第83話
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「まもなくH駅に到着します。お降りのお客様はお忘れ物なさらないようにご注意下さい」
新幹線の車内にアナウンスが流れる。
窓の外を流れていく街並はゆっくりとそのスピードを下げていく。由貴は立ち上がり、上の網棚に乗せていた小さなバッグを手にとって降車口に向かった。降車口には数人の乗客が並んでいた。家族連れのようだ。若い両親に、幼い娘を一人連れている。土曜日を使って、近くの親戚の家にでも行くのだろうか。そのようなことを頭の片隅で考えながら、由貴はその三人の後ろに並ぶ。土曜日の新幹線の車内は空いていた。スーツを着た人も多くはない。さすがに土曜日に仕事で新幹線を使う人も多くはないのだろう。
新幹線は静かに停車し、降車口のドアが開く。
由貴は小さな少女の後ろに続くようにして新幹線を降りた。
静岡県にあるH駅。H市は静岡第一の都市であり、その中心にあるH駅は交通の要所としても商業地としてもH市を代表する地域だ。由貴の実家はH駅からバスで三十分ほど行ったところにあった。
由貴はプラットフォームに降り立つと、階段に向かって歩いていく。
H駅の新幹線のプラットフォームは他の新幹線の駅のプラットフォームと同じで何も代わり映えがしないものだったが、どこか懐かしさを感じる。線路の向こうに見える街並みも、そしてプラットフォームに掲げられた「H駅」という文字も見慣れたものだった。やはり地元というものは誰にとっても大きな意味を持つ場所でもあるのだろう。
H駅には父である直樹が車で迎えに来てくれることになっていた。
昨夜、突然実家の母、朋子に電話をかけて「明日、ちょっと用事があって実家に行くから」と告げると、朋子は驚きながらも「突然どうしたの。用事って、どんな用事」と尋ねてきた。由貴が、「私の部屋にあるもので、少し探したいものがあるから」と答えると、朋子は「そうなんだ」とそれ以上質問してくることはなかった。そして電話口から少し口を離すようにして、そばにいるらしい直樹に、「明日、由貴が家に来るんだって」と話すのが聞こえた。
もともと実家には、H駅からバスに乗って行こうと思っていたが、その電話で直樹が車でH駅まで迎えに行くという話をされて、せっかくだからとその言葉に甘えることにしたのだ。
由貴は改札を通り、そのまま駅ビルの外に向かう。
H駅は駅ビルの一角に改札が設けられており、駅ビルには様々な商業施設や店舗が入っているということもあって多くの人で溢れていた。土曜日の昼前の時間、せっかくの休日を外食に来ているのか、家族連れの姿が目立った。その人々の中に埋もれるように由貴は一人歩く。すれ違う人々が交わす楽しそうな会話の節々が耳に飛び込んでくる。そのたびに、自分と彼らの間にある見えない壁の存在を感じた。彼らはこれから家族と楽しい時間を過ごすのだろう。だけど自分はこれから、自分が幼い頃から住んでいた家に向かい、そこで、自分と上原祐樹が陥った問題を解決するための糸口を探さなければならない。もし何も見つからなかったら。そのような思いも由貴の頭をかすめていく。それでも由貴は前に歩き続けた。前に歩き続けるしか無かった。
駅ビルの外も多くの人で溢れていた。
出入り口の外に若者たちが立っている。おそらく友人と待ち合わせをしているのだろう。彼らは皆スマホを持ち、その画面をせわしなく操作している。若い男性のもとに、若い女性がやってきて、「おまたせ」と言って微笑む姿が視線の片隅に映った。彼らはそのまま二人並んで駅ビルの中に入っていく。ここにも幸せの光景があった。
H駅は、東京にある駅かと錯覚してしまうくらい、人が多く、そして一見華やかさで溢れている。だけど、この駅から少し行くと、いわゆる田舎の地方都市の光景が広がっているのを由貴は知っている。建物もまばらになり、人の姿もぐっと減る。おそらくH市にはH駅の他に栄えた地域が少ないので、皆この場所に集まってくるのだろう。彼らはまるで、小さな光に引き寄せられる夜光虫のようなものだった。
H駅の脇に、大きな円形のバスターミナルがある。そしてそのターミナルの片隅に、駅への送迎をおこなう一般車両が駐車できるようなスペースがあった。直樹との待ち合わせ場所は、そこだった。
杉原家の白いセダンの車はすぐに見つかった。
几帳面な直樹はいつも約束の時間よりも前に着いて、待っていてくれる。杉原家ではそれが当たり前になっていたので、そのセダンを見つけると由貴は足早に車に歩み寄った。ドアを開ける。
由貴は、運転席に座る直樹に「わざわざ、ありがと」と声をかけて中に入る。直樹は「うん」と小さく頷いた。そして静かに車を発進させた。
車の中で、
「仕事はどうだ?」
「順調だよ」
そんな当たり障りのない会話をしているうちに、車は由貴の実家の家に到着した。今年の夏は仕事が忙しくて帰省をしなかったので、一年ぶりの実家だった。




