第84話
由貴は大学進学と同時に、実家を出た。それ以来、東京で一人暮らしをしている。年末年始とお盆の夏季休暇は、一応は子どもの責務として実家に帰って親に顔を見せるようにしていたが、今年の夏は帰省していない。父の直樹の顔を見るのも久しぶりだったし、母の朋子の顔を見るのも久しぶりだった。
由貴は一人っ子だった。
だけど、そのことで特に寂しいと感じたことはなかった。そもそも由貴は「一人っ子としての自分」しか生きたことがなかったので、「兄弟のいる自分」を想像できなかったということもあった。家には子どもは一人だけなのだということが当たり前だと思っていたし、それ以外の種類の家族が存在するなんて幼い頃の由貴は想像することすらできなかった。
ただ、小学校に進学したときに、クラスメートの中に「兄弟」という存在がいる子どももあるのだということを初めて知った。だけどそのことを羨ましいとも思わなかった。もともと由貴は一人で何かをするのが好きな子どもだったということもあって、自分以外のもう一人の子どもがこの家にいるという状態はどこかで煩わしいもののようにも思えた。
父の直樹はH市に拠点を置くメーカーの技術職だった。
直樹は寡黙で、家でもそれほど会話をするということも無かった。家での会話の中心は母の朋子の役割だった。二人で話し合ってそのような役割になったのか、あるいはいつの間にかそのような役割分担になったのか、由貴は知らない。知ろうともしなかった。直樹は家では一切仕事の話をしなかった。だから今でも由貴は、父がどのような仕事をしているのかを知らなかった。
逆に朋子はおしゃべりで、お節介焼きでよく由貴の世話をした。いいじわるな言い方をしたら、それは「干渉」に近かった。だけど由貴はそのことを特に不満に思ったこともなかったし、怒りを感じたこともなかった。無口な父とおしゃべりな母。どこかでバランスが取れていたのかもしれない。朋子は近くの病院で看護師をしていた。今でもその病院で看護師をしているはずだ。看護師だったので休みは不定期だったし、月に何日かは夜勤で夜に家に居ない日もあった。
一人っ子の由貴と、共働きの両親。
そのような境遇で育ったので、特に経済的な不自由を感じたことはなかった。むしろ、周りの同級生よりは多少は経済的に余裕はあったのだと思う。東京の大学に進学することを決め、そのことを両親に話したときも特に反対はされなかった。大学進学後に由貴が東京で一人暮らしを始めたときも、律儀に仕送りを送ってくれた。そのことは今でも感謝している。
共働きの一人っ子という境遇もあって、小学校から家に帰ると、家には誰も居ないということも多かった。母が夜勤のときなどは、夕食を父と食べるということもあった。そこで父とどのような会話を交わしたのかは覚えていない。無口な父と、孤独好きの子ども。二人の間には会話はなく、黙々と母が用意した夕食を食べていたのかも知れない。あるいは、「学校はどうだ」「楽しいよ」というような、当たり障りのない会話をして、その静寂を何とか埋めていたのかもしれない。
由貴が高校生に上がる頃には、いつの間にか、母が夜勤の日の夕食の準備は由貴がするようになっていた。母が働いて家に居ないのだから、それが当たり前のことだと思い、由貴はその役割を引き受けた。大学に進学して初めて一人暮らしをした際は、その頃の料理経験を活かして自炊をして過ごしていた。多少はそのときの経験も活かされていた。そのことだけは良かったと思っている。とは言え、最近では仕事が忙しくて自炊する時間も気力もなくなっている。出来合いのものを買うか、簡単に調理できるものを買って食べることが多くなっている。それも仕方のないことだと、由貴は諦めていた。
車は家の近くまで来ていた。
「今日、お母さんは?」
「家に居るよ」
「そうなんだ。珍しいね」
「うん。昼食の準備をして待ってるよ」
さすがに、娘が急遽帰省するということで病院も休みを取ったということもないだろう。たまたま自分の帰省と母の休日が重なったのかもしれない。そのようなことを頭の片隅で考えているうちに、車は実家に到着し、直樹は慣れた手つきで車を実家の前の車庫に駐車した。
「ただいま」と言いながら、玄関を開ける。
靴を脱いでいると、朋子が手拭きで手を拭きながら玄関にやってきた。




