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いつか、どこかで君と出会った  作者: 鷺岡 拳太郎
第19章

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第88話

 

 入学式の日……。

 急に由貴の記憶はぼやけていく。

 イメージの一端でもいいから入学式のことを思い出そうとしても、穴だらけのコップで水を掬おうとするかのように何も思い出すことができない。中学の入学式以降の記憶が自分の頭の中からすっぽりと抜けて落ちている。自分に「入学式」という場面があったのだということすら確信を持てなかった。

「駄目だ……。思い出せない……」

 これ以上考えていても、自分の頭の中からは何も手がかりは見つかりそうにもなかった。由貴は思い出すことを諦めて、椅子から立ち上がる。そして再び、かつての自分の部屋を見回した。次に目に止まったのはベッドだった。

 ごく普通のベッドだ。木製の外枠の上に、マットレスと布団が載っている。由貴が高校を卒業してからこのベッドを使う者はいなくなっていた。長い期間誰にも使われていないせいで、掛け布団の上には薄っすらと埃が被っていた。

 由貴はベッドの横に歩み寄り、膝を曲げてかがみ込む。ベッドの下を覗きこむが、そこには何も置かれていない。次に、念のため布団を一枚ずつめくっていく。掛け布団、毛布、敷布団。やはりノートの類のものは隠されていなかった。まさか無いだろうと思いながらも、敷布団の下のマットレスもめくってみるが、そこには小さい頃の由貴が付けたのだろう、小さなシミがあるだけで、他には何も無かった。

「ここでもないか……」

 由貴はベッドを探すのを諦め、次に部屋の隅に置かれた洋服がけに近づく。取っ手を掴み、扉を開ける。中には、高校時代に着ていた制服がかかっていた。黒いセーラー服。懐かしさのあまり、思わずその制服に手を伸ばす。高校時代の自分は、この制服を着て毎日のように高校に通っていた。特に劇的な出来事があったわけではなかったし、外から見たらごく平凡な高校生活だったのだと思う。だけどその「平凡」ということすらも、今の由貴にとっては大切な思い出だった。そのときの思い出が洋服がけの中には詰まっていた。

 ふと、洋服がけの片隅に、制服に隠れるようにして小さな青い箱が置かれているのが目に止まった。

「ここにあったんだ……」

 由貴は思わず呟く。

 中学に進学したときに、祖父母から進学祝いでもらったオルゴールボックス。右手をそっと伸ばし、オルゴールボックスを手に取る。思ったよりも軽かった。もらった当初はもっと重かった記憶があったが、中学に進学してからの長い年月の中で由貴自身も成長し、身体も大きくなったのだろう。

 久しぶりにあの優しい音色が聞きたくなって、蓋を開ける。

 箱の中から静かに音楽が流れ出てくる。

 だけど、その音楽は由貴の耳には入らなかった。由貴の眼は箱の中に釘付けになっていた。箱の中には小さなノートが入っていた。由貴は、オルゴールボックスの中にこのようなノートを入れていた記憶は無かった。

 もしかしたら……。

 由貴の中の直感が、由貴にささやきかけてくる。

 これが、中学時代の私が書いていたという日記なのではないのか……。

 由貴はノートを取り出して、オルゴールの蓋を閉じる。音楽は唐突に止まり、部屋は静けさに覆われる。それでも由貴の耳には、自分の心臓の鼓動がうるさいくらいに聞こえていた。オルゴールボックスを洋服がけの隅に戻し、その扉を閉めることも忘れたまま机に向かう。そして椅子に静かに座り、ノートを机の上に置いた。表紙をじっと見つめる。表紙には何も書かれていない。だけど、長い年月を経たことを示すかのように、表紙の青い色はくすんでいた。このノートは本当に中学時代の自分か書いた日記なのか。それは、目の前のノートを開けばはっきりする。そして、もしこれが日記だとしたら、上原祐樹が書いていたように、世界線が二つに分かれた「きっかけ」が本当にこの中には書かれているのか。それも、このノートを開けば分かることだった。

 由貴はしばらく、中学時代の自分が座っていた椅子に座り、中学時代も机の上に置かれていたであろう一冊のノートを見つめていた。このノートの中には、自分の知らない自分がいる。そんな気がして、ノートを開くことをためらっていた。自分の知らない自分を知るとうことが、どこか怖かった。それでも、今の自分は、このノートを開くしか無いのだということは分かっていた。

 由貴は右手を伸ばして、ノートの表紙を静かに開く。その手は微かに震えている。

 一ページ目には「2011年11月13日」と丁寧な文字で書かれていた。

 見慣れた、自分の文字だった。

 2011年11月13日は、由貴の中学二年生の冬にあたる。

 やはり、中学時代の自分が書いた日記のようだ。

 その冒頭には次のように書かれていた。



「2011年11月13日


 私は今日から日記を書くことにした。

 これは、私の絶望の記録になると思う」


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