第92話
「2011年11月27日
飛鳥に「失くしたのなら、死に物狂いで探して、何としてでも私に返してよね」と言われた日は、結局それ以外に私は飛鳥と一度も言葉を交わさなかった。飛鳥も真由美も露骨に私のことを避けていたし、私自身も頭の中がひどく混乱していて、飛鳥にどのような言葉をかければいいのか分からなかった。
その日の帰り、いつもは三人で歩いている学校から駅までの通学路を、私は一人で歩いていた。
この道って、こんなにも長かったのか……。
いつもは短く感じる道のりも、一人で歩くと、やけに長く感じた。永遠に駅にはたどり着けないのではないのか。そんな気すらした。足は重く、私はのろのろと歩いていた。後ろから、下校するK中学の生徒たちに次から次に抜かれていく。
私は思わず足を止めた。
彼らの中に、飛鳥と真由美の背中を見つけたのだ。
だけど二人とも、まるで私という人間なんて全く知らないかのように、いや、そもそも私という人間なんて全く存在しないかのように、私の横をすり抜けていった。私は道の真ん中で立ち尽くしながら、呆然と二人の背中を見つめていた。その背中が徐々に遠ざかっていく。そしてゆっくりと滲んでいく。
そのときになって初めて、私は自分が泣いていることに気づいた。
家に帰ると私は自分の部屋に閉じこもり、ベッドの上で布団を頭から被りながら、「どうしよう、どうしよう、どうしよう……」と心の中でつぶやき続けていた。
何とかして、ノートを失くしたのは私ではなくて真由美だと飛鳥に分かってもらうしかない。だけど、どうすれば飛鳥は私の言葉を信じてくれるのだろうか。教室で飛鳥が「何としてでも私に返してよね」と言ったときに私に見せた冷酷な目を思い出すと、どんなに言葉を重ねても、私の言葉はもう飛鳥には届かない気がした。
だけど、飛鳥に見捨てられたら、もうクラスの中に私のいる場所が無くなってしまう……。
私は、そのことを心の底から恐れていた。
そうなるともう、ただ飛鳥に謝るしか無かった。
私が失くしたわけではなかったけど、飛鳥の心を少しでも和らげるために、「ノートを失くしてしまって、本当にごめんなさい」と謝るのだ。そして、「もう一度、以前のように私と友だちになってください」と頭を下げるのだ。一度で許してくれないのなら、二度。二度で駄目なら三度……。何度も何度も頭を下げ、許しを請い続けるのだ。
そもそも飛鳥に直接ノートを返さずに、真由美に渡してしまった私もいけなかったのだ。
明日、学校に着いたら朝一で飛鳥の元に行って、飛鳥に謝ろう……。
私はそのように心の中で誓いながら、浅い眠りに落ちていった。
次の日の朝、私は始業時間ぎりぎりに教室に入った。
飛鳥と真由美はすでに教室の中にいて、自分たちの席のそばで楽しそうにおしゃべりをしていた。いつもなら二人に「おはよう」と挨拶をしてから、カバンを置きに窓側の自分の席に向かうのだけど、その日は二人に挨拶することを躊躇してしまい、そのまま自分の席に向かった。二人は私のことを見ることすらしなかった。
カバンを机の横に置き、椅子に座る。廊下側を見ると、相変わらず飛鳥と真由美は楽しそうに話していた。
朝一に飛鳥に謝る。
前日の夜、私は自分にそう誓っていたはずなのに、私の足はなかなか立ち上がってくれなかった。
もし、飛鳥が私の謝罪を受入れてくれず、昨日私に向けた冷たい目で再び私を見てきたらどうしよう……。
その光景をどうしても想像してしまう。想像するだけで、怖くて怖くてたまらなかった。飛鳥に見捨てられた私。そんな自分の姿が頭に浮かんできて、私の足をなおさら凍りつかせた。
だけど、今ここで私が飛鳥に謝らなければ、その想像の中の未来が、現実の未来になってしまうのだ。
私は勇気を振り絞って立ち上がった。
机の間をすり抜けて、飛鳥と真由美に近づく。
「ねぇ、飛鳥……」
その声は、ひどく掠れていた。
私が言葉をかけると二人は会話を止め、初めて私の方を見た。飛鳥の表情は怖いくらいに無表情だった。そして飛鳥の口から、次のような言葉がこぼれ落ちた。
「あなた、誰? 知らない人が、私に話しかけてこないでよ」
私は一瞬、自分が何を言われたのか分からなかった。思考と感情が、飛鳥の言葉に全く追いついていなかった。ただ呆然と飛鳥の無表情の顔を見つめることしかできなかった。
傍らに立ちつくす私を無視するように、飛鳥と真由美はおしゃべりの続きを始める。
「昨日の『僕の生きる道』って、見た?」
「見たよ……。主人公の中村先生が可哀想すぎて、泣きそうになっちゃった」
「ほんと、そうだよね。私なんて、実際に泣いたもん……」
私は、担任の佐藤先生が教室に入ってくるまで、ただ黙って二人を見ていた。二人が立っている世界と、私が立っている世界。その二つの世界は物理的には一メートルも離れていなかったのだけど、私には何万光年も遠くの世界のようだった。二人がいる世界に私もいたはずなのに、その世界に私はいなかった。
その日以来、私は何度も飛鳥に謝ろうとした。
だけど、飛鳥は私の言葉を全て無視した。私の言葉を聞こうとはしてくれなかった。
しばらくすると、飛鳥と真由美のグループに同じクラスメートの井上弥生が加わり、元の三人に戻った。
もう、私が戻る場所は無くなっていた。」




