉薬ダメだったよな……」


「申し訳ありません。今、手元にあるのがこちらのみでして」


宮廷医はそう言って、深々と頭を下げる。


最初の一包は、

イエレナ自身もまだ意識が朧だったこともあり、

差し出された水と一緒に、どうにか口に含んだ。


「……ん……」


顔をきゅっと歪めながらも、

喉を鳴らし、なんとか飲みきる。


「……飲めた」


その様子を見て、

ギウンとアウルがそろって肩の力を抜いた。


「お、おお……思ったより素直に……」


安堵の空気が、ほんの一瞬、場を満たす。


――けれど。


それは、

あくまで“最初の一度”だけだった。


二度目、三度目と粉薬の時間が来るたび、

イエレナは頑なに首を振るようになる。


「……飲みたくない」


布団に半分潜り込み、

くぐもった声で、はっきりと拒否。


「姫様、飲まないと治りませんよ」


アウルが必死に諭すと、


「……やだ……」


今度は涙目。

弱々しく首を横に振るその様子は、

どう見ても、体調を崩した子どもそのものだった。


「だって……ほら……

 粉が舌に残るの……いやだ……」


声は震え、今にも泣き出しそうで、

布団をぎゅうっと抱きしめたまま離さない。


「イェナ赤ちゃんみたい!かわいい~!」


リリュエルが頭の上をくるくると飛びながら、

楽しそうに笑い転げる。


「……全然マシじゃなかったな」


ギウンが額を押さえ、


「むしろ、悪化してる……」


アウルも深く溜息をついた。


それでも二人は諦めず、

どうにか飲ませようと試行錯誤を始める。


水に混ぜ、

蜂蜜を一滴垂らし、

ゼリーの甘味にこっそり混ぜ――


ありとあらゆる手段を試した末、

最後にはスプーンですくって、そっと口元へ差し出した。


だが、イエレナは布団をぎゅうっと握りしめたまま、

子どものように、小さく繰り返す。


「……いやだ……」


涙目で首を振られるたび、

二人の肩から、目に見えて力が抜けていく。


どうにかすべてを飲ませ終えた頃には、

粉薬との攻防を戦い抜いた騎士二人が、

揃って、ぐったりとその場に座り込んでいた。


「……ここまでとは。想定外だな」


ギウンがぼそりと呟き、


「同感です。次は作戦会議が必要ですね……」


アウルが、遠い目をする。


その頭上で、

リリュエルだけが相変わらずくるくると飛び回り、


「イェナ、かわいかった~!」


と、のんきに笑っていた。



 ◇ ◇ ◇



夜更け。

静寂を裂くように、蝋燭の灯りがゆらりと揺れた。


セレストはそっと足を踏み入れる。

扉が閉じると同時に、外の冷気がふわりと引き、薄明るい寝室に静かな温度が戻った。


「……」


枕元では、イエレナがすやすやと眠っている。

つい先ほどまで、騎士たちが「粉薬、難航中です」と半泣きで訴えていたとは思えないほど、穏やかな寝息だった。


その安らかな表情に、セレストは胸の奥でふっと力が抜ける。

ようやく――少しだけ安心が落ちる。


けれど、枕元に膝をついた瞬間、その小さな安堵は別の感情に飲み込まれた。


(……まだ、乱れてる)


彼女の身体の奥で、祝福と魔力が不安定に脈打っているのがわかる。

外から見れば静かでも、内側はまだ揺れている。

触れると壊れてしまいそうなほど、繊細な揺らぎ。


セレストは迷いなく手を伸ばし、そっとイエレナの手の上に自分の手を重ねた。

静かに魔力を送り込む。


淡い光がじんわりと広がり、イエレナの乱れた呼吸が、少しずつ落ち着いていく。


その時――


ぽたり。


イエレナの瞳から、涙が零れ落ちた。


「……イェナ?」


驚きで声が低く揺れた。

呼びかけても、イエレナは眠りと覚醒の隙間をさまようように小さく身じろぎするだけ。


頬を伝う涙は次第に数を増し、かすかなすすり泣きへ変わっていく。


(……夢、見てるのか)


胸の奥が、ぎゅっと締めつけられた。

耐えきれず、そっと身体を屈め、その涙を指先でぬぐう。


やがて震える瞼がゆっくりと開き――

焦点がぼんやりと揺れる瞳が、彼を見つけた。


その瞬間、泣き声が割れる。


「……セス……」


掠れた、頼りない声。

それでも、必死に彼を呼んでいた。


伸ばされた手が、セレストの指をぎゅっと掴む。

熱で弱っているはずなのに、驚くほど強く。


離さないで、と言われたような気がした。


セレストはすぐにそばへ寄り、囁くように問いかける。


「……どこか、痛む?」


低い囁きが、薄闇の寝室に溶ける。

その声に触れた瞬間、イエレナの閉じかけた睫毛がふるりと震えた。


ゆっくりと瞼が上がる。

ぼんやりと揺れる視界の向こうで、彼女の表情がぐしゃりと歪む。


次の瞬間――

ぽたり、と一粒だけ涙が落ちた。


蝋燭の灯りがその雫を受け止め、淡くきらめく。

それだけで、胸が締めつけられるには十分だった。


「……イェナ」


その名は、触れればほどけてしまいそうなほどやわらかく。

彼はそっと身を屈め、指先で頬の涙をぬぐう。


冷たくも優しいその指の感触に、イエレナはかすかに息を震わせた。


「……大丈夫?」


囁くような声。

その声色があまりに悲しげで、イエレナは本能のように頷いた。


「……うん……」


添えられた手へ、ゆっくりと自ら頬を寄せる。

その動きは頼るようで、縋るようで――

触れている温度だけが、彼女を現実に繋ぎとめているようだった。


震える指先がそっと動き、

セレストの手へ、小さく、自分の手を重ねる。


そのまま目を閉じると、呼吸が少しずつ深く、落ち着いていく。

寝息が静かに重なるたび、蝋燭の炎がゆっくり揺れた。


しかし、頬の赤みは消えない。

熱を帯びた体温が、掌越しにじんわり伝わってくる。


その小さな手は――

まるで「行かないで」と言うように、離れることを許してくれなかった。


胸の奥がきゅうっと痛む。

それと同時に、どうしようもないほど愛おしさが押し寄せる。


(……昨日のは軽率だった。

 それでも――君に拒まれなかったことが、こんなにも嬉しいなんて)


自嘲と安堵が溶け合い、喉の奥でひどく苦い呼吸が漏れる。


もう、自分の気持ちを誤魔化す余地なんて――どこにもない。


けれど同時に、彼女が涙を流し、苦しむ姿は、

誰よりも胸を裂くものだった。


セレストは、そっと彼女の額にかかった髪を指で撫で下ろした。

触れた髪は熱を帯び、指先に切なさをまとわせる。


「……君の苦しみを、少しでも代われたらいいのに」


堪えるように落とされた掠れ声。

その声には、どうにもならない願いと、

彼女への深い、深い愛しさが滲んでいた。




物語の合間を綴った短編もございます。

よろしければ、そちらもお楽しみください。


▼短編集はこちら

『【短編集】亡国の姫は、隣国の静謐王子に甘やかされる』

https://ncode.syosetu.com/n4783lg/


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